夢のような
―まさか、まさかな。正体がバレたのか?今なら幸いにも少人数だ。ルナを連れて逃げるか。
動揺を悟られぬようなるべく平静を保とうとするも目は自然とルナの位置を確認し、脚はスタートダッシュをきれるように力が入る。
「なるほどな。まあ、これからよろしく頼むぜ。」
すると意外なことにレッカはあっさりとその身を翻す。妹のスイが無表情かつ無機質に兄の言動の意図を簡潔に説明した。
「すみません。うちの兄、頭があれでして。とある方を見て、突然何かを悟ったように振る舞うことがかっこいいと思ったらしく、いつも真似事ばかりしていたら自然とああなってしまいました。意味深なセリフや行動には大体なんの意味もありませんから気にしないでください。」
「え?ああ、うん。うん?」
突然の事態に状況を呑み込めずにいた。つまり…レッカのセリフは当てずっぽうのハッタリだったというわけなのだろうか。困惑する気持ちがトーリの頭の中でぐるぐると渦巻く。ちなみに突然何かを悟ったように振る舞うそのお方には心当たりがある。冷や冷やさせるなよ、と文句を言いたくなったがそれを言ってしまったら今度こそアウトな気がするのでぐっと堪えた。
「スイ!頭があれってなんだよ!」
「兄さん、言わないとわかりませんか。あなたは頭が悪いんです。緩いんです。痛いんです。ですが仕方ないので、そんな兄さんの妹の名誉のために訂正しましょう。私の兄は頭が『あれ』ではなく『あれら』なんです。そう、『あられ』なんです。頭がお菓子、いえ、おかしいんです。」
「くっ、何を言っているのかわからんが馬鹿にされている気がする…。」
「気がする」ではなく本当にレッカはひたすら妹から罵声の嵐を受けているのだが、どうやら言葉の理解が追いついていけていないようだ。なんとなくこの二人の本当の力関係が垣間見えた気がした。トーリも正体がバレてしまいそうになったことなんてとっくに忘れて二人の会話劇、否、スイの怒涛の皮肉を楽しんでいた。
「だああっ、わからん。要約しろっ。」
「つまり、兄さんは底抜けの馬鹿なのです。」
「うっ…。」
勝負あったみたいだ。トーリは途中からレッカが涙目になっていたのは見なかったことにしておいてやった。
「ほっほっほっ。若いのお。」
傍から老人の笑い声が聞こえてくる。そこには背を丸め、目を細めながら楽しそうに笑う姿があった。ただし老人といっても背筋は伸び、顎と口に白い髭を蓄えた紳士的な老人だ。
「彼は?」
「数年前に騎士を引退して、この傭兵団に入団したルーエンさん。もう歳でさ。だいぶボケが始まってる。」
「ルーエン…。」
どこかで聞いたことのある名前だったが、思い出せないのでそんなに大した記憶でもないのだろう。
「私はあの方も心から尊敬している。」
「どぅわあ!」
急に後ろからシエルが話しかけてきたせいで、ダンが奇声を上げながら飛び上がった。彼女はいつの間にやらダンとトーリの背後で仁王立ちしていたのだ。
「そう、なのか。」
「ええ。」
トーリがつっかえながらも問い返すと、なんだか誇らしげにそう言い残し再びその場から離れていった。そんなことを言うためだけに気分が悪くなるほど嫌いな俺たちに話しかけてきたのかと思うと不思議でならなかった。実は、シエルはルーエンが自分の『男嫌い』の対象外であることをトーリに伝え忘れていたため、律儀にも訂正しにきたのだがもちろん彼にそんな意図は伝わらず不可解さだけを残していった。今の光景を見て急に後ろからルナがトーリに抱きついた。
「なんだかあの人、危ない気がする。」
彼女の眼はしっかりとシエルを捉えていた。どこがだ?とは思ったがよくよく考えてみると確かに男に対するあの嫌悪感は危ない気がした。それでも、どうもルナが感じるそれとは別なもののように思えたが、いくら考えても思い当たる節はなかった。
「シエルにリン、レッカ、スイ、そしてルーエンさんか。
それにしてもなかなか個性的なメンツがそろってるなあ。」
トーリは新しく覚えた名前を羅列し、総括する。皆がお前が言うなという顔をしているがそんなものは気にしていないようだ。
「なあ、おれは?」
「ダンは…なんか普通だよな。」
「酷いな。」
そう言うと背中に張り付いて離れないルナはクスクス笑い、ダンは心外だと言わんばかりに苦笑いをしている。
「ちなみにここにいる者たちは皆、この団の中でも強者ぞろいだぞ。」
いつの間にかラディが階段から降りてきており、少し離れたところから声をかけてくる。ラディはリンを除いてそこに集まる皆が先日の決闘で見せたトーリの力に魅せられ、彼に興味を持っていることを知っていた。
「め、滅相もございませんっ。」
シエルはラディに評価されたことに顔を赤らめながら、リンもぶんぶんと首を横に振って、二人とも全力で否定していた。
「ふっ。俺の力は…。」
「はあ…。」
意味ありげに笑うレッカに呆れた様子で溜息をつくスイ。
「儂ももう少し若ければのう。」
ルーエンはとぼけたような暢気な声を出している。
その光景は傭兵団というには些か疑問を覚えるほど平和で温かい空気に包まれているように感じた。
ゆったりとした時間が流れる。願ってもみなかったその環境にトーリの瞳にはうっすらと涙が浮かばれる。しかし、その光景とは対照的に今まで血で汚し続けた手を握りしめると胸の奥で吐き気にも似た罪悪感が彼の胸を締め上げた。その様子を見ていたルナは何も言わず、そっとトーリの拳を両手で包み込んだ。その手は「もう苦しまなくていいんだよ」と言ってくれているような気がした。