剣士と共に
春の柔らかな日差しが降り注ぐ、そんな穏やかな時間。そこには時ならぬ金属音が何度も響いている。ユウタとカナエだ。彼らは兵舎の横手に併設された、即席の練習場と貸した中庭にいる。
「カナエ、疲れたか? 槍に振り回されてるぞ」
「ユウタこそ剣先がぶれてる!」
跳んでは薙ぎ、かわしては払っていた二人。そして訪れたしばしの静寂。ユウタとカナエは各々の武器を手に睨みあう。
「ばれていたか」
「あはは」
カナエの微笑を見てユウタも相貌を崩す。そろそろ休憩したい。ユウタは思う。
カナエが一歩下がって鋼の槍を下ろす。休憩の合図への返答と見える。良し、ちょっとだけ休憩だ。
「それよりも戦況はどうなっているんだろうな」
「何言ってるのユウタ。今朝もそれでザンナ隊長に叱られたじゃない」
「そんな事言っても、気になるんだから仕方ないだろ!?」
「でも、私たちの腕じゃまだまだだって、アークィさんに思い知らされたばかりじゃないの!」
ユウタが突き進もうと暴走すれば、カナエが安全策を説く。ここのところの日課といえた。
「それはそうなんだけど……やっぱり気になるじゃないか」
「もう。ユウタってば」
二人は木陰で座り込む。静かな春の風が二人を弄っている。
「さて、再開するかカナエ」
「うん、ユウタ」
二人が剣と槍をお互いにむけて構え、距離を取る。
そしてまたも数合。
お互いの汗が飛び散り、ユウタの剣が空を裂き、カナエの槍が宙を舞う。
そんなときだった。
兵舎の屋根を支える太い柱の影から声が降る。
「よう。ユウタとカナエだったか? そんな動きじゃ、まだまだだな。アークィの盾にも成りきれないぞ?」
「……すみません」
それはユウタとカナエの仲間、遊撃隊の一員である赤毛の男ヴォルペの声だった。その青い目のもたらす視線がユウタとカナエを真っ直ぐに射抜いている。鍛錬を行う二人の様子を影から見ていたのだろう。このヴォルペの存在にユウタには気付けなかった。カナエの驚いている顔から察するに、カナエもユウタと同じくヴォルペの存在には気付いていなかったようだ。剣士ヴォルペ。やはり違う。気配の消し方殺し方。場数を踏んだ者の姿がそこにある。
素直に謝るユウタ。こればかりは仕方がない。なにせ、本当の事なのだから。
「やれやれだな。このままだとお前達、直ぐ死ぬぞ?」
ユウタは息を呑む。ここまではっきり言われるとは思わなかった。
「ことこの遊撃隊に限っては初陣で生き残るのは三割だ。中には訓練で命を落とすものもいる。理由が判るかい?」
「いいえ」
ユウタは思う。三割。なんと絶望的な数字だろう。それに、訓練で命を落とすって……ユウタの脳裏に蘇るのはアークィの持つ凶悪な銃器。やっぱりアークィは本気で殺しに来ていたんだと今更ながらに痛感する。
「心構えがなっていないからさ。いや、心が構える前に訓練不足で体が動かないのだろうよ」
「う゛」
それを『心構え』の一言で片付けられる。理屈では判っていても、戦場の空気をユウタは舐めていたのかも知れないと今更ながらに思う。
「体で覚えるんだ。命の危険を体で覚えろ。そしてその時に動くように、動けるように鍛錬する。……要は度胸さ」
「はい」
度胸。ユウタはそれが自分に備わっていると思っていた。だけど先日、アークィがそれを文字通り粉々にしてくれたではないか。あの訓練には正に命の危険があった。
「で、アークィのシゴキはどうだった?」
アークィの放つ閃光と轟音が蘇る。肌立つ鳥肌。恐怖をユウタは覚え得ている。それに先ほどのヴォルペの言葉がユウタに突き刺さる。『まだまだだ』。そんな事は判っている。だからこうやって暇を見つけては練習しているというのに。
「どうだったもなにも、何ですかアークィのあの武器は。あんなの人間業じゃありませんよ。それにあの人……時々怖い時があります」
ユウタは正直に言ってみる。
青髪の少女、派手な服見せびらかすように纏っていたアークィのシゴキ。それは地獄の特訓とでも言うべき恐るべき教練の数々だった。ユウタは自身の直ぐ傍を走り抜けていたあの恐るべき光の束を思い出す。口に出すのも恐ろしい。少しでもあの訓練で遅れをとれば、確実に自分達は殺されていた。
「いや、普通の武器だろ」
「普通!? あれで普通なんですか!?」
『あれ』。色々な意味にも取れるが『あれ』は『あれ』だ。そんなユウタにヴォルペは頭を掻いている。そして出てきたユウタへの答えは実にあっけらかんとしたものだ。
「アークィが怖い? まぁ、危ういのは皆同じだ。気にすることはないさ」
「アークィは酷いです。後輩として可愛がる、自分と仲良くしましょうと言っておいて、訓練では俺達を本気で殺しにかかって来るんですよ!?」
「それは仕方のないことだ。実戦形式って奴だろ? 手加減してまともな訓練になるか?」
実戦形式。……とはいえ、限度があるだろうとユウタは思う。
「……とはいえ、アークィの武器を普通と言っては誤解されるかな。確かにアークィの銃は特別だ。それにたいした威力だ。だが、要は当たらなければ良いんだ」
ユウタは嘆息する。簡単に言ってくれる。当たらなければ良い。確かにそうだが……常人なら死ぬ。常人でなくとも一瞬の油断が命取り。でも、まぁ……確かに当たらなければ、回避できるのならば構わないのかもとユウタは思う。実際、ユウタとカナエもそうして生き残ったのであるから。
「それはそうですけど」
「あの武器は短時間での連射がきかないようだ。だからアークィはあまり多人数を相手するのには向いていない。その弱点を補ってやる事が、俺達の仲間となったお前達に求められている事だろうよ」
やっぱりだ。アークィはザンナ、アークィ、そしてこのヴェルペの内で一番の下っ端だったのだろう。とはいえその強さ、兵士としての攻撃力の凄まじさはこの前ユウタがその身を持って思い知ったばかりだ。アークィの所持する愛銃、連射のきかないという射撃武器。とはいえ一発があの威力だ。恐ろしい武器である事にはなんら変わりは無い。
「でも、あんな恐ろしい武器がこの世に存在するなんて」
「なぁユウタ。そしてカナエ。古代文明の遺産。その話をお前達は聞いた事がないか?」
ヴォルペの口から出た聞き慣れない単語。古代文明の遺産。何の事だろうと思う。
「ありません」
「私も無いです」
「そうか。それは残念だ」
ちっとも残念そうに見えない顔でその言葉を口にするヴォルペ。ユウタは思う。ヴォルペはその辺りの話に詳しそうだ。ちょっとだけ話してもらうのも良いかも知れない──。
「あの、教えてくれませんか? その武器の事。アークィさんのこと」
ユウタが口にするより先に、カナエが身を乗り出してヴォルペに聞いていた。ユウタには珍しく感じられた。カナエが自己主張するなど、何時以来だろうか。でもユウタは知っている。大体こういったときはカナエが無理をしそうな時なのだと。ユウタは思う。カナエのことをもっと気にしてやろう。もっと気にかけておいてやろうと。きっとカナエは気が張っているのだろう。そうユウタは感じたのだ。
「ん? カナエちゃんどうした?」
「お願いです、教えてくださいヴォルペさん」
「そうか。美人のお嬢ちゃんの頼みとあってはこのヴォルペ、とても断れないな」
ヴォルペの目が光る、ユウタはその一瞬の輝きを見逃さない。今、ヴォルペは何かとても大事な事を伝えようとしてくれている。ユウタにはそう思えた。
「……あ、ありがとう……ございます」
「いやいや、気にするなって。それにユウタ、お前も聞いてみたいだろ?」
「それはその……まぁそうですけど」
ここは正直にユウタは答える。自分を偽っても仕方のない場面だから。そして何より、ユウタ自身もその話を聞いてみたい。
「良いだろう。教えてやろうじゃないか」
ヴォルペはまるで優しい家庭教師のように、かつてこの世界で繁栄していたらしいすばらしい古代文明、そしてその遺産の事をとうとうと語り始める──。
春の風が流れる。穏やかな時間だった。
「と、言うわけだ。今となっては作る事も適わないような超兵器。危険渦巻く遺跡の奥深くに眠る魔法と見まごう道具の数々。それが古代文明の遺産なんだ」
ユウタは思う。一言で言えばヴォルペの話は荒唐無稽。ユウタが前世で聞いたムー大陸やアトランティスの話と変わらない。だが、ユウタは知っている。その古代文明とやらの名残、アークィやザンナが持つ恐るべき超兵器の事を。だから、信じざるを得ない。耳を傾けざるを得なかった。
「……それにしても、どうしてそんなものをザンナ隊長やアークィが持っているんです?」
ユウタは聞く。実に素朴な疑問と言える。
「さてね。俺が隊長やアークィに出会ったときには奴らはあれらを既に持っていやがったからな。遺跡から掘り出したとは思えないから、おおかた運よく敵さんからでも奪ったか、倉庫にでも眠る武器を見つけたんだろ」
ヴォルペの答えは簡潔だが曖昧だ。ならば浮かぶ疑問は後一つだけ。
「どうして敵がそれを大々的に使わなかったんでしょうか。あの力を使えば革命なんて、とても成功しなかったはずでしょう?」
ユウタは思うのだ。そんな超兵器がある以上、敵がそれを使って来ない訳が無い。しかも相手は反乱軍──今は革命軍と名乗っているが──で、しかも王や貴族たちの圧制は横暴を極めていたと言う。ならば、貴族たちにとって民衆率いる反乱軍はゴミのようなもので、そんな相手に便利な武器の使用を遠慮したとは思えない。
「ああ、そこからか。そうか、そうだよな。お前らが知らなくても仕方がない。遺産にはそれぞれ使い手との相性があるらしいんだ。誰もがその品を使えるわけではないらしい。その遺産に認められた、選ばれた存在だけが遺産を使いこなせるって寸法さ。だから、遺産が発見されてもその多くは使われないまま倉庫の奥で眠る事になる。……これが真相だ」
ユウタは思う。使われるだけの道具であるはずの武器が、自身を使う人間を選別しているとは。いや、万人が使える武器ではないと言う事だろうか。使いこなせないのではなく、使う事自体ができない道具。……確かにそれを使えない人間にとって、お荷物以外の何物でもない。
「使いこなせる人と使いこなせない人がいるって事?」
「簡単に言うとそうだ。何事にも例外はあるがな」
ユウタの予想は当たっていたらしい。ユウタは隣に佇む黒髪もたなびくカナエを見る。その黒い目の光から察するに、今のヴォルペの話を理解はしているらしいようだ。
「例えばこの二本の長剣。青の三日月と赤の三日月って俺は呼んでいるが、俺が手にする前は誰も使いこなせなかったらしい。遺産が俺以外の人間の使用を拒否していたって訳だ。だから、連中……旧王国軍の連中だ。今は王党派と俺達は呼んでいるが、こいつらのほとんどは隊長やアークィの使う化け物じみた遺産を使って攻めて来ない。……この世には化け物は早々いないんだよ。少しは安心したか? 少年少女?」
ユウタは少しバカにされた気分だったがそれはそれで仕方がない。ユウタにはこの世界について知らない事があまりにも多すぎる。
「で、でもまれに遺産を使いこなせる人間はいるんでしょ? もしそんなのが現れたら……」
一つの疑問が片付き、一つの不安が生まれた。『化け物』、すなわちユウタら『能力』持ちの事だろう。そういった人間は早々いない……でも、可能性はゼロじゃない。
「アークィにはそれが出来た。アークィには遺産を使いこなす力があり、そしてその狙撃の腕前を持って『遺産持ち』とも戦えた。アークィに出来てお前達が出来ない理由はない。ユウタにカナエ、お前達はもう気付いているかもしれないが、アークィは優しいから少し心が疲れている。だから必要以上にお前達二人に絡むんだ。判ってやってくれ」
「俺達に、その『遺産持ち』と正面から戦えと?」
「相手がその切り札を切って来た時はな」
「切り札……」
それだけ『遺産持ち』が強いという事なのだろう。ユウタは容易に理解する。
「『遺産持ち』は切り札だ。戦場の趨勢を支配する。お前たちが、『遺産持ち』と戦う、か……。場合によってはそれも良いだろう。だが、お前達はまだ敵を知らない。戦い方も甘い。だから──」
ユウタはヴォルペの言葉を待てず、ついつい先を求めてしまう。
「俺達が扱えるかもしれない遺産の予備があるんですか!?」
「ん? 無いぞそんなものは」
期待していたユウタはがっくりと肩を落とす。ユウタの時代はまだ始まってもいないようだ。
「だから、その時こそ俺達『遺産持ち』の出番だ。敵が『遺産持ち』を出してくれば、その時は同じ『遺産持ち』の俺達が倒す。力には力ってわけだ。力と力、純粋な暴力のぶつかり合いになる。めったに無いことだから安心しろ。それより基本を命一杯練習してどんな状況にも対応できるように腕を磨け。俺やザンナ隊長を支えろとは言わない。むしろ背後がおろそかになり、どうしても隙の大きくなりやすいアークィを支えてやってくれ。俺から言えることはそんなところかな」
「は……はい」
「判りました」
『遺産持ち』。ユウタとカナエはヴォルペにそう答えるものの、怖いものはやはり怖い。その敵として現れるであろう『遺産持ち』とやらがザンナやアークィ、そして目の前のヴォルペを越える実力の持ち主だとしたらどうしよう。そんな思いがユウタの頭の中を過ぎる。そんなユウタらの反応を見透かしたように、ヴォルペは優しく二人に囁く。
「なぁに、遺産なんて所詮は本人の使い様だ。使い手の腕が悪ければ、何の役にも立ちはしない。必要以上に恐れるな」
ヴォルペはそう言ってくれたが、どうにもユウタの気持ちは沈んだままだ。
「そうだな、あと俺に出来る事はこれしかない」
ヴォルペは腰に佩いた二本の剣を叩く。
「さすがにこの魔剣との真剣勝負は拙いだろうから、刃を潰した剣を持って来るわ。ちょっとそこで待ってろ」
「え」
我ながら間の抜けた返事だとユウタは思う。
「今から俺様がお前達に稽古をつけてやると言っている。構わないよな、ユウタ」
「あ、はい」
「……それからカナエちゃんも」
思わずそう答えたユウタだが、急にカナエの様子が気になった。カナエの姿が視界の端に映る。
カナエが震えていた。何か言いたそうなのだが……いや、カナエはおずおずと言葉を口にする。
「あ、あの私、剣は……」
「ああ、カナエ嬢ちゃんは槍だったな。長い棒を持ってくるからそれを使うと良い」
「あ……はい」
ヴォルペとの初手合わせ。カナエの顔が強張っている。本格的な鍛錬らしい鍛錬の予感にユウタは緊張で身を震わせた。
16/08/14 表現の酷かった部分を修正。若干の記述追加
16/08/22 冒頭部、アークィに関する記述を追記
16/08/30 ヴォルペの台詞、アークィや『遺産』に関する記述などを中心に改稿