御旗と共に
牢から解き放たれたユウタとカナエの二人は、約一日ぶりに太陽の日差しを浴びる。ユウタもカナエも着ているものは短衣一枚。一陣の風がその短衣の裾をはためかせ、春の麗らかな日差しは何処までも柔らかい。
ユウタとカナエは牢から救い出してくれた少女について歩みを進める。
「あの……」
ユウタは目の前を行く金髪の少女に声をかけようとして止まる。肝心の名前が出てこない。ユウタは先を行くこの少女の名前も聞いていないことに思い当たる。
「あの、なんとお呼びすれば」
少女が二房の髪を風に靡かせながら振り返る。あどけない顔。何度見てもユウタと同い年程度にしか見えない。
「ああユウタ。あたいの自己紹介がまだだったな。あたいはザンナ。革命軍所属の遊撃隊でそこの隊長を務めている者だ」
「隊長!?」
革命軍の一部隊を預かる隊長。きっとその遊撃隊と言うのも普通の部隊ではないのだろう。あれだけの強さなのだ。ユウタは思い出すだけで頬が再び電撃で痺れ引き攣った感触を思い出す。でも、この若さでそんな部隊を率いる隊長とは……ユウタは空恐ろしくなる。
「別に驚く事はなかろうユウタ。その力の程は嫌と言うほど自分の体で思い知っただろ? カナエもだ。……違うか?」
「……はい」
かろうじてカナエはそう答えていたが、放心して見える。色々と状況について来れていないのかも知れない。ユウタはカナエの手を握る。瞬間、カナエがユウタの側を振り向く。その目には色が戻っていた。
「軍隊の隊長さん……ザンナ。俺達を助けてくれたザンナ隊長……そうなんだ」
ユウタはカナエが元気になった事を確認すると、目の前の少女、ザンナの名をあたかも噛み締めるように繰り返す。
「そうだ。あたいは偉いんだ。だからお前達をこうして牢から出すことも出来る。あたいにはその権限があるからな。特に今回ばかりは中々の強権行使だぞ? なにせ無垢な市民を五人も殺戮した大量殺人鬼を無罪放免するばかりか、自分の部隊に編入させようと言うのだからな!」
ザンナがカラカラと笑っている。ザンナの頭の左右に結ばれた二つの長い髪房が揺れていた。
そんなザンナと共にユウタとカナエは歩く。胸を張って歩くザンナに対し、ユウタとカナエはやや俯き加減。それはまるで刑場に引かれる罪人のようだとユウタは思う。
木陰を抜け、レンガ壁の路地を抜けたその先にそれはあった。ユウタは目の前の建物を見詰める。重厚な石造りの建物だ。
「目的地はここだ。旧王国軍兵舎。今は我ら革命軍の拠点だ! 我々革命軍は今、この場所をただ『兵舎』とだけ呼んでいる」
建物の入口に直立していた兵士二人が姿勢を正し、ザンナに向けて敬礼する。天に向けられるマスケット銃と鉄の鎧の軋む音。ザンナは大の大人、二人に対し崩した敬礼で応えていた。
「ご苦労」
「は!」
そしてザンナは軽く声をかけている。兵士は敬礼したまま固まってしまったように動かない。
「あの、こんなときどうすれば……」
「何もしなくて良い。……まだな。今は黙ってこのあたいに付いて来れば良いさ」
ザンナは開かれた鉄の扉の奥へ、カツカツと足音を立てて進んで行く。ユウタも前へ進もうとして止めた。振り返る。カナエの足が止まっていたのだ。その黒い目は曇り、体はかすかに震えている。ユウタはあたふたと戻り、急いでカナエの手をとる。カナエの手のひらは少し汗ばんでいた。
「大丈夫だよ。行こう、カナエ」
「……うん」
途端に震えの収まるカナエ。そしてユウタとカナエは小走りに、先を行くザンナを追う。
窓から明るい日差しの差し込む兵舎の広い廊下を抜けた先、案内されたのは奥まった一室である。革命軍の大きな旗が掲げられた一室。結構広い。多くの椅子が据えられた大机があるが、今は人間の数よりも空席の方が多いようだ。今、この部屋に居るのは隊長のザンナ、それにユウタとカナエ。そしてザンナの言う遊撃隊の隊員らしき男女が一人づつ。合計五人がこの部屋の主となっている。そう、ユウタとカナエを入れてもたったの五人なのだ。
「あー、んで。この子達が今度の補充兵のユウタとカナエ。仲良くしてやってくれ。教育係はそうだな、廻り番といこうか」
ザンナはどかっと上座の席に腰を下ろすなり、あんぐりと口をあけている部下二人に向かって実に大雑把な紹介でユウタとカナエを引き合わせてくれた。
遊撃隊の二人の隊員。二人とも椅子には座らず、無言で立っている。仏頂面の女、いや少女と若い男。
一人は青い髪と緑の目を持つ、腰まである髪を後ろへ長く伸ばした少女。この人は何だか不機嫌そうに見えた。もっとも、この少女はユウタとカナエから目を逸らし、その両方共に目を会わせようともしない。だが、そうかと思えば時々チラチラとユウタとカナエのほうへ時々盗み見るように目をやっている。このことから考えるに、この少女がユウタとカナエに全くの無関心であるという訳ではないらしい。ユウタは何だか複雑な心境だった。少女はひらひらとした場違いな、精緻な刺繍を施した長衣──よく見れば軍服だ──を着込んでいる。これで軍人が務まるのだろうか。正直言って、ユウタには不思議でたまらない。何だか無性にそわそわする。非常に落ち着かない感覚だ。
対して少女の向かい側に静かに立つ、黒い軍服に包まれた精悍な体躯の男。この男は赤い髪を短く刈り込み、青い目を持っている。この人は青髪の少女とはあらゆる意味で対照的だ。先ほどから無遠慮にユウタとカナエをしげしげと見つめ、いかにも興味津々と言った具合である。男は大きな長剣を腰に二本佩き、堂々と二人を値踏みするように観察しているようだ。ユウタはその視線に思わず背中がぞくりとする。何だか、心の深遠を覗かれている様な気がする。
「……わかったぜ隊長」
「はぁ!? ヴォルペあんた何言ってんの! どうしてこんな子供が」
ザンナの言葉にあっさりと同意を返した赤い髪の男、ヴォルペに青い髪の少女が噛み付く。またここでも子供呼ばわり。ユウタは正直うんざりだ。
「革命は今だ成せず。隊長が判断したんだ。きっと腕利きなんだろ? ……こんなヒヨッ子でも」
「だからって! あたしは認めない!」
ヴォルペは飄々としたものだ。少女の不満を軽く受け流している。
「子供ってお前な。俺に言わせればお前さんも充分子供だ。それにこの遊撃隊は定員割れなんだぞ? このままじゃまともな作戦活動も無理だ。補充はありがたいことだろ? ……しかも二人も。隊長様々じゃないか」
「でも、いくらなんだってこれは!」
少女の不満は止まるところを知らないかに見える。かといって、新参のユウタとカナエに出番があるはずも無い。男、ヴォルペと言うらしき男と青い髪の少女。そのどちらの味方をするわけにもいかない。
それと共にユウタには思うところがある。補充兵。ユウタはがらんとした室内を見回す。この部屋には本当はもっと人が居たのかもしれないのだ。その人たちは離反か鬼籍に入りでもしたのだろう。だから今はユウタとカナエを含めて五人。今となっては実に寂しい部隊と言える。
「そこまでだ。良いか二人とも。この二人はな、このあたいが選んだ貴重な補充兵だ。腕と度胸は保障する。だからくれぐれも使い潰すなよ? ……敵が大反抗を用意しているとの情報も有る。それまでに必ずモノにして見せるんだ。判ったな二人とも!」
「ザンナ隊長!」
今だ不満のありそうな少女を抑えて、二人のお喋りを止めたのはザンナだった。さすが隊長。何だか貫禄らしきものがユウタにも見える。……そう、気のせいではないと思いたいユウタがいる。敵の大反抗と言った聞き捨てなら無い言葉も聞いた。ユウタは改めて実感する。ここは軍。故郷の村ではない。気を緩めることの出来る場所とは程遠いと言える。
「命令はした。実行するんだ。そうだな、まず始めの教育係はお前からといこうか、アークィ」
「ぅゑ!?」
蛙の潰れた様な声を出し、思わず大げさに後ずさるアークィと呼ばれた少女。どうやら青い髪の少女はアークィと言うらしい。
「どうしてあたしが!」
「文句があるのか? アークィ」
ザンナは眉を不機嫌そうに吊り上げ、アークィに食って掛かる。
「お前にも教育が必要か? アークィ」
「滅相も無い! ……ぐぬぬ……文句などありません、失礼しました隊長」
アークィの顔はその言葉とは裏腹に「文句があります」と如実にその事実を語っている。
「諦めろアークィ。じゃ、オレは暫く見物させてもらうから」
「ちょっとヴォルペ!?」
「じゃ、アークィ。後は任せた」
ヴォルペはひらひらと手を振っている。ユウタにはこの男が一瞬でユウタとカナエから全ての興味を失ったかのように見えた。
「ヴォルペ!」
「面白い事やらかすなよアークィ?」
「うるさいわね! ……全くもう、なんなのよ!」
哀れなユウタは三角の目をしたアークィから睨まれる。ユウタは思う。俺はあの人に何か悪いことでもしたのだろうか、と。ユウタはふと隣のカナエを見る。カナエは直立不動で立ち尽くしている。頬を強張らせ、先ほどからピクリとも動いていない。……どうやらカナエは軍というものに未だに抵抗があるのだろう。随分と緊張しているらしい。
登場人物・兵器等紹介
・ユウタ
主人公。十五歳。黒髪黒目。やや黄色の肌。前世の記憶を持つ異世界人の転生体。前世では周囲の人々から白眼視され、酷く苛められていた。我々と同じ価値観を持っているが、前世の恨み辛みから随分と心が捻じ曲がってしまっているのかも知れない。
剣使いである。後の先、つまり相手の行動の先読みをする能力を持つ。愛剣と呼ぶほどの武器はまだ持っていない。
・カナエ
黒髪黒目。十五歳。やや黄色の肌。前世の記憶を失った異世界人の転生体。前世ではその知性と美貌から周囲の人々の憧れを集めていた。ユウタと同じく、故郷の村では『神童』として大事にされ育つ。ユウタとは幼馴染、それもかなりべったりとした一心同体のような親密さである。常にユウタの事を気にかけている。
槍使いである。ユウタと同じく後の先、相手の行動の先読みをする能力を持つ。愛槍と呼ぶほどの武器はまだ持っていない。
・ザンナ
金髪青目。年齢不詳。白色の肌。女性。可愛らしい少女めいた顔に似合わないそれなりに豊満な体型がチャームポイント。革命軍に所属する遊撃部隊の隊長を務める。バトルスタイルはモンク。武装は『雷の爪』という武器であり、雷を纏った極めて希少な小手である。
・アークィ
青髪緑目。年齢不詳。白色の肌。女性。ユウタ達二人に先輩風を吹かせる革命軍所属遊撃部隊の隊員。新参のユウタとカナエに対し何か含みがありそうだ。
・ヴォルペ
赤髪青目の白い肌。年齢不詳。男性。革命軍所属遊撃部隊の隊員の一人。飄々としているが、今のところ何を考えて居るのかわからない人。腰に二本の長剣を佩いている。
・マスケット銃
ここでは、いわゆる先込め式の火縄銃。その命中率は壊滅的に悪く、効果は轟音による威嚇が主なもの。