雨と共に
空を覆う分厚い雲は驟雨を皆に纏わりつかせている。
廃墟となった無人の村に降り続く雨。村に人の気配はない。積み上げられた干草。蜘蛛の巣の張った竈。開け放たれた牛舎。……全ての時が止まっているようだ。
村人はどこへ消えたのだろう。家畜はどこへ行ったのだろう。
生き物の気配はない。
「……先を急ごう」
ザンナの号令に皆、無言で従う。湿る外套、徒歩での移動。
黒い異質な土地が広がる。
草木はあらぬ方向に捻じ曲がり、岩もなんだか人めいている。
雨の中、奇怪な鳴き声をあげながら黒い鳥が飛び立つ。
「気味の悪い土地ね」
青黒く長い髪が揺れ、アークィがぼやく。背負った長物から雫が絶え間なく滴る。
「……なぁに、歓迎してくれているのさ」
「最悪。ヴォルペ。あなたの冗談は面白くないわ」
機嫌が悪い。
言わなくても判る。下着まで濡らしそうな霧にも似た驟雨。そこかしこに化け物が潜んでいそうな怪しげな土地。
「……そいつは……悪かった」
「……」
ヴォルペのにやけ顔にもいつもの元気はない。そんな中、五人は進む。
それからは、ただ黙々と。
北部辺境。ペステ伯爵領。遠くで雷鳴が轟く。そこは暗く寂しげな土地だった。
近づく蹄の音。一つ、二つ……いや、単騎か。
アークィが長物を降ろす。ヴォルペが腰の剣に手をかける。
霧を裂いて近づく影を前に、ザンナが左手で皆の進行を制する。皆の足が止まる。
それは鞍を乗せた無人の黒い馬だった。青白い息を吐く馬。黒い眼窩に赤い目が光る。鞍には、何か紋章のようなものが描かれている。
「魔獣……? ペステ伯爵家の紋章?」
ザンナが漏らしたその言葉。
その言葉に答えるように、馬めいた何かが高く、高く嘶く。
林の中に気配が膨れ上がる。無数の気配が現れる。赤い二つの光が一対、二対、また一対……。そこにも、あそこにも!
「……囲まれて! ザンナ隊長、俺達は囲まれて!」
ユウタが叫ぶ。カナエが白い槍を青い軌跡と共に構える。ヴォルペが剣を抜いた。四人でアークィを囲む。
林から跳び出てくるのは紅い目の獣たち。
異形。
「……っ!」
カナエが目を見開く。息を呑む。
ユウタも同じだ。こんな連中、見たことがない。
「ザンナ隊長、これって!?」
あるものは赤い光を皮膚の割れ目から噴出して。またあるものは二つの首をそれぞれ動かして。牛……豚……鶏……そして、あってはならないものの姿も見る。
人。
いや、人の一部。もっと詳しく言うならば、人の一部を張り付かせた獣……魔獣。
「敵だ。ユウタ。……カナエ、行けるな?」
「……はい」
小さいながらも、はっきりした返事。ザンナの低い声に、カナエの目に色が戻っていた。
「だから言っただろアークィ? こいつら俺達を歓迎してくれているんだって」
「うるさいわね。さっさと片付けてよヴォルペ!」
ヴォルペの剣が跳びかかる魔獣の喉を裂く。赤い血が飛び散り、湿った音を立てて魔獣が地に落ちる。赤い魔素が天に昇ってゆく。
「やはり魔獣か」
ユウタは目の前の四足の魔獣の動きを読む。線が見える。ユウタの喉笛目掛けて曲線を描いて。ユウタの剣がそれをなぞる。剣は魔獣の牙をへし折り、口蓋を裂く。
カナエが槍を繰り出す。それは魔獣の喉へ突き立つ。
「カナエ、大丈夫?」
「ユウタこそ」
「うん」
ザンナが雷を振るう。紫電が舞う。雷光が天空より飛来し、馬を直撃する。
「考えるのは後だ。とにかく今は目の前の敵を片付けろ……!」
剣が振るわれる。槍の穂先が煌く。銃端が魔獣の頭を砕く。拳が魔獣の首筋に突き刺さる。
切る。叩く。砕く。殴る。
幾度それを繰り返しただろう。
息も上がってきたその時だ。
「何をしているユウタ。終わりだ。……周囲を見ろ」
雨はまだ降り続いている。驟雨。
霧が濃い。
そして五人の周囲には赤い霧が濃く舞っている。魔素、だ。魔素は赤い霧となり、天空へと昇って行く。魔素の起点には折り重なった魔獣の死骸。
「何なのだろうな?」
死骸を見つつ、ザンナがぼやく。
「ペステ伯爵……確か悪趣味な方でした」
「ほう? それはヴォルペ、このことと関係が?」
「隊長は今の仕打ちが上品だとでも?」
ヴォルペがおどけてみせる。
「いや、全く。……これっぽっちも」
「そうでしょう。悪趣味で嫌味。それが俺の知るペステ伯爵です」
「人体実験か」
「貴族以外は人も家畜も同じという事なのでは?」
「……」
ヴォルペの視線の先。そこには千切れた人の腕と、砕けた馬の鞍が転がっていた。
◇
稲光を背に、黒く浮かび上がるペステ伯爵の城館。
あの豪華絢爛だった公爵の館とは真逆に、吸血鬼でも出そうなくらい陰鬱な姿。白い欠けた壁は緑の蔦に覆われ、幾つもの尖塔を持っている洋館。いや、城館か。
「ここまで何も無かった。僥倖とすべき?」
アークィの声だ。
さっき手荒い歓迎を受けたけど? もう忘れたのだろうか。
ユウタは思うが口には出さない。ここでアークィの機嫌を損ねても仕方がないから。
「相手はあのスクアーだ。誘ってるのさ」
ヴォルペは笑う。
「あたいもヴォルペの意見に賛成だ。未知の魔道機の可能性もある。全ての可能性を捨てるべきではない」
ザンナが言い含めるように口にする。
「お硬いのね」
対してアークィは呆れたかのように吐き捨てる。
「緊張しているのかアークィ。お前は何時に無く饒舌だぞ?」
「悪かったわねヴォルペ!」
雨中に消えるアークィの大声。
それは最早、定番となった二人のやり取りだ。
ユウタの重く沈んでいた気持ちが軽くなる。それはカナエにとっても同じだったらしく、心なしかカナエの表情も緩んでいた。




