恋のライバルは兄でした
大分前に書きかけていたものを、書き上げてみたので投稿。
その日、千草灯は、いつもの居酒屋で半泣きになりながら、本日四杯目の生ビールを飲み干した。
「もう嫌だ―――――っ!!大体なんでいつもいつもいつもいつも、こんな結末になるの!? そんなに、私は女として魅力がない!?」
涙で化粧はほとんど落ちかけており、お世辞にも可愛いとは言えない顔でそう言い放った灯はバンッと空になったグラスをテーブルに叩きつけると、枝豆を持ってきた店員の男にお代りを頼む。
目が据わり、鬼気迫る灯の様子はなかなかに異様なものだったが、馴染みの店員でもあり同じ大学サークルの後輩でもある大河はそんな彼女に慣れているので、
「まぁた振られたんすか?」
乾いた笑いを浮かべながらそう尋ねると、それに答えたのは灯ではなく、彼女のやけ酒に毎回付き合わされている親友の麗香だった。
「そう。また。しかも今回は振られるまで二週間。最短記録を更新ね」
「マジっすか!? ヤバくないっすかそれ」
「ヤバいもヤバいわよ。まだ一回しかデートしてなかったらしいわよ。なのに他に好きな人ができた……ってさ」
「いつもその理由っすよね。灯先輩今の顔は女子として論外だとしても、普通の時はそれなりにましな部類だと思うんすけど」
「そうよね。今は女性として本当にあり得ないくらいぐちゃぐちゃな顔だけど、普段はそこそこ可愛いで通ってるのにね」
「どうせ私は素顔は麗香みたいに誰もが振り替える美人じゃないもん! っていうか、大河! 無駄話してないでちゃんと仕事しなさいよぉっ!! アルコールが足りないっ!!」
怒られた大河は、肩をすくめながらヘイヘイと一時退散し、すぐにキンキンに冷えたグラスを持っていく。灯はそれをすぐさま奪い取ると、黄金色の液体に口をつけ、半分ほど喉の奥に流し込む。
それから再び目の端に涙を浮かべ、今度は枝豆に手を伸ばす。ここの枝豆は塩が足りないのが難点だが、灯の目から流れる塩分が染み込むので、ちょうどいい塩梅になることだろう。
そんな、豆を泣きながら貪り食う灯に、麗香と大河は哀れみの視線を向けた。
「で、結局今回も原因はアレなんすか」
大河が麗香の横に座って小声でそう尋ねると、彼女は無言で頷く。
そこそこの容姿で通っているにかかわらず、彼女がスッピンを見せる仲になる前にフラレる理由。それはあまりにも不敏過ぎる訳があった。
「……まあ、アレを見たら仕方ないって思わないでもないわね」
そう言うと、麗香は冷酒をチビりと呑み、破局の原因である人物の姿を脳内で思い浮かべているようだった。噂の人物の顔を見たことがない大河は、ちゃっかり枝豆に手を伸ばしながら首を傾げる。
「そんなに美形なんですか? その人って」
「そんじょそこらの芸能人なんて目じゃないくらいのレベルの高さよ? この灯と兄妹なのが信じられないくらい」
辛辣な親友の言葉は、しかし事実であるようで。灯はテーブルに思いっきり突っ伏すと、泣きながら叫び声を上げた。
「確かにお兄ちゃんは超が何個もつくくらい美形よ!? モデルとかアイドルとかお呼びじゃないくらい可愛いし、とてもじゃないけどあれで大学卒業してるとかまったくもって見えない見た目だけど……でも、………………何が悲しくてお兄ちゃんに心変わりしたってフラれなきゃなんないのよーーーっ!!」
悲痛な声が店内中に響き渡る。営業妨害も甚だしい騒音レベルの音量だが、生憎彼らの他に客はおらず、店の奥にあるカウンターの大将は黙々と次の日の仕込みをしている。そもそもここの常連である灯が泣き腫らした目で店に訪れた時点で、いつも大将は何も言わず閉店の看板を掲げる。そうでなければ、アルバイトの大河が堂々と席に着いたりはしない。
そう、灯が歴代の彼氏と長続きしなかったのは、全て彼氏達が灯の兄の結城を好きになってしまったから、という冗談みたいな理由が原因だったのだ。男に負けたとあっては女としてのプライドもズタズタだろう。これでもし大河が彼女と同じ立場——自分よりイケメンの姉に心変わりをしたと言って何人もの彼女に振られる——だったなら、おそらく灯のように荒れるに違いない。
「……うぅっ、今回ごぞは、ひっく、半年以上もづって、えぐっ、おもっでだのに……。なんで、ぐすっ、おにいぢゃんが恋敵になるのよ」
持ってきていたハンカチなど当の昔に湿りすぎて使い物にならなかった。それでも僅かに乾いたところを探して鼻を噛んだ灯に気付き、大河は真新しいタオルを手渡す。ちなみにこれは店の備品である。
しかし、大親友であるはずの麗香はと言えば、泣きじゃくる灯などお構いなしでイカの塩辛をあてに2合目の冷酒に突入していた。麗香は非常におざなりな声で、
「はいはい、大丈夫大丈夫、灯は可愛いからまたすぐに別の男が見つかるわよ。だから元気出しなさいよ」
「麗香……最近冷たい…………。昔はもっと、親身になって、ぐすっ、話聞いててくれたのに」
「……あんたが毎回毎回泣き言言うのに突然呼び出してくれてるお陰で、こっちはデート早めに切り上げてきてんのよ。それでも飛んできてあげるだけ優しい親友と思いなさい」
普段より一オクターブは低いどすの効いた声に、思わず体をびくりと震わす灯と、ついでに大河も立ち上った黒いオーラに恐れおののき、灯同様に体が震える。美人の怒りはなかなかに鬼気迫るものがあって怖い。
「ご、ごめんなさい……」
「謝るくらいなら、もう少しましな男見つけなさいよね。大体ね、灯も悪いと思うのよ? 男を見る目、なさすぎだから。女の外見にしか興味がないような頭が空っぽな男子ばっかり相手にするからこんなことになるのよ」
その言葉には一理ある。大河も豆に伸ばす手を止めると同意するように言葉を被せる。
「それは俺も同感っすね。だって今日別れた彼氏って谷崎先輩っしょ? んで、その前が榊原先輩で、もう一個前が他校の山下って奴で。俺が入学する前に付き合ってたのも、ろくな男じゃなかったって聞きましたけど」
「そう。全員どうしようもないナンパ野郎で屑な男として有名な奴ばっかりよ。なんであんなんばっかりと付き合うのか理解に苦しむわ」
「だ、だって、優しくしてくれるし、付き合おうって言われたら、いいかなぁって思うじゃん!」
「あんな、明らかにあんたの顔と体しか見てない人間に見せかけの優しさを見せられたくらいで、ころっと騙されるんじゃないわよ! ……まあ、振られたあんたを慰めて話を聞いてくれるせいで、乙女心が反応する気持ちは同じ女として分からなくはないけど。でもいい? 次に選ぶなら、もっとまともでちゃんとあんた自身を見てくれる男にしなさい」
「そんな人がどこにいるっていうのよっ! うぅ、お兄ちゃんがいる以上、私のことだけを見てくれるき彼氏なんてきっとできっこないよ……」
「そうかしら。灯が気付いていないだけかもよ? もしかしたら、あなたのことをちゃんと好きでいてくれる人が、すぐ近くにいるかもしれないじゃない。例えば口ではなんだかんだ言いながら、私と一緒にあなたの恨み節をいつも聞いてくれて、なおかつ最後は潰れたあなたを家まで送り届けてくれる優しい店員さんとか……ねえ、大河?」
「!? いきなり何言ってるんすか」
突然パスを投げられた大河は、どくりと跳ねる心臓を抑えながら動揺しないようになんとか返事をする。しかしそんな彼の戸惑いなど酔っ払った灯は気付かないのか、泣き腫らした瞳でジョッキの中身を再びハイペースで空けると、溜息を吐きながらテーブルに突っ伏してしまった。
グラスが空っぽになったにもかかわらずお代わりを要求しないところからして、今日はこれが限界らしい。
「あら、寝ちゃったみたいね」
「ですね。健やかな寝息を立てて夢の世界に旅立ってますよ、灯先輩」
大きく肩を揺らしながら寝息を立てる灯を前に、二人でやれやれと肩をすくめる。
こうなったら滅多なことでは彼女は起きないことを、経験上二人とも知っていた。だからこそ、大河は灯が目の前にいるにもかかわらず、堂々と麗華にこんなことを尋ねることができる。
「先輩、さっきのはどういうつもりなんすか」
「あら、私としては、二の足を踏んで先に進むことができない後輩の少しでも力になれたらいいなっていう親切心からだったんだけど。迷惑だったかしら?」
「いや、迷惑って訳じゃないですけど……。いつから気付いてたんですか」
「三人前の男に振られた灯の話を聞いていた君の顔を見た時に」
「……それってつまり、俺が灯先輩のことが気になり出してすぐの時じゃないですか」
隠してたつもりなんだけどなぁと呟きながら、そっぽを向いて頭をガシガシかく。
「大丈夫よ。君はちゃんと隠せてたわよ? ただ私は人よりちょっとその辺りが敏感だから気付けたってだけで。その証拠に灯なんて、全く君の好意に気が付いていないはずだから」
「それはそれでなんか複雑なんすけどね」
いつも明るくて、サークルの中でもムードメーカー的な存在である灯に、入学当初から憧れのようなものを抱いていた。そして灯と接していくうちに、その感情が恋愛的なものになるのに時間はかからなかった。
が、彼女に今まで想いを告げなかったのは、今の先輩後輩としての関係が崩れるのが嫌だったからだ。彼女の好みは年上だそうで、したがって年下である自分はハナから恋愛対象外で、告白しなければ後輩としてはずっと彼女のそばに居られる————そんな考えがあったから、麗香の言う通り、他の男の話を聞くたびに歯痒く思いながらも二の足を踏んでいた。
「私もいい加減この子の失恋話を聞くのは疲れちゃったわ。たまには彼氏とうまくいってのろけている灯の話も聞きたいじゃない。少なくとも大河、君なら灯のことを任せられるわ。多分この子も君のこと、結構好きだと思うし」
「いやいや、好きの内容が違いますって。だって灯先輩は後輩として好きってだけっすよね」
「別に最初はそれでもいいじゃない。大河はいい奴だし、付き合っていくうちに灯も大河のこと好きになるから、きっと。ほら、今の弱っているうちにさっさと告白して付き合いなさい。最悪送り狼でもいいわ。灯は絶対に断らないから。それで私を早くこの子のお守り係から解放して」
「麗香先輩、そっちが本音っすよね」
「あらばれた?」
「あと俺こんなチャラい見た目っすけど、その辺りはきちんとしてるんで、そんななし崩し的なことはしないですから」
「そういうあなただから大丈夫だって言ってるのよ。それにガッツもある。……一刻も早くあの男から灯を解放してあげて」
そう言い放った麗香の口ぶりが妙に気になった。あの男、誰もが見惚れるほどの美形な兄、という意味なんだろうが、それ以外にもどこか含みがあるように思えた。しかも解放とはいったいなんのことなのか。あと、ガッツってなんだろう。
大河は話にしか聞いたことのない、灯の兄。街を歩けばモデルにとスカウトされるなんて日常茶飯事だと聞いたことはある。しかしそれ以外の情報は全く分かっていない。
「先輩、あの、その結城って人は……」
その時、テーブルに置いてあった麗華の携帯がブルブルと震える。画面を見た彼女は途端に、ついさっきとはうって変わって花も綻ぶような笑顔になった。
「あ、ごめん、彼氏から電話だわ。ちょっと外すわね」
そう言って、いそいそと店の奥へと消えてしまった。
残されたのは自分と、そして寝息を立てて眠る灯の二人だけで。結局兄のことは聞けなかったが、別に帰ってから聞けばいいやと切り替え、大河はまじまじと目の前の無防備な状態をさらけ出す灯を見つめる。
さっき麗香の言っていた台詞。
自分へ気持ちが向いていないのを知っていながら、弱っている今のうちに告白とか、仮にオッケーされても複雑な心境には違いないのだが。
惚れっぽいところのある先輩だとは思うし、男の趣味もどうかとも思う。けれどもしこれで付き合えることになったら、少なくとも自分はその結城という人間の方が可愛いという理由で心変わりすることは絶対にない。これまでの屑男達と一緒にされては困る。
彼が惚れたのは、間違っても彼女の顔体、だけではないのだから。
大河はそっと腕を伸ばすと、灯の頭に触れる。彼氏ができたからと言って、気合を入れて新しく染め直したばかりの明るい茶色の髪を指でさらりと梳きながら、小さな声で言ってみる。
「灯先輩、俺にしときませんか? 俺だったらこんな風に、絶対に先輩を泣かせたりしないって約束しますから」
次の瞬間。
「うおぅっ! ……びびったぁ」
突如として、日本人なら誰しもが知っている有名なホラー映画のメロディーが大音量で響き渡った。音の出どころは灯の鞄からで、不測の事態に思わず大河は灯から手を放して後ずさる。
その曲は延々と鳴り続き、しかしながら持ち主は起きる気配がなく、仕方がないので聞こえているかは分からないが断りを入れてから彼女の鞄を漁り、携帯を取り出す。
画面に浮かぶのは、結城の二文字。
「……ってお兄さんか。なんでお兄さんにこの曲使ってるんだよ」
毎回恋人を奪われてることをよほど恨んでいるのかもしれない。
「先輩、灯先輩ー、電話っすよ、お兄さんから。全然鳴り止む気配がないんで、起きて出てくださいよ!」
灯の耳に爆音を鳴らし続ける携帯を押し付け体を揺さぶるが、一向に覚醒の兆しはない。けれども音は途切れることなく、煌々と明かりが照らす店内には場違いな音だけがひたすらに響き続ける。
ここまでしつこく鳴らしてくるなんて、もしかしてよっぽど重大な用事があるのかもしれない。
そう思い、大河は自分が代わりに出ることにした。通話ボタンを押すと、少し高めの、まるで少女と聞き間違うような声が鼓膜を揺らした。
「あ、灯? 今どこにいるの……」
「あの、すみません、その妹さんなんすけど、今酔いつぶれちゃってて出られそうにないんで代わりに俺が……あ、俺、灯先輩と同じ大学で、先輩んちの近所の居酒屋でバイトしてる海藤大河って言います……」
すると、電話の向こう側の主が沈黙する。やがて数秒の音無しの後、
「もしかして、いつも灯をうちまで送ってくれてるっていう人かな?」
灯の家族には何度か会った。送った時に。いつも兄は仕事中でいなかったが、どうやら話には聞いていたらしい。それから二言三言の会話の後、結城本人がこの店に迎えに来ることになった。というか、聞けばすぐ近くにいるらしい。
そして本当にすぐ近くにいたようだ。
電話を切ってから実に数十秒後、閉店の看板を掲げているにもかかわらず、何の躊躇いもなく入口の引き戸がガラガラ年季の入った音を立てながら開いた。
が。
「さっき電話した、千草結城です」
「…………え」
名乗ったのは、確かに灯と同じ姓だ。結城という名前も間違いなく兄のものだ。けれど、現れた姿はどう見ても……。
「あっと、え、お兄、さん……!?」
果たしてそこにいたのは、得も言われぬ美少女ならぬ、美少年だった。街中で声をかけられるのも分かる。服装や髪形でかろうじて男に見えるが、もしスカートでも履いていたら間違いなく少女に見えることだろう。そんな中性的な雰囲気と顔立ちの持ち主だった。
スカウトというのも、女性に間違われてという感じじゃないかと予想される。
確か大手企業の営業職に就いていると聞いたことがある。仕事帰りだろうか、スーツを身に纏っているが、残念ながらうっかり女性にも見えてしまう彼には合っていない。こんな姿で兄ですと言われても、にわかには信じがたい。なるほど、顔形にしか興味のない灯の歴代の彼氏達が、男だと知りながらもこの結城という人間に心変わりしたのも分からなくはない。どいつもこいつも基本的に相手の容姿しか見ていないような最低な男だったから。
が、別に大河は彼らとは違うし、結城と目が合っても心を奪われることなく正面からしっかりと目を合わせる。
「君が海藤君?」
声も電話越しの通り、見た目と一致した一般男性よりも高い声だ。大河はその言葉にこくりと頷いた。
「はい、海藤大河です。灯先輩にはいつもお世話になってます」
「嘘、逆でしょう? 君には灯がいつも迷惑をかけて家まで送ってもらってるってうちの母さんも言っていたからね。お世話になってますって言葉は、むしろこちらの台詞だよ」
にっこりと笑う年上のお兄さんを、男性の平均身長を遥かに超える体躯の持ち主である大河は見下ろしながら、歴代彼氏のように結城に惚れた訳ではないが別の意味で心臓が早くなる。
考えてみれば、彼は好きな灯の兄である。初めて灯の家族に会った時も緊張したが、やはり初対面の家族に会うとなると妙な緊張感が生まれる。
「いつもごめんね。この子あまり酒癖はよくないし。迷惑だと思うから、今度からこんなことがあったら連絡してくれたら迎えに行くよ」
「や、別に大丈夫っすよ。灯先輩んちってうちに帰るちょうど通り道なんで。それに普段はほんとしっかりしてて俺も助けてもらってるんで、そのお礼みたいなもんですし。迷惑じゃないっすよ」
「本当に? でも酔うと必要以上に絡んでくるし面倒くさいし、うっとおしくない?」
「そんなこと全然思わないっすから」
酒癖が悪いのも知っている。時々面倒くさい酔い方するなとか思わないでもないが、それでもうっとおしいとか嫌とか思ったことはない。むしろそんな姿ですら可愛く見えてしまうのだから、よっぽど自分はこの先輩のことが好きらしい。
テーブルに突っ伏して眠りこける灯にちらりと視線を寄越しながらそう答えたら、ここでじーっと視線を外さずに大河を見つめていた結城が、ぼそりとこんな発言を漏らす。
「そっか。君はこれまでの男とは違うんだね」
そしてそのあと、結城はいきなり核心をついてきた。
「大河君、だっけ。君さ、うちの灯のこと好きでしょう」
「…………」
思いもよらぬ言葉に、とっさに二の句が継げず沈黙になってしまった。が、この無言はどう考えたって結城の言葉を肯定しているようにしか聞こえないだろう。初対面のお兄さんに見抜かれるとかどれだけ自分は分かりやすいんだよ……と思いながら、けれど自分の言葉ではっきりと返事をした。
「はい」
「いい返事だね。……ねえ、灯の話を聞いてるんなら、どうしてこの子がいつも破局してるのかの理由も聞いてるんだよね」
「まあ、そうっすね」
「ちなみに言っとくけど、僕はこれでもノーマルなんだよね。だから正直男に迫られるとか、全然嬉しくないし嫌なんだけど、僕のこの容姿のお陰で灯が屑男と別れられたんなら、それはそれで良かったとも思ってるんだ」
確かに、遅かれ早かれそんな男は絶対にどこかで浮気とかして灯を泣かせることだろう。なら、付き合いが短いうちに終わらせたほうが傷は浅くて済む。
「だけど君は彼らとは違うみたいだ。僕を見て色目を使ってくることもないし。うちの家族もさ、見た目は少し怖いけど、灯を送ってくれる子はすごく優しくていい子だって言ってて。あんな子が灯の彼氏になってくれたらいのにねってよく話してるんだよね。灯も、今日は後輩の大河君が……って話をしてくる時の顔も楽しそうでさ。頼りになる後輩って言いながらも、あれは深層心理の中では結構君のこと、満更じゃないと思うんだ。だから」
そこで言葉を区切ると、結城は大河に向かって手を差し出した。
「君になら、灯は安心して預けられると思う」
「お兄さん……」
つい先程も同じような言葉を、灯の大親友様からも頂戴した。で、今、灯の家族にまでそう言われたのだ。
ちなみにまだ大河は告白してないし、つまり灯の本心がどうなのかは分からない。あくまで第三者達が勝手に灯の脳内を予想して言ってくれてるだけなのだが、彼女の近しい存在にそう言われて悪い気はしない。
「灯のこと、よろしくね」
大河は無言で頷くと、その手を取った。
が、
「…………なぁんて僕が言うとでも思ったかこの野郎!」
「え!? っていって、ちょま、待ってくださ、マジ痛い痛い痛い、ギブギブ!!」
突如、掴まれた手に激痛が走る。ごぎゅりとありえない音は、間違っても握手の時によく聞かれる音ではない。しかも、腕もほっそりとしているのに、大河の力をもってしてもまったくもって振りほどけないほどに握力が強い。
それでもなんとか相手の小さな手から自身の手を引き抜くと、あまりの痛さにうっすら生理的な涙を滲ませながらその場にうずくまった大河は、結城を睨み付けた。
「ちょっとほんとに折れる勢いだったんすけど! いきなり何するんすか!!」
が、文句を言われた当の本人は、ついさっきまで浮かべていたはずの温和で優しい美少年の微笑とは真逆の表情、眉間に思いっきり皺を寄せながらガンを飛ばしてきた。
「あん? 何って、イラついたからちょっとその手をバッキボキに粉砕してやろうかと思ったんだけど文句でもある? ちなみに僕の握力75だから」
「は!? 文句でもあるって、あるに決まってんでしょうが!! なんなんすか急に攻撃してきて! 俺気に障るようなことしました!?」
その見た目でなんだその化け物級の握力はと思ったが、今はその数字に関して議論している場合ではない。
挨拶としては申し分なかったはずだ。なるべく好印象を残そうとこの数か月バイトで培った接客技術を存分に駆使してたし、口調も年上相手に失礼にならないよう、できる範囲で気を付けていた。今のどこに不備があったんだろうか。
突然の豹変に対する怒りよりも、その理由が気になって困惑の気持ちの方が勝った。
すると結城はぎろりと大河を睨み付け、
「気に障るようなこと? あるに決まってんだろうが! 大体何その風貌は! 頭は金色だし、しかも耳に何個穴あけてるの? 不良か、不良なのか!?」
「いやまあ、大学に入ったことだし、ちょっと調子乗って耳に穴開けまくったし髪も染めちゃいましたけど、俺別に不良じゃないっすよ!」
大学デビューと称して浮かれて少しばかりやんちゃな風貌になったのは認めるが、これでも高校まで野球一筋だった。女の子にもてなかったが、丸坊主を貫いた。ちなみに小中高と皆勤賞だ。
しかし不良説を否定したのに、
「いや別に君が不良だろうが不良じゃなかろうがどうだっていい!」
「どうだっていいんすか!?」
そんなことを言われてしまう。じゃあ何が気に障ったのだろうかと真剣に考えてたら、挙句の果てに、
「とにかく君の存在が気に食わない! 何もかも気に食わない!!」
まさかの存在の全否定をされた。
ここまで短時間で嫌われたのは生まれて初めてだった。しかも好きな先輩の家族に嫌われるとか、ダメージは半端ない。やっぱりはっちゃけたことするんじゃなかったなぁと過去の自分の行動を後悔していた大河だったが、別に大河が悪い訳ではないというのはこの後の発言ですぐに分かった。
「っていうか灯に近付く男は皆等しく滅べばいい!! この世から一片の肉片も残さずな!」
「…………え?」
穏やかでない発言に意味が分からなくて首を傾げたが、そんな彼など見もせず、結城は過去を思い出すようにどこか遠くを見ながら一人で熱く語り出した。
「僕も社会人になるまでは灯に変な虫が付かないように近くで威嚇したりして追っ払ってたけど、この子が大学に入って僕も会社に入ったらそんな時間もなくて。そしたら急に彼氏とか作り出すし! いや分かるよ? うちの灯は可愛いからね!? もうほんと、可愛さの結晶っていうか、むしろお花から生まれた妖精みたいな可憐さだし、そう考えると人類のレベルを超えた宇宙的可愛さっていうのも納得がいくよね、うん」
「いや、あの、お兄さん?」
「もしこの世に天使というものが存在するなら、きっと灯みたいな感じなんだろうなって思うよ。いや、むしろ天使なんかじゃ太刀打ちできないかもしれない……なら、美を司る女神、ヴィーナスにしよう。いやいや、むしろ神ですら嫉妬するレベルかもしれないうちの灯は!!」
「……もしもーし、お兄さん!?」
「そんな灯だから、皆が妹に惚れるのも分かる。でもこの子に彼氏ができるなんてまだ早いよ! という訳で海藤大河!」
一人語りから現実世界に戻ってきた後、ここで結城はビシッと大河に向かって指さすと、
「僕以外の家族は見た目とのギャップが云々かんぬん言ってたけど、僕は君のこと、絶対に認めないからね! もし君が灯に告白して付き合おうものなら、全力で二人の仲を邪魔してやる。毎回デートに乱入したり、君の昔の黒歴史とか探し出しちゃって、世間に公表してやる!!」
「別に俺にはそんな黒歴史とかはないっすけど」
「嘘つけ! 探せば絶対にあるはずだ! 例えば小6までおねしょしてたとかな!」
「幼稚園で卒業しました」
「なら他のものを探すまでだ。……とにかくそういう訳だから! いいかい、くれぐれもうちの灯に手を出すんじゃないぞ」
そう言うと、彼はよいしょと灯を背負う。やはり力はあるようで、なよっとした中性的な体形だがまったくふらつく気配はない。そのまま連れ去ろうとする間際、彼は最後に振り向くと、
「それから一つ。……君にお兄さんと呼ばれる筋合いはないっ!!」
扉をびしゃりと閉じる間際そんな言葉を叫んで、千草兄妹は店から姿を消した。
「…………えーと、何これ」
残された大河は、目をぱちくりとさせて床に座り込んだままの状態で店の入り口を眺める。結城という人間が女性をも凌ぐ美形とかそんなことは既に頭の中から消え去っており、それ以上に彼の豹変ぶりというか、灯への兄としての溢れすぎる愛情を目の当たりにし、処理が追い付かない。
とりあえず彼に嫌われたことだけは確かだ。
「あれが俗に言うシスコンというやつよ」
「!?」
いつの間に戻ってきたのだろう、まるで気配を感じなかったが、そんな大河の驚きなど全く気にしていない様子で麗香は残っていた冷酒を口に含みながら、
「ねえ大河。さっき私の言った『解放』って言葉、覚えているかしら。あの子大学に入る前まではことごとくお兄さんに邪魔をされて彼氏ができなくてね。まあ、大学に入ってからの彼氏があんな形で灯が別れるのはは彼としても想定外だったと思うけど。でもね、どちらにせよ、あんなシスコンのお兄さんがいたら、長続きしなくても当然だと思うの」
「……なかなかに強烈でしたもんね」
全力で邪魔してくると言っていた。具体的にどういった行動に出るのかは分からないが、なんとなくあらゆる手段を使って潰しにかかってくるような気がする。だって結城の大河を見つめる瞳は、本気の殺意で満ち溢れていたから。
なるほど、さっき麗香の言った解放とガッツというのはそういう意味かと理解する。
あの結城の美貌にも惑わされず、尚且つしつこくシスコン兄に邪魔されてもそのせいで灯と別れたりしないようなタフさがあるかどうか。
「そうっすね。あのお兄さんを敵に回すとか正直大変そうっすけど、でも」
ここで大河はにかっと麗香に向かって笑うと、声高らかに力強く宣言する。
「俺、頑張ります!」
「そう、よかった。とりあえずあの子が新しい彼氏を作る前にさっさと告白しなさい」
「そうします」
そして言葉通り、次の日には速攻告白した。我ながら決めてからの行動が早いなとは思ったが、善は急げである。やはり年下である自分と付き合うことには少し戸惑った表情を見せたが、お試しでも何でもいいからととりあえず強引に押し切り、そうこうしている内になんだかんだ言いながらも灯も自分のことを好きになってくれているなと実感は湧いた。
元々男性からの人気はあるので、彼氏持ちにもかかわらず灯にアプローチを仕掛けてくる輩も何人かいたが、そっちはその都度追い払っているので問題はない。
が。
やはり一番の障害は結城だった。そう、予想以上に兄の存在はえげつなかった。
告白したことにより火蓋が切って落とされた結城との戦いは、灯との付き合いが長くなっても一向に終わる気配がなく、一番のライバルはやっぱりこのお兄さんだなと思いながら、大河は幾度となく繰り返される兄との攻防戦に明け暮れるのだった。
シスコンなお兄さんが好きなので、書いてみました。
着信音のイメージは、着〇アリの曲です。