3、彼の名はミナカ
境内で寝転げていた不審者はナツキが空想する、どんな人物よりも顔立ちが整っていた。
くっきりとした二重瞼に、長いまつ毛。白い肌には一切の肌荒れもない。髪はナツキが嫉妬するくらいに艶々で、宵闇のように黒い。
最も印象的だったのは黒く、吸い込まれそうな瞳だ。
澄んだ朝の空気のせいなのか、その瞳は朝日を受けてキラキラと、まるで星空のように輝いていたのだ。
ナツキは声も出せずに、その瞳に見入っていた。
「いつの間にか寝ていましたか……」
目を覚ました境内の主が起き上がることで、ナツキはようやく意識を戻した。
ほんのりと頬が赤く染まっていることに、ナツキ自身は気づいていない。
ただ、さっきまで外気に震えていた体がポカポカとし、吐き出す白い息の量が心なしか増えたように見えた。
胡座の姿勢となり、伸びをしたことで、性別を判別できた。
長い髪と白い肌のせいで、どこか中性的な印象を受けるが、がっしりとした体格を見る限り、男性であるのは間違いないだろう。
ナツキは「私の春はここからなんだ!」と、奮い立ち、意を決して話しかけた。
「あ、あの! 私、遊佐ナツキって言います! お、お兄さん?は何故こんな所で寝ていらっしゃったのでしょうか!?」
しどろもどろで上擦る声に、恋愛未経験のナツキは顔を覆いたくなった。
敬語も拙く、明らかに挙動不審である。
両腕で抱える箒が、ナツキの万力によってミシミシと音を立てている。10年来の相棒は人知れず生涯の幕を閉ざされようとしていた。
こんな姿を同級生が見ていたら、ナツキは指を刺されて笑われていたであろう。
「あ、おはようございます。気持ちのいい朝ですね」
そう言ってニッコリと笑い、境内に座する人物は、どこか眩しくて、ナツキは「うわ〜イケメンスマイル〜」と目を細めた。
ナツキは境内の主の笑顔を見られただけで満足であった。同時に、箒の生命も守られた。
もはや先程の質問に全く答えてもらっていない事すらもナツキは忘れている。
「おっと、神力も回復したので、私はここで……」
「!!」
と、立ち上がろうとする境内の主の袖をナツキは過去最高となる速さで掴んだ。
咄嗟の行動だったので、ナツキの頭には恥ずかしいなどという気持ちはない。
神力などとよく分からない単語も耳にしたが、お構いなしだ。
ただ、ここで帰してしまったら、二度と会えない気がした。故に、ナツキは境内の主の袖を掴んだのだ。
「お、お腹空いてませんか? アンパンが家にあるので、食べていきませんか?」
誘い文句としては落第点であろう。
いくらなんでも、アンパンに誘われる人間はいない。
しかし、この境内の主は違った。
「アンパン! いいんですか? 僕、甘い物が大好物なんですよ!」
「案内します! こっちです!」
ナツキは名も知らぬ相手を引っ張って行き、家へ招き入れた。
ちなみに、10年来の相棒である竹箒は、寒空の下に放置された。
「もぐもぐ。アンパン、美味しいですねぇ。粒あんなのがまたいいんですよねぇ」
「そうですか? 私はこしあん派なので、粒あんのアンパンを食べるのはお父さんくらいですよ」
父親、ハルオのおやつであるアンパンを容赦無く平らげていく境内の主。
差し出したナツキもニッコニコである。
だいぶ落ち着いてきたが、ナツキの興奮はまだ冷めないでいる。
「お兄さん、お名前は?」
「もぐもぐ。ミナカと言います。神のミナカです」
「ふ〜ん。上野ミナカさんかぁ。あ、牛乳飲みます?」
「お願いします」
ナツキは甲斐甲斐しく世話しながら、ようやく境内の主の名前を聞き出した。
その後も、田舎のお婆ちゃんの如く「みかん食べる? お餅あるよ? アイスはどう?」と餌付けし、ミナカの足を引き止めた。
「そう言えば、聞きそびれてたんですけど、ミナカさんは、何故あんな所で寝てたんですか?」
「最近の雨で力を使いすぎましてね。どうしようかと思っていたところに、ちょうどここへ辿り着いたのです。境内も広く、他に私を祀る神社も見当たらなかったので、少し休ませて頂きました。でも、あまりに居心地が良くて寝てしまったんですけどね」
「ん? まつる? まぁいっか。ミナカさんって何をしている人なんですか? 見たところ、荷物も何も持っていないみたいですけど」
「そうですねぇ……。古い神達を回収し、高みへとお返しする……そんなことをしています」
(紙を回収……? リサイクル業者の人かな? あの古臭い服はリサイクル業者の制服なのかな)
「へぇ〜。立派なお仕事ですね」
「そう言って頂けるとありがたいです」
ミナカは寂しそうに微笑むと、牛乳を一息に飲み干し、白い髭を作った。
「……ご馳走様でした。久々の供物だったので大満足ですよ」
「いえいえ、供物なんて大げさですよ。お父さんのアンパンくらい、いつでもご馳走しますよ」
ハルオがこれを聞いていたら、涙を流していたであろう。
幸いと言うべきか、ハルオは裏手の家庭菜園で作業中である。
おやつのアンパンや、その他諸々の菓子が無くなっていることに気づくのは、後になるだろう。
普段なら、後で怒られる前に、ここでおやつの証拠隠滅を謀るのだが、今はそんな考えにも至らない。
「えーっと……」
ナツキは焦っていた。
もうミナカを引き留めるような策が思い浮かばなかったのだ。
甘い物が好きという情報くらいしか引き出せていない上に、肝心の甘い物も品切れ状態である。
こんなことならば、もっと情報を引き出すべきだった、とナツキは後悔した。
「あの、ミナカさん。もしよかったら―――」
後悔しても後の祭り、せめて連絡先ぐらいは聞こうと、不屈の闘志を燃やして尋ねようとするも、ミナカは人差し指を口に当て、「静かに」と一言呟いた。
そして、ミナカは目を瞑り、ピクリとも動かず、ただひたすらに集中していた。
突然のことに疑問を持ちつつも、ナツキは言われた通り沈黙を保った。
何か聴こえるのか、とミナカと同じように目を瞑ってみたが、聴こえてきたのは電化製品の低い駆動音と自身の鼓動の音だけだった。
「呼んでいる……」
囁くようなミナカの声に気づき、目を開けると、ミナカはどこか遠い所を見るように、目を細めていた。
「こっちです!」
不意にミナカが立ち上がり、部屋を出て行く。すいすいと廊下を軽やかに進み、玄関へとたどり着く。
ナツキはその後をバタバタと小走りで追った。
外に出て、サンダルで石畳の上を歩く。
ミナカは未だにすいすいと進んでいく。
この先は土蔵と枯れた溜池があるだけだ。
何がミナカを呼んでいるのかは知らないが、迷うことなく進んでいることから、何かしら目的があるのだろう、とナツキは考えていた。
そして、ミナカは土蔵の前でピタリと足を止めた。
瓦と漆喰で建てられた土蔵は、一見、城郭建築を思わせる佇まいだが、中身は至って普通の物置だ。
幼い頃は従姉妹と隠れんぼなどで入り込み、よく父親や母親に叱られたという思い出がある。
しかし、現在は遠ざかって久しい。
暗くて、うす気味が悪いし、ほとんど用もないので、足が遠のいていたのだ。
ナツキが近寄らないので、必然的に、この土蔵はハルオが管理することになっている。
中にある物はほとんどがハルオの私物で、その内の半分は農業道具である。
そんな土蔵に向かって、ミナカは何やらしきりに頷いていた。
まるで誰かの話を聞いているようだが、当然、ミナカの前には誰もいない。
ナツキは段々と怖くなってきていた。
こう見えて、ナツキはホラーが大の苦手である。
前に、友人が無理矢理ナツキをお化け屋敷につれていった時、ナツキ自身も引くくらい半狂乱になったことがある。
あれは酷いものだった。
地べたに座り込み、半泣きで抗議した挙句、対処しに来た係員に向かって喚き散らすという暴君っぷりを発揮したのだ。
しかも、ナツキ自身、そのことはあまり覚えていないというのだから、なおさら質が悪い。
これに懲りて、ナツキの友人達はナツキの前で怖い話の一切をタブーとした。
そして、現在の状況はナツキにとって好ましくないものだった。
まるで見えない誰かの話を聞いているようなミナカ。
寒々しい印象を受ける真っ白な土蔵。
恨めしい顔のように見える壁のシミ。
どれもナツキの恐怖メーターを振りきるには充分なものばかりだった。
「ナツキさん、開けていいですか?」
「え? あの、でも……あれ?」
怖がるナツキに、ミナカが問いかける。
心情的には「そこを開けるなどとんでもない!」と思っていたが、理性の面では「そもそも鍵がかかってるんだけど」と冷静なツッコミを入れていた。
土蔵の扉にはわかりやすい位置に鍵穴が見えており、ミナカもそれに気づいているはずだ。
それなのに、ミナカは「開けてもいいですか?」と聞いてきたのだ。まるで鍵が開いているのを知っているかのように。
そして、ナツキには更に気になることがあった。
ミナカがナツキの名前を知っていたことである。
ミナカとは小一時間ほど話した仲だが、思い返してみると名乗った覚えは見当たらない。なのに、ミナカは当然のようにナツキの名前を口にした。
ますます怖くなってきたナツキ。
もはや逃げ出すのを我慢するだけで精一杯である。
ナツキが固まったまま動かないため、ミナカは土蔵の前で立ち尽くすことになった。
そのまま時が流れ、「そろそろ戻ろうって言ってくれないかな……」と淡い期待をナツキが抱き始めた次の瞬間。
ガチャリ。ギギギ。
と、土蔵の扉がひとりでに開き始めた。
「ヒィイイイイ!!」
ナツキは恐怖のあまり、尻もちをつき、手で顔を覆った。完全防御の構えである。
ナツキが顔を覆って、ぶるぶると震えていると、
「あれ? ナツキ、こんなところで何してるんだい?」
と、聞き慣れた声が耳に入ってきた。
ナツキが恐る恐る顔を上げると、眼鏡をかけた、爽やかそうなおじさんがいた。
ナツキの父、ハルオである。
「お父さん!? お父さんこそ何してたの!?」
「ん? 畑の肥料を取りに来たんだよ」
憤慨するナツキに、「ほら」と言って冷静に肥料の入った袋を見せるハルオ。
ナツキがは安堵のため息をつき、何をそんなに怖がっていたのか、と自嘲した。
今思えば、ミナカが土蔵に向かって頷いていたのも、珍しいものに感心していたからかもしれない。
そう思うと、ナツキの恐怖メーターは安全圏まで下降していった。
「おや? そちらはどなたさん?」
「ああ、この人はミナカさん。土蔵に興味があるみたい」
ナツキはお尻を叩いて起き上がると、隣で凛として立つミナカを紹介した。
「どうも。神のミナカと言います。蔵の中を見せてもらってもよろしいですか?」
「ああ! そういう趣味の人ね。いいよ。汚いけど気が済むまで見学して行ってよ」
「ありがとうございます」
ミナカは礼を言うと、またするすると歩きだし、蔵の中へと入っていってしまった。
その後をナツキはビクビクしながらついていき、ハルオも管理者としてついていった。
「呼んでいるのは……君か」
そう言ってミナカが手にしたのは、漆塗りの棗と呼ばれる茶器だった。
こじんまりとした蓋物容器で、抹茶を入れるための物だ。
「綺麗な茶器だね。高そう」
黒光りする漆に、梅の花と鶴の絵が描かれており、随所に金の飾り紋が施されている。
「ああ。それは俺のお婆ちゃんが使ってた茶器だよ。こんなところにあったのかぁ」
ナツキは興味深そうに、ハルオは懐かしそうにそれをミナカの後ろから覗き込んだ。
「ねえ、お父さん。これって幾らくらいするの?」
「さあねえ。どこかの職人さんが作った物らしいから、数万円はするんじゃないかなぁ」
「へぇ……。こういうのって、収集家がいたりするんでしょ? 売らないの?」
「うーん。そうだなぁ。使わないし、売っちゃおうか!」
掘り出し物のお宝が見つかったと知り、浮足立つナツキはとハルオ。
しかし―――
『黙って聞いてりゃ好き勝手言いやがっテ! この罰当たりの俗物ガ!』
と、二人を叱責する声が蔵の中で響いた。
キンキンと響く甲高い怒鳴り声は、ミナカが持つ茶器から発せられていた。




