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翡翠と琥珀  作者: ヤマキ ヒサト
プラム編
10/126

それぞれの"家族"

「──そして、これとこれを混ぜると……」


「おおお、今度は綺麗な緑色じゃ。主様の瞳の色じゃ!」


 川辺の絵を描き始めてから一週間。

 アンバーの協力の甲斐もあり、ついに絵具の準備が整った。


「よし、それじゃあ塗っていくとしようか」


 ジェードは用意した絵具を混ぜ合わせ、様々な色を作り出していく。

 思った通りの色が出来上がるまで何度も微調整を重ねながら筆を操る。

 アンバーはジェードの隣にずっとくっついていた。

 そして時折ジェードの真剣な表情を覗き込みながら、少しずつ色づいていく絵を眺めていた。



 *****



「ふぅ、少し休憩しようか」


 筆を動かし始めて二時間ほど経った頃、ジェードは小さく息をついてアンバーの方へ向き直った。


「む、そうか。では何か果物でも探してこよう」


「いやいや、その必要はないよ。ここに座って」


 ジェードは立ち上がったアンバーを呼び止め、地面を叩いて座るように促す。

 それを見たアンバーは少し頬を染めながらもぞもぞと腰を下ろした。


「なんじゃ、主様(ぬしさま)? 腹は減っておらぬのか?」


「そこまで空いてないから平気さ。それよりも僕はここで君と話がしたいな」


 その言葉を聞いたアンバーの耳がピンと立つのが見えた。

 それと同時に彼女の表情が緩み、喜びを(あらわ)にしていく。


 彼女はジェードが絵を描く様子を見ているだけで十分だと言っていた。

 その言葉に嘘があるわけではないようだが、やはり一緒にいる以上はジェードに構って欲しい気持ちが少なからずあるように見えた。

 ジェードは絵を描きながらそれをなんとなく察していたのだ。


「この森には君以外の妖狐(ようこ)もいるんだよね? 全然見かけないけど」


「わしの家族(なかま)(みな)森の奥に住んでおるからな。人間の街が近いこのあたりにはあまり出てこぬのじゃ」


「へぇ、そうなんだ」


 隣に座るようには言ったものの、アンバーが座った位置は非常にジェードに近かった。


 妖狐とはいえ、やっぱり女の子がくっついてくるとドキドキするなぁ……

 絵を描いてる時は全然気にならなかったのに。


 肩と肩が触れ合っているためジェードの心拍数が上がり始めているのだが、アンバーがそれに気づいているかはわからない。


「森の奥から出てこないのは、やっぱり人間が怖いからなのかい? その……四年前のことで」


 四年前、街の狩人たちは森に住む妖狐を退治しようと大規模な駆逐作戦を決行した。

 猟銃を持った狩人たちが一斉に森に押し入り、片っ端から妖狐を撃ち殺していった。

 妖狐の反撃にあって死傷者を多く出した狩人たちは早い段階で撤退を余儀なくされたと聞いているが、それでも互いの被害は絶大だっただろう。


「そうじゃ。あれ以来妖狐(きつね)は人間に見つからぬよう隠れて生きるようになった。街周辺(このあたり)までやってくるのは、群れの中でもわしだけじゃろうな」


 そう話すアンバーの表情は変わらず微笑んでいるように見える。

 しかし彼女の耳が僅かに垂れ下がるのをジェードは見逃さなかった。


 やっぱりこの件には触れない方がよかっただろうか……


 憧れである人間と大切な仲間たちが殺し合ったのだ。

 彼女にとって悲しい過去であることは疑う余地もない。


「主様の家族のことも教えてくれぬか? やはり街におるのか?」


「うん。前に話した通り、僕の家は小料理屋なんだ。父さんと母さんが店をやってて、そこに僕と一つ下の弟と四歳の妹を合わせて五人家族さ」


 ジェードの話を聞きながらアンバーの尻尾がずっと揺らめいている。

 肩と肩が触れている至近距離のため、しばしば尻尾がジェードの背中に当たる。

 とてもふさふさしている。悪い気はしない。


「父さんは僕に店を継がせようと必死なんだ。僕は継がないって何度も言ってるのに」


「なぜ嫌なのじゃ? 主様の弁当はとても美味かったぞ?」


「料理は嫌いじゃないんだけど、やっぱり僕は料理人よりも絵描きとして生きていきたいからさ」


 いつの間にかアンバーはジェードの肩に頭を乗せていた。

 どんどん距離が近くなる彼女だったが、ジェードも少しずつ慣れ始めてきた。


 心臓だけはなかなか大人しくなってくれないけど。


「じゃがその気持ちはなんとなくわかるぞ、主様」


「そうなの?」


「うむ。わしの群れの仲間たちは、わしのことを本当に大事にしてくれる。妖狐(きつね)は誇り高い生き物じゃから、同種を見捨てるようなことは絶対にせぬのじゃ」


 そう言ってアンバーは立ち上がると、森の奥へと目を向けて頬を膨らました。


「じゃが裏を返せばそれは過保護なのじゃ。わしが主様に毎日会いに行くのを、仲間たちは決して善くは思っておらぬ」


「あはは、お互い家族に不満があるってことだね」


 多少の不満こそあるが、ジェードは家族のことが嫌いというわけではない。

 それはアンバーも同じで、人間の家族も妖狐の家族も似たようなものなのだと親近感が湧いた。


「じゃが、不思議に思うこともある」


 膨れっ面を元に戻したアンバーは再びジェードの隣に腰掛けた。

 肩が触れる距離なのは彼女の中でもうお約束になっているようだった。


「何が不思議なんだい?」


貧民街(スラム)のことじゃ」


 先ほどまでの朗らかな雰囲気を一変させ、アンバーの声色にはどこか真剣さが滲んでいた。


「わしら妖狐(きつね)は同種を絶対に見捨てぬと言ったじゃろう? じゃが人間は妖狐(きつね)と違って、飢え死にしていく者らが目の前におっても知らんぷりじゃ。人間はなぜ苦しんでおる仲間を助けようとせぬ?」


 ジェードを見つめる瞳は少しばかり潤んでいるように見える。

 同族の仲間の命はもちろん、彼女は天敵であるはずの人間の命も決して軽く見てはいない。

 誇り高い妖狐と違い、人間がいかに器の小さな生き物なのか思い知らされた気がした。


「君が思っているほど人間は美しい生き物じゃないのかもしれない」


 ジェードは俯きながらアンバーの疑問に答えた。


「人間はとても利己的なんだ。自分とその周りさえ潤っていれば、他のことはどうでもいいと考える人も多いのさ」


「主様は違うじゃろう?」


「どうだろうね。貧民街(スラム)を見て胸は痛むけど、彼らを助けるために何か行動したことは一度もないから……」


 ジェードの胸に自己嫌悪が渦巻いた。

 仲間を絶対に見捨てない妖狐の誇り高い生き方は、人間には絶対に真似できない。

 石を投げられ絵を汚され、人間の醜い部分をたくさん見てきたジェードにはそれが確信できた。


 人間はなんてちっぽけな生き物なのだろう。


 妖狐の少女を虜にするほどの豊かな感性と文化を持っていながら、苦しんでいる者らに手を差し伸べることはない。

 華やかな感性に膨らんだ人間の"心"は実に大きく魅力的で、それでいて醜くて狭い。


「……きっと主様は違う」


 隣に座る少女がポツリと呟いた。


「主様は優しいお人じゃ。同族(にんげん)ではないわしのことをこんなに大事に思ってくれておるではないか」


「アン……」


 アンバーの瞳はまっすぐにジェードを見据えていた。

 彼女が何かを訴えようとする声に、ジェードはただ押し黙ることしかできなかった。


「主様は違う。自分の周り以外はどうでもよいなどとは思っておらぬはずじゃ。じゃから主様を殺そうとしたわしとこうして何度も会ってくれるのじゃろう?」


 もしかして、僕を慰めようとしてくれているのだろうか。


 アンバーはジェードの目をまっすぐに見つめたまま彼の服の袖をギュッと握っていた。

 ジェードの胸に渦巻く自己嫌悪を彼女が察したのかはわからない。

 しかし彼女の穏やかな口調は間違いなくジェードの心情を案ずるものだった。


 ──嬉しかった。


 同族に対する誇りが強い妖狐である彼女が、人間である自分の胸の痛みに共感してくれた。

 人間と妖狐──互いに異なる種族でも共有できる感情があるという事実。

 そんな発見にここまで心が満たされた気分になるのはなぜだろうか。

 しかし理由などは最早どうでもよかった。

 その事実さえあれば二人にとってはすべて事足りる気がしたのだ。


「……そうだといいな。ありがとう、アンバー」


 その言葉を聞いてアンバーはニッコリと笑顔を見せ、尻尾が楽しげに揺らめいた。


 いつの間にか西の空には夕陽が輝き始めていた。

 続きはまた明日描こうと決めたジェードは、街の北門までアンバーに見送られて家路についた。



 *****



「やっと帰ってきたか、ジェード。少しは店を手伝ったらどうなんだ?」


 小料理屋である家の中へと入ると、ジェードの父親であるエドガーの小言が耳を突いた。


「人手が足りないわけでもないのにどうして手伝わないといけないんだい?」


「跡継ぎだからに決まってるだろう。代々長男が継いできた店だ、四の五の言うんじゃない」


 店内に客はおらず、父のエドガーは厨房で夜の客に出す料理の仕込みをしていた。

 

「そんな伝統はどうでもいいよ。それに、僕には夢があるからそのうち家を出るって何度も言ってるだろう?」


「そう言いながらも出て行かないじゃないか。外でやっていく自信がないんだろう? 悪いことは言わないから店を継ぐんだ、ジェード」


「クリスが継げばいいんだよ。次男が継ぐと破産する呪いがかけられてるわけでもあるまいし。そうだろ、クリス?」


 ジェードは店の隅の席で本を読んでいる弟のクリスに声をかけた。

 それに気づいたクリスは死んだ魚のような目をゆっくり本から持ち上げると、気怠そうに口を開いた。


「あぁー、うん。俺は別にどっちでもいいよ。兄さんが継ぐなら適当な仕事見つけるし、継がないなら俺も仕事探す手間が省けるしねー」


 厨房にいるエドガーが大きく溜息をついたが気づいていないふりをして、ジェードは足早に自室へと向かった。



 *****



 星の輝く夜。

 森の最奥近くにある丘の上には、少女の姿をした一匹の妖狐──アンバーが座り込んで空を見上げていた。


『そんなところで何をしているんだ』


 群れの(おさ)である年配の妖狐が茂みから顔を出してアンバーの方を見ている。

 長の姿はアンバーとは違って狐のそれそのものである。

 アンバーは長の存在に気づいていたが、星空から視線を下ろそうとはしなかった。


『今夜は星がとても綺麗じゃ』


『そんなものを見上げても腹は膨れないぞ』


『心が膨れればそれでよいのじゃ』


 長が茂みを抜けてアンバーの隣まで歩み寄ってきた。

 人間と違って妖狐は言語を用いない。

 彼らの意思疎通は鳴き声を始めとする鼻や喉を鳴らす音、そして表情や振る舞いの変化を介して行われていた。


『いつまで人間の姿をしているつもりなんだ?』


『別によいじゃろう? この姿の方が好きなのじゃ』


『人間は野蛮で恐ろしい生き物だ。悪いことは言わないから近づき過ぎるのはやめろ。お前が最近会いに行っている人間も、腹の中では何を考えているかわからないぞ』


『あの者は絶対に裏切らぬ』


 ジェードのことを悪く言われた気がして、アンバーはようやく顔を下ろして長を睨んだ。

 自分のことを心配して言っているのはわかっているのだが、それでも苛立ちを覚えずにはいられなかった。


 その態度に呆れたのか、長は再び茂みの中へと消えた。

 それを見送ってからアンバーは再び空へと視線を戻す。


 夜空を横切る天の川。

 それに沿うように輝く幾万の星々。


 本当に美しい。


 この星空を見せたら、ジェードはどんな顔をするだろうか。


 妖狐である自分がこのように星を愛でるのは本当に変わっているとアンバーは自覚している。

 しかしこれこそが人間の文化に触れ続けてきたことで育まれたアンバーの感性である。


 美しい物を見ると心が動かされる。

 そんな華やかな心が自分の中で芽吹いていることを実感すると、アンバーはまた一歩人間に近づけたような気分に浸ることができた。

わさび仙人です

ご愛読ありがとうございます


今回は妖狐と人間の価値観の違いについてのお話でした


書きながら自分でも考えさせられることがありましたねぇ……


感想や評価などお待ちしております!

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