5、卓上の攻防
遊佐家の炬燵は古い。
春から秋にかけては床の間に鎮座するテーブルとして使われ、冬になると炬燵として家人の暖を司る。
このサイクルをもう何年も繰り返しているだろうと、外見からも長く使われている事が伺える。
天板には細かな傷やシミができており、支える脚は底が磨り減って丸みを帯びている。
遊佐家の床の間を古くから温めていた炬燵だが、現在、未曾有の危機に晒されていた。
『おわああア! なんダヨ、この獣ハ! 来るんじゃねェ! おいやめロ! 俺の体に傷がつくじゃねぇカ!』
「んにゃああああ!!」
「ま、まめ蔵! 駄目だよ、そんなの食べちゃ! お腹壊しちゃう!」
『テメェ! 腹壊すとは何事ダ!』
天板の上で猫のまめ蔵がナツメをガリガリと囓り、それを止めようとナツキが天板の上に乗る。
ミシミシと音を立てながらも、この道数年の炬燵は頑張って耐えた。
騒ぎがようやく落ち着くと、炬燵の三方にはまめ蔵を抱きかかえたナツキ、ハルオ、ミナカが腰掛けた。ナツメだけは座布団代わりにハンカチに乗せられ、天板の隅に鎮座している。
家に戻り、一服ついたことで、ハルオはだいぶ落ち着いたようだ。だが、ミナカの方は見ないように目線を不自然に逸らしている。
変わって、ミナカはマイペースだ。年明けの特番を観ながら笑い、みかんの皮を剥いている。さっきまで気落ちしていたというのに、随分と回復が早い。さすが神様である。
ナツメはピクリとも動いていない。いや、茶器なので動けないのかもしれない。代わりに口だけは達者で、まめ蔵に向かって文句をつらつらと重ねている。
いつもより数段騒がしい遊佐家の光景に、ナツキは少し懐かしさを覚えた。
そんな騒々しい正午前、ふとミナカが口を開いた。
「そういえば、ナツメはあんな所にいて、よく神力が保ったね。崇める者もいなかっただろうに」
『あー、それはなァ……』
聞くところによると、神様という存在は祈られ、奉られることで神力を得るらしい。その相手は動物でも人間でもいいらしいが、人間の方が強い神力を得られるそうだ。
ナツメは俗に言う付喪神だそうで、本来なら道具として使われることで神力を得るのだとか。
あの蔵にいる間、使う人もいないのに、どうやって神力を得られたのか。ミナカはそれが気になったようだ。
『偶々、蔵で休んで行ったカエルの神様が神力を分けてくれてナ。その後も時々、様子を見に来てくれたんダ。神についてもそいつに教わったんダ』
「罔象女神の使いかな? ああ、それで色々と神様事情に詳しいんだね。なんにせよ、運が良かったね」
『まあナ。でも最近は顔を見せなくなっちまってナ。神力も心許なかっタ。ミナカ様が来てくれなかったらヤバかったゼ。フゥー』
ナツメは安心したように息をついた……ような声を出した。動作がないので、声で表しているようだ。
神力が尽きると、神としていられなくなるらしい。
神でなくなった元神は、神力の補給のために天上へと還り、休眠する、とミナカは話した。
「最近は僕が雨を降らせていたので、ミヅハが各地に散らばる使いを呼び戻してしまったのかもしれないね。彼女には謝っておかないと……」
罔象女神はミヅハと呼ばれているらしい。
名前の通り、水や雨を司る神なのだそうだ。
「ここ最近の大雨はミナカ様の仕業だったんですか!?」
雨を降らすなど簡単、とばかりに言ってのけたミナカにナツキが驚きの声を上げる。
「すいません。事情があって雨を降らせましたが、迷惑でしたよね」
「いえ、雨が降ってようとなかろうと、家に篭りっぱなしなのは変わらないので……」
雨は大晦日前日から三が日の次の日まで続いた。
その辺になると、ナツキは家に篭り、炬燵の主となるのが毎年の恒例だ。雨が降っても別段困ることはない。
寧ろ、困ったのはハルオの方だろう。畑の世話や買い物もあったので、さぞ苦労したに違いない。
だがハルオがミナカに対して文句を言うことはない。そんなの畏れ多いといった表情をしている。
『なんでェ。結局ミナカ様の仕業だったんじゃねェカ。感謝して損したゼ』
場の空気が凍るとはこのことだろうか。
ハルオは石のように固まり、ナツキも冷や汗を流している。
そんなにはっきりと言わなくてもいいのに、とナツキは注意したくなったが、思いの外、ミナカはあまり気にしていないのか、頭を掻きながら苦笑していた。
「あの、ミナカ様はナツメを怒らないんですか? ミナカ様に向かって言うような言葉じゃないと思うんですけど……」
ナツキが恐る恐る尋ねると、ミナカは後光が指すような微笑みを浮かべ、頭を振った。
「神同士では人間でいう上下関係は希薄なのです。暴言でなければ、起こる理由にはなりませんね。
ナツキさんも、会ったばかりのようにミナカさんと呼んでくれて良いんですよ? 寧ろ、そっちの方が親しみやすいですから」
そう言われたら断る否やはない。
試しに「ミナカさん」と呼んでみると、ミナカは嬉しそうに「はい」と返事をしてくれた。
ミナカはハルオにも同じように呼ぶように言ったが、ハルオは固辞した。
それもわからないわけではない。この立水神社の祭神相手に、さん付けで呼ぶなんて、神主であるハルオには出来ないのだろう。
『いやァ〜、しっかシ、中に何も入れてねえと、どうも落ち着かねえナ。オンナ! 何か入れてくれねエカ?』
ナツメの中は空っぽだ。
彼?はそれが非常に気になるそうだ。
「オンナじゃなくてナツキね。何がいいの?」
『抹茶はねえノカ?』
「そんなのないよ。あ、これなんかどう?」
『なんだそりャ?』
「金平糖。甘いお菓子だよ。近所のタケイチおじさんから貰ったんだ」
タケイチおじさんは立水神社の近所に住む、喫茶店『レインボー』の店長だ。
老舗の喫茶店だが、古くから変わらないコーヒーの味と、美味で値段も手頃な菓子類が評判の人気店である。
ナツキは幼少の頃からここに入り浸っており、色々とお菓子をご馳走になっていた。
当時は大人っぽいお菓子が食べられる、と喜々としていたが、全てタケイチおじさんの新作菓子の味見役だったと、最近判明した。
近頃は新作菓子を作らなくなったので、そのようなこともなくなったが、ナツキは今でも時々顔を出しては格安でお菓子をご馳走になっている。
この金平糖は「ハルオさんに」とついでに頂いたものだ。
『ふうン。まぁ、なんでもいいから入れてくレ』
「はいはいーっと」
ナツキはナツメの蓋を開けると、金平糖をざらざらと流し込んだ。
いっぱいになって、機嫌が良くなったのか、ナツメは
「カラカラいう音がいいじゃねえカ! 気に入ったゼ!」
と、はしゃいでいた。
「良かったですねぇ。もぐもぐ」
ミナカはナツメに優しげな目を向けつつも、金平糖をいくつも頬張っていた。




