決闘
オルゴ・バーンズ。この都市では有名な荒くれ者だったらしい。強化系の魔法と元々の腕っ節が噛み合わさり、その圧倒的なパワーで相手を捻じ伏せる近接戦闘を得意としているそうだ。一般人の大腿くらいの太さの自慢の腕には『オルゴ・バーンズ』と自分の存在を誇示するかの如く、タトゥーが彫られていた。クイーンズチェア本部の裏の敷地には、まさに決闘のために作りましたと言わんばかりの広さのスペースが確保されていた。
「それで?決闘内容は?」
指をポキポキと鳴らしながら決闘内容を尋ねるトーリの顔は目の前の巨漢に臆することもなく、それどころか活き活きとしているようにも見える。
「なんでもありの死んだ方が負けだ、グヒ。」
オルゴも自分と比べると華奢でしかない全身に黒を纏う青年を完膚なきまでに叩きのめす未来を考えてか、笑いを堪えられずにいた。
「くだらんな。」
決闘が始まる前の二人の姿を見てシエルはそのように言い捨てた。彼女の眼には二人がくだらない喧嘩をしているようにしか見えないのだろうし、無論それも間違いではない。
「なあ、本当に止めなくていいのか。俺たち、あの新人を任されているんだぞ。」
ダンは心配そうにトーリを眺めている。
「ならば止めてこればよかろう。」
「しかし、決闘を止めるというのはだな…。」
「そんなだから貴様は…。」
ダンとシエルの間に険悪な雰囲気が漂う。ギャラリーに至っては二人の険悪さなど微塵も気づくことなく、先の喧嘩で賭けが不完全燃焼で終わったためか、はたまた新しく請け負った依頼の報酬が弾むと聞いてか忙しなく賭けに勤しんでいた。
「本当にくだらないな。男というやつは…。」
シエルは誰にも聞こえないような声でそうつぶやくと顔を歪ませて心の底から軽蔑する視線を男たちに送った。
「あ、でもでもルクルス様だけは…。」
シエルははっと何かに気づいた表情をすると、頬を紅潮させながららしくもない口癖で自分の言葉を訂正したのだが、これも誰の耳にも届いてはいなかった。ただ一人を除いては。その横では、ルナがトーリの勝利を確信したうえで、その戦っている姿を一瞬でも見逃すまいと目をキラキラさせてトーリを見つめていた。
「そろそろ始めようか。」
「そんな顔をしていられるのも今の内だぜえ、グヒヒ。」
二人は十メートルほど離れた位置で向かい合っていた。丸腰のトーリに対して、オルゴの手には普通の人では持ち上げることすら難しそうな大きな鉄鎚が握られている。中央ではラディがコインを上方へ打ち出す構えを見せている。
「文言は必要ねえよなあ?」
本来決闘には「我は誓いをもって…」というようなそれなりに格式高い文言があったはずなのだが、オルゴはそれを面倒くさいから省くという意思表示をしているのだ。
「ああ、必要ない。」
トーリもあまりそういう形式的なものは好まないので同意する。
「はあ、両者それでいいならいいが…。
では、コインが落ちたら開始だ。いいな、二人とも。」
ラディはため息をつきながら二人の様子を確認すると、少し間をおいてからピンっと親指でコインを弾いた。コインが地面に衝突するまで数秒程度なはずだが、精神を研ぎ澄ましたトーリにはとっては何十秒もの猶予があったような感覚に陥っていた。
そして…。
キーン。
オルゴにはどう見えただろうか。コインが落ちるまでは確かに若造は十メートル離れたところに悠々と立っていたはずだ。それがどうだ。まだ耳に一度目のコインの音が響いている間には、既に懐に飛び込んでおりその拳は腹に埋まっているのだ。
オルゴが自分の身に何が起こっているのか理解するよりも先に足は地を離れ、かなりの距離を吹っ飛んだ。それでも鉄槌を手放さなかったのは、喧嘩といえどその力を存分に振るい鍛えてきたからだろう。
「はっ、俺様は全身に強化系の魔法を仕込んでるんだよなあ。おらっ、なんで追撃してこねえんだ、ああ?情けでもかけてるつもりかよおおお!」
オルゴは何事もなかったかのように立ち上がると反撃をしかけてきたが、たとえ体は無傷でも予想外の一発を受けたことで既に冷静さを失っていた。条件反射のように、トーリの姿あるところに鉄槌を振り、トーリは最小限の身のこなしで悉く攻撃をかわし続けた。それもあえて反撃せずに。その戦いぶりにオルゴの心は苛立ちだけが支配していった。しかし、その戦いはギャラリーにはもはや防戦一方に見えていた。最初の一発こそトーリが見事に巨漢を吹っ飛ばしたが、それからというもの攻撃をかわし続けるので精いっぱいなんだと。オルゴに賭けた者は当然少なくはなかったのだろう。そのオルゴ優勢の状況に「やっちまええ」というような声が多く聞こえる。それでもやはり幾人かは気づいていた。二人の間には圧倒的な実力差があることを。オルゴが単に「遊ばれている」ということを。シエルもその一人だ。トーリの動きに戦慄すら覚え、言葉を失っていた。
「くっそおおおお。ちょこまかと逃げやがってええ!決闘だぞっ。かかって来いやああ!」
オルゴはもう完全に怒り任せで鉄槌を振っていた。軌道も正確にトーリを追えてはいない。闇雲に鉄槌を振っては地を抉り、空を切っていた。しかし次の瞬間、そのことが幸いしてか不規則な動きをした鉄槌がついに確実にトーリの体を捉えたのだ。ゴォォォンと大きな鐘を鳴らしたような鉄の音があたりに響く。オルゴの手には確かな手ごたえが残った。その途端、彼は急に冷静さを取り戻したように口角を吊り上げさせる。しかし、冷静になったオルゴは目の前の光景にその異様さと疑問を覚えた。強化系の魔法を使った自分が百キロは優に超える重さの鉄槌をフルスイングし、それが直撃したにも関わらずなぜ目の前の青年は一歩もその場から動いていないのかと。オルゴは背筋が凍った。いや、オルゴだけではなかったのかもしれない。青年は拳一つで鉄槌の力を相殺していたのだ。オルゴは自分の全力の一撃をもってしても青年には傷一つつけることができなかったことに気づいたのだ。
「な、なんでっ。なんでだよおおお。」
オルゴに僅かに残っていた戦意はこのとき完全に消沈し、手からは鉄槌の柄が滑り落ちた。
「さあ、下を向くな。歯を食いしばれ。腹に力を入れろ。お前に世の中の厳しさってやつを教えてやる。」
「ひっ。」
オルゴは丸腰のまま後ずさる。ラディは「その言葉は殴る時にいうものじゃないんだがな。」と呟きながら、決闘の終わりを悟った。
「逝ってこい。」
トーリは一言そういうとオルゴの腹を力いっぱい殴りつけた。その衝撃で彼の体はこの国から出て行ってしまうのではないかという勢いで飛んでいったが、ラディの魔法によって敷地内に収められた。
「さすがにあのまま飛んで行ってもらってはご近所に迷惑がかかってしまうからな。では、これにて決闘は終了とする。」
その彼の言葉で入団初日、
いきなりの騒動は幕を閉じたのだった。
もちろんこの後、トーリはラディに「やりすぎだ。」とこっ酷く説教をくらい、あの力は本来の身体能力として片づけるには団員が納得しないだろうということで強化系魔法の恩恵として団員に報告、オルゴは自ら退団という運びになった。