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4、ナツメ現る

「今喋ったよね……?」


「腹話術?」


 ナツキとハルオは顔を見合わせ、続いて声の主へと目を向けた。


 なんの変哲もない、ただの茶器だ。

 職人芸が光る芸術品なのは間違いないが、からくりを仕込まれているというわけでもない。

 勿論、スピーカーの類を備え付けられているわけでもない。


 ならばミナカの仕業か、と表情を伺ってみたが、惚れ惚れするような微笑みを浮かべているだけで、別段怪しいところはない。


 ナツキが首を傾げていると、横からハルオが茶器を指先で小突いた。

 ちょん、と突かれた茶器は、ミナカの手の上でグラグラと揺れた。


『痛えナ! 何しやガル!』


「うわっ!」


「また喋った!」


 ハルオは即座に指を引っ込め、ナツキはハルオの背に隠れるように逃げた。


「ミナカさ〜ん。これ何なんですか?」


 ナツキが泣きそうな声で尋ねると、ミナカはくすりと笑い、


「これは小さな神様ですよ」


 と、言ってのけた。


「「……」」


 ナツキとハルオが訝しげな目をミナカに向ける。

 どう見てもただの茶器で、神々しさの欠片も感じられない。

 これならば世界各地の石碑なり、神秘的な神像なりの方がそれっぽく感じるだろう。


『なんだその目ハ! 俺は本物の神様ダゾ!』


 心外な、と言わんばかりに茶器から声が発せられるが、甲高い声と小さな見た目のせいで厳かな雰囲気は感じられない。

 やっぱり何かの間違いではないか、とミナカを見ると、ミナカ自身も苦笑していた。



「神になって日が浅いようで、神力が少ないのでしょう。こうやって私が神力を与えていなければ、ナツキさん達と話すことすらできないようですから」


「はぁ……え? ミナカさんが何か与えているんですか?」


 ナツキはミナカの手をじっと見つめてみたが、これといった変化はない。ただ手のひらの上に載せているだけのように見える。

 ハルオにも確認をとったが、同様に見えているようだ。


「はい。神力(しんりょく)といって、神のみが持ち合わせている力のことを言います。

 様々な“奇跡”を起こす事ができ、力の強い神ならば海を割り、山を動かすことも可能です。

 昔は人も扱うことができたんですけどね。最近はとんと見かけなくなりました」


「ほう。ならミナカさんは、その神力とやらを扱える数少ない人の内の一人というわけですか。俺も神主なので、そういう力は憧れてしまいますね」


 ハルオがうんうんと納得したかのように頷き、聞き慣れない力に感銘を受けていると、


『ハァ? お前バカじゃねえノ? ミナカ様も神様だからに決まってるダロ。ていうか、ちゃんと様付けで呼びやがれってんダ、このアホ人間』


 と、茶器が聞き捨てならない事を言った。


「ええ!? 嘘、だって普通に見えてるし、触れるのに……」


 これに驚いたのはナツキである。

 そもそもの出会いが境内で寝ていた不審者らしき叩き起こすことから始まっているのだ。

 思い返せば、箒の先端で容赦なく突いていた気がする。

 もし本当に神様なら、途轍もなく失礼な行いをしでかしてしまったのではないだろうか。

 そんな思いもあって、ナツキは素直に信じられずにいた。

 

 そしてハルオの場合は半信半疑といった心情である。

 今ひとつ信じられないというのもあるが、さっきから散々罵倒している、この小さな茶器が神であると認めたくない気持ちもあった。

 遊佐家は代々神主を生業(なりわい)としている家柄だ。

 ハルオには霊験あらたかな力などこれっぽっちも無いが、これほど口の悪い者を神として認めたくなかったのだ。


『オイオイ。ミナカ様は俺なんかよりもっと上の位の方ダゾ? 保有している神力も、それこそ桁が違うってもんダ。現世での顕現なんてワケじゃねえヨ』


「そ、そうなんですか……?」


 ナツキが恐る恐る尋ねると、ミナカは困ったような笑みを浮かべ、


「大したことはありませんよ」


 と答えた。

 


 ミナカは謙遜していたが、その表情は決まりの悪さを物語っており、ナツキは「ああ、そうなんだ」と自然に信じることができた。

 

(神様に一目惚れしそうになるなんて、私バカだなぁ)


 ナツキは肩を落としてため息をつくと、小さく痛む胸の辺りをキュッと握った。

 神という存在がどういったものかは知らないが、色恋に興じる存在ではないのは確かだろう。

 つまり、この芽吹き始めた恋心が昇華することはない。

 春が来たと浮かれていた気持ちは沈み、調子に乗っていた自分に腹を立てる。

 浮ついた気持ちが消沈したせいか、ナツキには土蔵内の空気が一段と冷たく感じられた。


「神様とは言っても、あまり知られていない神様なんです。知らない人の方が多いくらいですよ」


 ナツキの重い空気を察したのか、ミナカがおどけてみせる。

 気遣わせたのが申し訳なく、ナツキは感情を押し殺しながら微笑した。

 苦し紛れの微笑みだったが、燻り始めた恋心を掻き消すには充分だった。

 ナツキは気持ちに整理をつけ、ミナカの事を神様という偉い人、と認識を新たにした。


「うーん。俺はこう見えて結構神様には詳しいのですが、ミナカ様の名は聞いたことがありません。もしかして偽名か何かですか?」


 空気の読めないハルオがずけずけと質問する。まだミナカを神だと信じきれないようだ。


「偽名というわけでもないんですが……。何せ昔につけられた名前なので、仰々しくて、長ったらしいのです。ミナカの名は渾名のようなものですね」


「ほほう。では長ったらしい名前の方はなんと言うのてすか?」


天之御中主神あめのみなかぬしのかみと呼ばれていましたね」



 ミナカは恥ずかしそうに言うと、顔を赤らめてしまった。

 なんたか仕草が可愛らしい。これがギャップ萌えというものなのだろうか。中性的な顔立ちなだけあって、恥ずかしがる顔も反則級だ。


 ナツキはアメのなんちゃらといった神の名に聞き覚えはなかった。

 しかし、現代の神主であるハルオは違った。


「へ……? 天之御中主神って……本当に?」


『本当だゼ。別天津神ことあまつがみ、その中でも造化三神の一柱である御方ダ』


 ハルオの問いに自称神の茶器が答えると、ハルオはみるみるうちに顔を青くした。


「すんませんでしたぁー! 祭神様であられるとは知らず、とんだ生意気な口を―――」


「お、落ち着いてください。気にしてませんから」



 ハルオはもの凄い速さで平伏し、時代劇さながらの土下座を見せた。

 さながら印籠を見せつけられた小悪党のようだ。


「私もあれやった方がいいのかな……?」


 平伏するハルオを見て、ナツキがぽつりと呟くと、


『アホかおマエ。将軍じゃあるまいシ、人間の作法一つで気を悪くする御方じゃねえヨ。ただちっとは敬う気持ちを持っとけって話ダヨ』


「あ、そうなんだ」


 神様は意外と大らかな気風のようだ。

 ナツキはお言葉に甘えて手を合わせてお祈りだけした。


『ま、基本は優しい御方だからナ。そう怒ることもねえヨ。ただ、怒ったときは大変な事になるゼ?』


「大変な事って……?」


『さあナ。噴火か、地揺れか、竜巻カ……。けどこの街が消し炭になるくらいは簡単ダゼ? そのくらいの神力は持ち合わせているからナ』


 その言葉を聞いて、ハルオはさらに平伏の姿勢を極め、終いには手のひらを擦り合わせて祈り始めた。


「ナツメ! 話をややこしくしない! そんなことに力を使うつもりなんてないよ。少なくとも僕はね」


 ミナカは茶器の蓋の部分をぐりぐりといじり、そう言った。


「ナツメっていうのが、その……人?の名前なんですか?」


「僕が名付けたんです。名前がないと不便ですからね。それから、ナツメは人ではなく、元は動物だったんですよ」


「え!? そうなの?」


『あ、あア。生前はイタチだったナ。死んでからこの茶器に入って、最近神として出世したんダ』


 いじられた部分が痛むのか、ナツメは泣きそうな声で答えた。


『それにしてもナツメって捻りがないゼ、ミナカ様。茶器の名前そのまんまじゃねえカ』


「う、別にいいだろう? 響きもいいし、薬に使われるようなありがたい実が由来なんだよ?」


『でもヨ。夏に芽が出るからナツメなんだゼ? 今は一月だロ? それに女っぽいしヨ。ちょっとおかしくねえカ?』


「……」


「あ、でもでも、私と名前も似てるし、ナツナツコンビもいいじゃない? それに、ナツメがイタチだった時の誕生季節は夏だったかもしれないよ?」


 ミナカの表情が暗くなっていくのを心配し、慌ててナツキがフォローに入る。


『イヤ、俺イタチだった時は春生まれだったんだガ……』


「と・に・か・く! この話はここでお終い! お父さんもいい加減起きて!」


 ナツキは気落ちするミナカ、納得いかないナツメ、平伏したままのハルオをまとめあげると、押し出すようにして蔵を出た。



 家に戻る途中、境内で放置された箒がハルオに見つかり、ナツキは掃除をサボった罰としてデコピンの刑をくらった。



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