声と共に
「誰も居ないな」
時折雷鳴が轟く。雨が激しく窓を撃ちつけている。
ザンナの呟きが混ざって消える。白い城館の内部。壁に浮かび上がるユウタらの影。
「ユウタ」
ユウタを呼ぶ細い声。カナエだ。手には白い槍。カナエは見かねてユウタに声を掛けたのだ。
先ほどからユウタの足の震えが止まらない。
知らずの内に歯が鳴る。自己を上回る圧倒的な強者の影に怯える。
みんなの前では大見得を切った。
確かにあの日、自分がスクアーを倒すと宣言した。
だが、こうして静寂の中を歩き、一歩一歩と敵の本拠地、それも心臓部へ歩みを進めていくと──。
怖い。
ユウタは怖いのだ。
「ユウタ」
カナエから手を差し出される。
思わず握る。
──暖かい。
ユウタは救われる思いがする。
せっかく転生して訪れたこの世界。
自分は解放されたと思った。
救われたと思った。
だが、この押し潰されそうな現実。
転生後の田舎の大将で終わっておけば良かったのかもしれない。
バカげた夢など見なければよかったのかもしれない。
だがそれでも。
突き動かされるような、魂の奥底に燻る炎。
これは何だと言うのか。
ユウタの思念?
違う。
ユウタの魂が違うと言っている。
このままでは終われない。
このままなんか認めない。
ユウタはそう思うのだ。
先頭を行くアークィの歩みは慎重で。
ザンナとヴォルペが続く。
赤い絨毯の敷かれた通路の角でアークィは立ち止まり、なにやら細い器具を取り出す。鏡を張った遠眼鏡。
アークィが通路の先を確認する。そして皆に向けて手招く。
──ユウタは胸で支えていた息を吐く。
どうやらこの先も安全のようだ。
同時に逸る気持ちも宥める。
勝負のときは近い。
だが、ユウタはやると決めた。
ユウタはカナエと共に上に上り詰めるのだ!
ユウタもアークィの招きに応え、カナエの後から後詰として続く。
背後に敵の気配は無い。
そして一行は、雷光に浮かび上がった一対の大扉の前で歩を止める。
当然のようにユウタも足を止める。
アークィが皆を振り返り、頷く。眉を寄せた何時に無く真剣な顔。
ザンナが頷き返し、ヴォルペに微笑む。そしてカナエとユウタに顔を向ける。
カナエがユウタに振り向く。カナエの顔は青い。
「大丈夫だ」
──今度はユウタがカナエに手を差し出す番。
握り返された手から、温もりが伝わる。
──暖かい。
何より大切なものと思えた。
『ユウタ』
震える声。だが、その細い声はカナエの声ではない。
かといって、アークィでも、ましてはザンナやヴォルペの声でもない。
声は背から聞こえる。
──まさか、剣?
『そうとも、ユウタ。"石"を持つ者よ』
"石"。この前、カナエとお守り代わりに交換した"石"。
『この扉の先にお前の運命が待つ。覚悟は良いか?』
良いか、と問われても困る。
『ユウタ。定命にてその縛りを解いた者よ。何を慌てる』
それは慌てる。剣が話している。それは、今までもこうして話しかけて来ることはあった。だが、まさかこんな場所、こんな時に何故──。
『我がいる。我を使え。我を信じよ』
それは力強い言葉。
だがそれは、不安を煽る言葉でもある。
『言い換えようユウタ。自分を信じろ。自分自身をな。お前は強い。誰よりも。お前に敵うものなど居ない』
それは無い。
ユウタには確信できる。
カナエと相対しても五分五分なのだ。ましてここにいるアークィ、それにザンナにヴォルペ。彼らの方がユウタの数倍強い。
『勝負をする前から諦めてどうする。我がいる。お前が我を使う。我は強い。ユウタ、お前も強い。ならば我々は強い。そう──誰よりも』
そう言われ続けると、なんだかそんな気分にもなってくる。
ユウタは戦う前から諦めてはいなかっただろうか。以前見たザンナとスクアーの立ち回り。目の覚めるような攻防。そんな次元の違う動きを見せられて、ユウタは自ら臆してしまっていたのではないだろうか?
「行くぞ」
ザンナが一言告げる。
皆が一斉に身構える。
まるで時間が止まっていたかのようだった。
そんな刹那の時間で、ユウタは『剣』と対話していたのだろう。
両開きの大扉が、軋む音を告げて開け放たれる。
赤い煙が足元を覆う。香の匂いが鼻をつく。
大広間。
贅を尽くしたシャンデリアから放たれる高原は、弱々しく広間の全貌を映し出す。
大広間の最奥には人一人は入れそうな箱がある。
いや、さすがにユウタにも判る。
──あれは棺だ。
足元の赤い煙。それはあの棺から漏れ出している。
赤い煙。それは"魔素"に違いない。魔素を無限に放出し続ける箱。いや、棺。
恐らくその中に眠るのは……。
「暫くだな、ザンナにヴォルペ」
箱の陰から二人の人物が現れる。
赤い鎧の騎士と、緑髪の女。スクアーと、もう一人の生き残りの騎士だろう。
「招かせてもらった。ザンナ」
スクアーの顔に笑みが浮かぶ。冷たい笑み。ユウタは思う。
「招待、痛み入る……とでも言わせたいのか? 四騎士の生き残り?」
ザンナの答えも冷淡だ。そして赤い鎧の騎士は言葉も発しない。
「なに、強者に対する礼儀だよ。血塗れのザンナ」
「単に手勢が尽きただけではないのか? お前達の悪行もここまでだスクアー」
「悪行? 笑わせるな、この国を統べる者は強者でなくては敵わない。周りを見ろ。我が国を狙って虎視眈々と攻め入る隙をうかがう蛮族ども。こうして我らが争う事が以下に無益な事か」
スクアーは芝居がかっておどけてみせる。彼女の動きと共に、纏う緑の全身鎧が音を立てる。
「ならば投降しろ。法の裁きを受けろ」
「断る。私は闘いは好きなのだ。圧倒的な勝利も。絶望的な戦いも。そして一応、このペステ伯爵には恩義が有ってね」
この、というからにはやはり棺の中にはペステ伯爵が眠っているのだろう。今この瞬間にも赤い魔素を垂れ流す棺の中に。
ユウタは先ほどの剣の言葉を思い出す。
『この扉の先にお前の運命が待つ。覚悟は良いか?』
運命。
それはスクアーの事だろうか。
ユウタの中で何かが噛み合わない。
ユウタの実力と、スクアーの実力。
圧倒的な開きがある。
だが、『剣』は言った。
『"石"を持つ者よ』と。
"石"を持つ者、ユウタとカナエにしかできない何かが有るのではないか。そう思わせてくれる。ユウタの目が今もザンナと舌戦を繰り広げるスクアーから、魔素を垂れ流す不気味な棺に向かう。
怖気が走る。気のせいではない。
膨大な魔素。
余りに異常だ。
赤く立ち昇る煙。
漏れて湧き出す煙。
気のせいか、先ほどよりその放出量が多くなっていないだろうか──。
「時間稼ぎだよザンナ隊長! 早くあの『棺』を何とかしないと!」
ユウタは声を上げていた。
理由はない。ただの直感だ。




