7、ミナカ、滞在を決める
一同は炬燵の卓からテーブルへと場を移し、ハルオが腕によりをかけて作ったうどんを啜った。
手抜きしたくて提案したうどんという料理は、この日だけやたらと豪勢になっていた。
海老の天ぷらとワカメ、ほうれん草、牛肉、かまぼこがトッピングされ、脇には具材たっぷりのおにぎりが用意された。
そして小鉢にハルオ秘蔵の蟹の缶詰が開けられ、ミナカだけに特別に振舞われた。
「どうしたのお父さん。すごい豪華だけど」
「え、そ、そうか? お父さん、つい張り切っちゃったかなぁ。まあ、たまにはいいじゃないか。うん」
しどろもどろになって応えるハルオに、ナツキは訝しげな目を向けた。
しかし目の前の食事はいつになく豪勢であるため、ナツキは疑問を一旦保留として食事に集中することにした。
「美味しそうですね。おや? 僕にだけ小鉢があるようですが…」
「あ、本当ですね。しかもそれ蟹ですよ。お父さん、これどこに隠してたの?」
「秘密だ」
ハルオはナツキの追求をなんなく躱した。黙っていれば隠し場所がナツキにバレることはない。
台所はハルオの縄張りなのだ。謂わばハルオのホームである。アウェーのナツキが探し出せるはずもない。それだけ難所に安置していた秘蔵の蟹缶は、ふらっと現れた神様に振る舞われた。
ハルオが蟹缶を振る舞ったのはうどんだけでは満足してくれないのでは、と不安に思ったからだ。
チェーン店で頼めば野口が飛んでいくようなトッピングたっぷりのうどんでも、麺は冷凍麺、出汁は出来合いである。
ハルオとしては到底神の前に出せるような料理ではなかった。
そこでこの蟹缶である。
お歳暮で頂いた一品で、ハルオの晩酌のお供の予定だったが、すぐに用意できる物はこれくらいしかなかったので、ハルオは泣く泣くこれを開けた。
「僕だけ頂くのは心苦しいので、皆さんで分けましょう」
ミナカの一言に遊佐家の食卓が活気づく。
ハルオなど「ありがたや。ありがたや」と拝み、ビールを開ける始末である。
こうして秘蔵の蟹缶は全員に振る舞われた。ナツメを除いて。
『オイ! 酷くねェカ?』
――・――・――・――・――・――・――・――
食後、遊佐家の食卓は談笑の場と化した。専らミナカとナツキ、そしてナツメばかりが話していたが。
「へぇ~。じゃあミナカさんは最近この街に来たんですね」
「はい。残りの神力もギリギリのところ、この立水神社を見つけたわけです。まさに僥倖でした」
ナツキは知らなかったが、立水神社は天之御中主を祭神として奉る由緒ある神社であるらしい。
そのため当の祭神であるミナカにとっては最適の神力の補給場所なのだそうだ。
ミナカは古い神たちを天上へと還すため、日本全国津々浦々を旅しているようで、しばらくはこの街にいると話した。
「それなら立水神社を拠点にしたらどうですか?」
ナツキが鼻息荒く提案する。ハルオがびくりと体を震わせたが、ナツキは見なかったことにした。
「良いんですか? 僕としてはありがたいですけど…」
「いいですいいです! ね? お父さん?」
「……はい」
『俺も賛成だゼ!』
「それならお言葉に甘えましょうか」
ナツキはハルオに賛同を促し、ハルオは胃のあたりを擦りながらそれに答えた。ハルオの心労は推して知るべしだろう。
こうしてミナカは遊佐家へ間借りすることとなった。
ミナカは神力の補給を気にせず活動でき、ナツキはイケメンな神様で目の保養ができ、あわよくばお近づきになれる。ナツメは神力切れの心配がなくなる。三者三様だが利は大きかった。
ハルオにとっては大きな負担となっていたが。主に心の。
「しかし、ただの無駄飯食らいとなるわけにはいきませんね。少ないですが幾らか手付金を渡しておきます」
すっと差し出した包みをハルオが開けると、そこには束ねた諭吉が三つ、どどんと置かれていた。
「すご……。ミナカさんってお金持ちなんですか?」
「いえ、僕自身お金は持っていないんですよ。これは福の神から頂いたお金です。現世に顕現している間は何かと入用になりますからね。時々顔を合わせた際に頂くのですよ」
「福の神……本当にいらっしゃるんですね」
ナツキは諭吉の束を見ながらごくりと喉を鳴らし「これはいけない」と、頭を振って煩悩を振り払った。
「ミナカ様がご寄留なされるとあれば望外の喜びでございます。どうぞ末永くここ立水神社でお過ごしください」
ハルオがきらりと目を光らせ、ミナカの滞在を歓迎する。
諭吉を目の前にしたハルオは初めこそ目を丸くして戸惑っていたが、すぐに姿勢を正して感謝を述べた。
しかし、感謝の言葉はナツキが聞いても欲に濡れていたように思えた。
「人間万事塞翁が馬と言いますから、使い方はよく考えるのですよ」
「っ……! は、ははぁーー!」
やはり神様にもお見通しだったらしい。
後日、ミナカからもたらされたお金は神社の本殿修理費に充てられ、遊佐家のボーナスにはならなかったが、修理会社の人物から「床下の基礎が蟻に食われていました。駆除業者に頼んだのでもう心配はありません。あのままだと予期せぬ事故に繋がったかもしれません。絶好の機会でしたね」と言われ、ハルオは心底震え上がった。
――・――・――・――・――・――・――・――・――
次の日、ナツキとミナカは連れたって街を歩いていた。
古い神を天上へと還す【神送り】をやるため、街に降りるとミナカが言い、ナツキはどんなものかと興味本位でついてきたのだ。ちなみに留守番は嫌だということでナツメも一緒である。
ミナカが言う【神送り】は別段特異なことはないらしい。寧ろ数百年生き続けた神を天上へと還すため、毎回気が重くなるそうだ。しかし、自分にしか出来ない仕事であり、かつ必要な仕事である、とミナカは語った。
寄る辺を失った神たちに引導を渡す、嫌な役目だよ、とミナカは苦渋に満ちた顔で呟いた。
重い雰囲気となり、ついてきたのを後悔し始めたナツキは、気持ちだけは明るく振る舞おうと奮起した。
「今日はどんな神様なんですか? ナツメみたいに付喪神ですか?」
「いや、今日は蛇田池にいる神様ですよ。土着神で、500年前から信仰されてきた神ですが、今はその歴史を知る者も少ないです」
『蛇田の神さんといやァ、【カガチ様】だなァ。イタチだった頃に一度だけ会ったことがあるゼ。おっかねえ爺さんだっタ』
おっかない爺さんと聞いて、ナツキは金剛力士像よろしくの強面を想像した。
ナツキの周りにはのほほんとした優しいお年寄りしかいないので、今まで接してきたことのないタイプになる。
ナツキはとりあえずとして学校の体育教員である堀田先生を題材にして脳内シミュレートを行った。
脳内で堀田先生の野太い声が響き渡る―――
「誰がおっかねえ爺だって?」
「ひゃ!」
脳内でシミュレートしていたはずの声が近くで発せられ、ナツキは思わず奇声をあげて立ち止まった。
『げェ! カガチ様、いつの間ニ!』
「でかい神力が近づいて来たからのう。こちらから出向いてやったわけじゃわい。それなのにワシをおっかねえ呼ばわりとはいい度胸よな。イタチの」
『ヒェェェ……』
カガチと呼ばれた相手の姿はナツメよりよっぽど神の名が似合っていた。
よく知らないであろう人物であっても「なるほど、確かに神々しい」と納得するほど造詣に優れていたのだ。
一見すると大蛇のようだが、体表は雪のように白く、艷やかな鱗が鏡のように陽光を反射していた。
目は血糊を垂らしたが如く鈍い赤色を彩り、通常の生物には無い覇気を身に纏っていた。
蛇に睨まれた蛙、もとい茶器は蓋をカタカタと揺らした。これがナツメにとっての恐怖の体現である。
ナツキの手の上で微振動を繰り返している。中身の金平糖がカラカラと音を立てて剣呑な雰囲気をぶち壊していた。




