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戦犯

「おーきーてー。ご飯できたよー。」


窓から差し込む日の光が今日も眩しい。


―あいつは朝から元気だなあ。

どうやら無事に今日を迎えたようだ。

それが何ものにも代えがたくありがたい。

今日という一日に感謝して…

おやすみなさい。


二十歳ばかりのその男は欲望の赴くまま再び意識は闇に呑まれようとしていた。


「ご飯できたって言ってるでしょっ。」


少女が男を起こそうと身体を揺らすが全く起きる気配がない。


「もう、仕方ないなあ…。」


そういうと彼女はいつものように台所へ向かうと、直後にフライパンとお玉を両手にもって戻ってきた。そして両腕を大きく広げたかと思うと男の耳の近くで思い切りよく互いを衝突させた。その音は家の外にまで響いたのか鳥たちが一斉に羽ばたきを始めた。そんなものを耳の近くで鳴らされて起きないのならばそれはもはや死体と化していると見たほうがよいだろう。当然のことながら、男は驚いて自分が寝ているベッドから転げ落ちると勢いよくがばっと起き上がり直立した。


「はいっ、お嬢様!ただいまっ。」


「ふふ、ご飯できたよ。トーリ。」


起こしに来た少女は年にして十五歳、きれいな黒髪が日の光に照らされて輝き、どこの国の美女を連れてきたところでそのどれもが霞んでしまいそうなほど整った顔立ちをしている。瞳は見事に澄み切った黒色で、その輝きは数多の宝石にも劣らない。少し高めの鼻の下には可愛らしい唇がいたずらっ子のように笑みを浮かべている。


「あぁ、毎朝悪い。ルナ。」


「いいのよ。早く食べて!今日はいつもより上手くできたんだから。」


「それは楽しみだなあ。ふぁ…。」


トーリと呼ばれるその男は欠伸をしながら気だるげに足を運ぶと、その遅さに耐えかねてルナという少女が背中を押して急かす。ようやく食卓にたどり着くと、そこに並ぶのは黄色く輝く卵焼きに湯気を上げる野菜のスープ。


―実に健康的。健康的なのだが…。

最近はあまり肉を食べていない気がする。


もちろん作ってくれている手前そんな文句を口にする気もなく、それを実現させる金もない。ただ、トーリにとってはルナと共に朝食をとれること自体が僥倖であり、食卓に着いた頃には肉の有無などは些細を通り越して全く問題ではなくなっていた。


「ああ、うまいな。」


「本当?やったぁ。」


そんなとりとめのない会話をしながら朝食を取り終えると、すぐさまトーリは全身黒い衣服を身に纏い日課に出かける支度をした。上は長袖で丈は腰に届かないほど短く分厚めの布で仕立ててあり、中にはこれまた黒一色の無地のシャツを着ている。下も同様、黒一辺倒で上着と同じ生地である。余計な装飾は施されておらず、それらしいものといえば上着についた黒く輝くボタンくらいだ。


「今日も持って行かないの?」


ルナが部屋の壁に立てかけてある刀を見る。

もう長年使い続けている古びた柄が印象的だ。


「どんな奴が来たって刀慣らし、いや、肩慣らしにもならんだろうさ。」


トーリがニヤッと笑うが彼女はあまり面白くはなさそうな顔をしている。適当なダジャレが面白くないというよりは身を案じている表情といったほうが的を射ている気がする。


「ルナをおいていったりはしないよ。」


彼女の頭をなでながら自信なさげにも呟くと

その言葉を聞いて彼女の顔も少し緩む。


「じゃあ、いつもの!」


「はいはい。」


そういうとルナはトーリの下に駆け寄り背伸びをする。

トーリは彼女の前髪を優しく分け、額に唇を重ねた。


「うん、満足ですっ。行ってらっしゃい。」


「行ってきます。」


そうしてトーリは眠気がへばりついた重々しい足を前に送り出すのだった。



*******


そのほぼ同時刻、近くの村ではドゥーガと呼ばれる人型の魔物が猛威を振るっていた。体長5メートルもあろうか、腕は馬の胴ほど太く逞しく、手には引き抜いたばかりの大木が握られている。その一振りで強風が巻き起こり、数々の家がその大木に叩き潰されていた。


「逃げろっ。もうこの村はだめだ。」

「いやっ、うちの子がいないのっ。」

「おい、誰かあの人を呼んで来い。」

「無駄だ、その前に皆殺されちまうよ。」


悲痛な叫びや怒声が飛び交っていた。

もう何人もの村人が握り潰され、踏みしだかれ、ドゥーガの口からは村人のものらしき血が滴っていた。何人を殺めたことだろう、それでも留まることを知らず次の獲物を探すように視線を巡らせたドゥーガは人が密集している場所を見つけると狂気と凶器を引っさげて大股で走りだした。その速さと言ったら馬の比ではない。一歩一歩が大きいわりにその回転数は信じられないぐらいに多いのだ。すると突然、その直線上に家から飛び出してくる少女の姿があった。ドゥーガは唐突に視界に入ってきた邪魔な虫をどけるかの如く、その子めがけて大木を振り下ろした。


「いやっ、やめてーっ。」


必死な女性の悲鳴があたり一帯に響く。

その瞬間、誰もがその光景に愕然とし、あっけにとられて口をぽかんと開くものまでいた。ドゥーガの巨体が走ってきた方向にものすごい勢いですっ飛んで行ったのだ。皆の視線が飛んで行った魔物の方に向く中、聞きなれぬ男の声が響き渡った。


「いやあ、あんたらぁ。(今日俺をいつもより早く起こした)ルナに感謝することだな。これであんたらは助かったぞ。」


トーリは武器とともにいくつか散らばった死体を見るとぼそっと一言呟いた。


「あんたらの命は俺が背負ってやるよ。」


そのときのトーリの目は深い悲しみを思わせるものだったが、命の危機にある村人にとってそんなものは視界にすら入っていない。村人の中には安堵の様子を見せるものもいたが、次の光景を見てその顔色からは再び血の気が引いていた。数十メートルは飛んで行ったはずのドゥーガが今度はその顔に激怒の表情を浮かべながら息を荒げて戻ってきたのだ。


「おう、一撃で沈まなかったか。なかなかタフな野郎…。こいつって野郎なのか?」


トーリの視線は自然とドゥーガの股間にいったが恥を知るだけの知性はあるのか、ボロボロの布が一枚巻かれていて雄と雌の判断はできなかった。しかし、怪物にとってそんなことはどうでもいいようで、ドゥーガは完全にトーリを敵とみなすと猛々しく雄たけびを上げた。その声はどこまでも遠く、延々と響いているように思われた。その仰々しい雄たけびに村人の身体はびくつき、喚起させられた恐怖は脚を地面に縛り付けた。もうこの場で自由に動ける者はドゥーガとトーリだけとなった。そしてドゥーガは再び走り出し、トーリも正面から正々堂々と突っ込んでいった。


数秒後の光景を正確に捉えることができた人々はいったい何人いただろうか。トーリが怪物にたどりつく数メートル手前、ドゥーガはリーチの差を見せつけるかの如く大木を横に振った。その瞬間、トーリはドゥーガに向かって大きく跳躍すると、ふっと息を吸い、拳に力を込め、渾身の一撃を顔面に叩きつけたのだ。質量差などお構いなしに怪物の体は数バウンドしながら易々と後方へ吹っ飛んでいき、50メートルほど離れた場所で力尽きるとそのまま二度と起き上がって来ることはなかった。


「…。」

「…。」


「おおおおぉぉぉお!」


それを見ていた人々は目の前で起こった出来事に思考が追い付いていなかったようで、しばらくの沈黙の後、互いの顔を見合わせその場を歓声と安堵の声で満たした。しかしそれも束の間のこと、彼らの心は怪物を拳一つで沈めたトーリへの恐怖に変わっていった。トーリの立ち姿をじっくり見ると、ある人物を連想せずにはいられなかったのだろう。トーリはその様子を察知して無言で立ち去ろうとすると先ほどまで死の危機にさらされていた少女が駆け寄ってきて目を輝かせながら「ありがとう。」と言ってきた。トーリはそのまっすぐな彼女の瞳を見ながら頭を撫でると颯爽とその場から歩き去っていった。



*****



「なあ、やっぱりあの噂って本当なんじゃねえのか。」


首がねじ切れそうになっているドゥーガの亡骸を観察しながら村人の一人が口を開く。


「あの姿にあの力…。」


「ああ、本当にそうなのかもしれねえな。」


彼らはごくりと唾を飲むと次の言葉が見つけられなかった。ようやく口を開いたかと思えば恐る恐る震えた声を発するのだった。


「トップ・プライオリティ(最優先処罰対象)、

S級戦犯『黒の闘神』か。」


黒の闘神、紅き死海の王、終戦の英雄…。

数々の名がつけられど、いまだに正体を明かさぬその存在は統一戦争を終えた今でも人々に恐怖をもたらし続けている。それに加えて先の戦でA級戦犯となった八人の『生ける伝説』も誰一人として捕らえられてはいないという。

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