軌跡と共に
兵舎を横に見据える中庭は、即席の訓練場と化していた。
中央に二刀を持って構えるは遊撃隊の古参剣士ヴェルペ。そしてそのヴェルペを挟み込むように立つ二人はまだ子供と言って良い年齢の若者達だ。少年と少女。二人はその名をユウタとカナエと言う。この二人は最近遊撃隊は配属されたばかりの新兵である。男の子の方、ユウタは剣を。女の子の方、カナエは槍の代わりに棒を構え、中央のヴェルペに相対している。
「さて始めるか、二人とも」
ユウタとカナエ、この二人はヴォルペと二対一。ユウタは思う。二対一だと言うのにこの身に受ける風圧はなんなのだろうと。ヴォルペから伝わる気迫。先ほどまでとはまるで違う。飄々とした掴みどころの無い男、そのヴォルペはここにはいない。いるのはただ圧倒的な存在感を放つ一人の武人。二刀を隙無く構え、ユウタとカナエ、剣と棒に対して間合いを計る一人の武人がいるのみだ。その眼光は細く鋭くユウタとカナエ、二人を射竦めるかのよう。人はここまで変われるものかとユウタは思う。
「判った」
「ええ」
ユウタの応えに、カナエが同調する。
カナエが摺り足でゆっくりと、ヴォルペの周りを円を描くように回り始める。その視線はヴォルペを見据えたままだ。ユウタはカナエの意図を察し、同じ方向へと回り出す。ヴォルペと一定の距離を保ち、決してその間合いに入らないように。くれぐれもカナエと歩調を合わせて。そうだ。二人はヴォルペを挟み撃ちにする腹積もりなのだ。
──その意図はヴォルペにも容易く伝わっているのだろう。
それでもユウタはカナエを信じる。いつもは魔獣相手にやって来ていた事を今回ははヴォルペに対してやってみせているだけ。それに今日のユウタ達はアークィの時とは違う。先日のように、遠方から冗談のような兵器で狙い撃ちされるような状況とは違うのだ。ユウタは慎重に歩を進める。視線の先はただ一点。ヴォルペを見据えるのみだ。ヴォルペに動きは見えない。まだ動く気が無いのだろう。
「ほう。連携はまずまず合格点かな」
そんなヴェルペの言葉がユウタの耳に入る。予想通りだ。しかしユウタは動じない。無心になれ。ただ獲物の事だけに集中しろ。
──それが狩の鉄則だ。
敵は今、ユウタの目の前にいる。その向こうに敵を挟んでカナエ。ユウタにとって磐石の布陣といえる。ユウタは回る。カナエも回る。ヴォルペの目はユウタを追い、そして同時にカナエをも追っているはずだ。
ユウタは思う。さぁ、狩を始めようカナエ。獲物を仕留めよう。俺達なら出来る。俺とカナエならば出来るはず。
──カナエが動く。ユウタは予感する。
予想通りの軌跡を持ってカナエが動く。棒を突き出す。ヴォルペが弾く。カナエが蹴り込む。ヴォルペが受ける。ユウタが回りこむ。ヴォルペの片一方の剣。上段から来る! 期待通りのヴォルペの一刀。ユウタは受ける。ヴォルペに続く動きは見えない。痺れる一撃。重い。ユウタが思っていた以上に重い一撃。ユウタは足を踏ん張り何とか剣を滑らせる。甲高い音と共に鋼の擦れ合う火花が飛び散った。
──カナエが動く。そのはずだ。
カナエの突き。突きの乱打、連続突き。ヴォルペが受ける。そのことごとくをもう片方の剣で受けている。だが、ユウタの予想に反してヴヴォルペは上体一つ揺らさない。
「なかなかやるねぇ、ユウタにカナエ」
ユウタには余裕すら感じさせるヴォルペの言葉が聞こえる。だが無視。今こそ集中だ。
ヴォルペはユウタと打ち合う剣を引く。そしてカナエが棒で大きく足元を払う。後は続く剣撃をまるで予感していたかのように、ヴォルペはカナエの払いをひらりとかわし、後方へ跳躍しつつ地上に降り立つ。
「ふぅ、やるねぇ」
仕切りなおしだ。またもヴォルペを間に挟み、ユウタは剣を、カナエは棒を構える。そして回る。ヴォルペを中心にユウタとカナエは回る。
ヴォルペの意識がこちらに向かうのを感じる。だが、ヴォルペはユウタに対し何もしてこない。ヴォルペの動き。カナエに向かって線が見える。カナエを先に相手と見定めたのだろうか。ヴォルペはカナエの懐に飛び込む。カナエは棒を回転させ風車と化す。ヴォルペの剣の鈍りとカナエの防戦。これは好機とユウタが切り込む。ヴォルペはもう片方の剣で受けようとするはず。ほら、ヴォルペはもう一本の剣でユウタの剣を受ける。ここまでは先ほどと同じ。だがヴォルペは攻撃の矛先をカナエに集中している。防戦に徹したカナエ。ヴォルペの上段、下段、中段……カナエはそれを受ける、受ける。受け続ける。カナエが弾く。ユウタが押し込む。またも鋼が擦れる音がする。再度ユウタの剣から火花が跳んだ。
「ユウタ!」
「カナエ!」
カナエの誘い、攻撃の催促にユウタは応え剣を押し込む。じりじりとせり上がる剣先。速度を増してヴォルペに迫るその切っ先。ユウタの目の前にヴォルペの顔が迫る。正にユウタが取ったと思った瞬間だ。ユウタは二本の軌跡の線を見る。
そのとき何が起こったか。
ユウタの体が宙に浮く。カナエの細い体が「く」の字に折れる。ヴォルペが気合一閃、ユウタを剣で、カナエには体当たりで二人共に力で弾き飛ばした──かに見えた。
ユウタはヴォルペの強力を逆に利用し後ろへ跳んだ。打ち合わされていた剣と剣の間に火花が散った。ユウタは剣でヴォルペの剣の勢いを殺しつつ跳んでいる。カナエが「く」の字に折れて見えたのは、体当たりを間一髪で見抜いて後ろに跳んだから。ユウタとカナエ、二人はほぼ同時に着地する。
距離が開いた。ヴォルペの軌跡は確かに見える。だが、力で押し負けているようでは話にならない。
「さすがだな。隊長が見込んだだけの事はある、か」
──強い。優男に見えるのは外見だけ。なんという豪腕だろう。動きを読む読まないの話では無い。ユウタは思う。これは作戦を練り直しかもしれないと。
どうしたら良い? ユウタは考える。だが、考えつつもとっるべき行動は同じ。一撃必殺の世において、奥の手は一つで良いのだ。一度倒せば同じ相手とは二度戦うことは無い。その一つに磨きをかける。その事こそ重要。だからユウタがやることは同じ。ユウタが回る。カナエも回る。再び回る。ヴォルペを中心とした二人はその回転の速度を上げていた。ヴォルペは相変わらず二人の間に仁王立ち。
「お前達も飽きないな」
ユウタにとって状況に変化は無い。それはユウタの相方のカナエにとっても同じ。だが焦りはしない。敵、ヴォルペは手練だ。間違いなく強い。だがそれがどうした。俺とカナエなら勝てる。ユウタにはそう信じれる。なぜなら、先ほどの踏み込みの失敗にも関わらず、ヴォルペの向こう側にいるカナエの黒い瞳の放つ光が未だ死んではいないから。ユウタはカナエの黒い瞳を見詰める。目が合った。ユウタは視線をヴォルペに戻す。ヴォルペはまたも動かないはず。ほら。ヴォルペはやはり来ない。
「やれやれだ」
今の絶対の隙。その明らかな誘いの隙をヴォルペは突いて来なかった。これの意味するところはユウタとカナエが遊ばれているか、ヴォルペに実力が無いのかのどちらか。ユウタはもちろん前者と見る。油断してどうする。相手は間違いなく強い。ヴォルペはザンナ隊長やあのアークィのような人物のいる化け物軍団の一角だ。弱い訳が無い。遊ばれて居るのはユウタとカナエ。その認識で間違いないとユウタには信じれる。
ユウタは回る。カナエも回る。そうしてかれこれ数刻が流れようとしていた。
「ユウタにカナエちゃん。来ないのかい?」
ヴォルペのあざけるような声。ユウタは思う。気にすることはない。ただの揺さぶりだ。ヴォルペにもっと確実な、絶対の隙が出来るのをユウタはカナエと二人でゆっくりと待てば良い。
「……動じない、か。それも良し。じゃぁ、こちらから行くぜ!」
今比べに飽きたのはヴォルペだった。
ヴォルペのその言葉と共に、ユウタとカナエを風が襲う。いや、気迫が膨れ上がったのか。ユウタは後ろへ跳んだ。カナエも跳んだ。信じられない事だが、ヴォルペの攻撃範囲が広がったのが自覚できる。ヴォルペの動きを示す線が伸びる。ありえないことだが真実だ。見える。見えるのだ。今までユウタやカナエがいた場所に、ヴォルペの剣先の軌跡が余裕で届いている。バカな……。これがヴォルペの『技能』だろうか。
「おや、その場所で良いのかい?」
「え?」
ユウタはヴォルペの笑みを見る。
次の瞬間、砂塵が舞うと共にユウタの目は星を見た。
頭の天辺が痛い。酷く痛い。予知していたのに。ユウタの頭が剣の腹で頭を叩かれたのだ。ヴォルペは一歩も動いていない。だがユウタは頭を剣の腹で叩かれた。ユウタは気づかぬ間にヴォルペの攻撃範囲内。線が、攻撃予想円内にあった線が延びている。ヴォルペの爆発的な気の解放。ユウタは下唇を噛む。
──予想外だった……。
「気だ! 気迫で敵を圧倒しろユウタ! ……こんな風に」
ヴォルペは不出来な生徒に叫ぶ。今一度爆発的に膨らむ気。ヴォルペの軌跡が今度はカナエの頭へ。
「カナエ!」
ユウタは叫ぶ。だが間に合わない。
ヴォルペのもう片方の手に握られていた剣の腹が今度はカナエの頭をコテッと叩く。ヴォルペに動きはやはり見えない。たちまちカナエは棒を取り落とし、頭を両手で押さえて痛みに耐えているようだ。
ヴォルペは確かに俺とカナエ、両方に届く距離まで移動し剣の腹でそれぞれの頭を叩いたのだ。恐るべきはその速度、その気迫。何度も何度も何段もかけて徐々に膨れ上がったその闘気は飄々としたいつものヴォルペのものでもなく、最初に見せた武人のヴォルペのものでもない。まさしく英雄のそれ、化け物そのものともいえるヴォルペの鬼気迫る気迫だった。
ユウタにはヴォルペの辿る軌跡は見えていた。おそらくそれはカナエにも。だが、ユウタはそれに反応する事ができなかったのだ。
「外見で判断するな。本質を見るんだ。小手先の技ではなく相手の本当の手を予想しろ。そして自分は相手を騙せ。真の実力を見せるな。実力を読まれたときが死ぬときだと思え」
ユウタは学ぶ。ユウタはヴォルペが自分の手の内を見せて教えてくれたその気迫を何とか読み取ろうとしようと努める。思い返す。
ユウタにはヴォルペがとても大きく見えた。
「一人づつだ。来いよ。基礎から叩き込んでやる」
ヴォルペが片方の剣を捨て、まずはユウタに向かい合う。真摯な人だとユウタは思う。稽古をつけてくれるのだろう。今はそれがありがたい。カナエが見ている。下手なところは見せたくない。
やがて演習場に剣の打ち合う音が何合も続く。ユウタはそれを少しでも自分のものとしようと足掻く。剣が鳴る。それも何合も。右、左、下段……いや上段。ユウタには見える、ヴォルペの動きがまだ見える。やはり先が読める。
「強くなりたいか? ユウタ」
「もちろん!」
「それじゃ、仕切りなおしてもう一回だ!」
え? 中段……っ!
突如ユウタの剣が跳ね飛ばされる。ユウタの喉元にはヴォルペの剣先があった。ヴォルペの動きは見えていた。だけど、体の動きが追いついていなかった。ザンナのときと同じだ。体が、ユウタ自身の体が追いついていないのだ。
「言ったろ? 相手が何処を狙っているのか予想しろと。本当に狙っている場所がどこかを見出すんだ。……とにかくお前は死んだ。だが、今はまだ生きろ」
もう一度手合わせだと言う意味だろう。
ユウタは転がっていた剣を拾う。そしてユウタは自分の力がまだまだである事を自覚する。そう。ユウタはそして、今度こそはと剣の柄を力強く握り締めるのだった。
2016/08/30 誤字脱字訂正等、若干追記