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04

あの日から数日。彼が私を必死に探しているらしいと、共通の友人から聞いた。興味がなさそうに「そうなんだ」とだけ返事を返すと、みんな一様に不思議そうな顔をした。「あんたベタ惚れだったんじゃないの?」なんて聞かれて「そうなの?」なんて答えを返すと、今度はみんな、同じように困った顔をした。






そうだよ、好きだったよ。大好きだった。

浮気されても、離れられないくらいに。




わたしがわたしの好きな人に出会ったのは、入学式の時だった。たまたま、席が隣で、たまたま、少し会話をして。その時もらった彼の「頑張れ」という言葉が忘れられなくて、人見知りのわたしが自分から友達を作るきっかけになった。


それだけ。


それでも、好きになるには十分だった。




彼に告白された時は本当に本当にうれしくて、毎日毎日夢じゃないかを確認した。鏡の前で頬をつねるわたしを、姉は面白いものを見るようにしげしげと眺めながらも、「好きな人と付き合えてよかったね」と嬉しそうに笑って毎日頭を撫でてくれた。


彼からもらう一言に一喜一憂して、どんな言葉が喜ぶかとか、こんなことを言っても変じゃないかとか、色々なことを考えながらいつも携帯とにらめっこしていた。彼から電話がかかってくる10分前には携帯の前で正座をして、電話がおわったあとは何度も何度もその日の会話を反芻していた。電話の声は、耳元で囁かれているみたいだ、なんて思って一人ベッドで悶えたりもした。


夕暮れの中、肩を並べてくだらない話をしながら帰るのが好きだった。甘酸っぱい想いで胸をいっぱいにして、こんな幸福な日々が続くのだと信じきっていた。


けれど、天国から地獄へ突き落されるのは一瞬だった。


わたしには、指の一本すら触れたことがないのに。他の女の子と手をつないで、キスをして。それ以上の、こともして。


見せつけられる毎日に、心が削られていった。


彼の後ろに女性の陰を感じる度に目の前が真っ暗になった気がして、血の気が引いて。呼吸が浅くなって、感覚が遠ざかって、聞こえている音も見えている光景も全部全部現実味がなくなって、自分がどこにいるのかさえ曖昧になって。涙がこぼれて、手に冷や汗がにじんで。


そんな想いを、何度も何度も何度も何度も何度も彼とのおつきあいの中で、味わった。


初めて彼が他の女の子と手をつないでいるのを見たあの日、どうして彼の手の先がつながっているのが私じゃないんだと泣きたくなった。仲の良い恋人同士のように寄り添う二人。彼とわたしの距離があれほど近いことがあっただろうか。嫉妬と、哀しみと、辛さと、様々な気持ちが入り混じった。身体が振り回されるほどの、大きな感情だった。


本当の気持ちを悟られないように、いつも通り笑っているつもりだったけれど、何か感じるものがあったのだろうか。家に帰ると姉はずっと抱きしめて頭を撫でてくれた。


おひさまの香りがした。





彼が見せつけるように他の女の子の耳元に唇を寄せたあの日、根本に死体が埋まっているなんて言われるほど怖く美しい桜の花に、呪い殺されてしまえばいいと思った。


恋人がいるのにあそこまで堂々と他の女と歩けるなんて、わたしは彼にとって気遣うにも値しない存在なのだと、思い知らされた気がした。


視線が合わさったのに、彼女の耳元に唇を寄せた彼に、燃えるような憎悪を感じた。整った容姿を持つ二人は、物語のお姫様と王子様のようで。わたしに入る隙なんか無くて。


でもいくら憎いと、苦しいと思っても、結局わたしはどうしようもなく彼のことが好きで。そんなに悪い男に捕まるなよ、なんて小さくつぶやいたのは、見栄っ張りなわたしの意地。



本当は一刻も早く彼の傍から離れてほしいだけだった。


純粋に彼のことを慕う彼女の瞳に、いろんな気持ちが混ざり合ったわたしの「好き」が負けてしまいそうで、彼を、奪われてしまうと思ったから。




一度だけ、尋ねたことがある。

どうしてあなたは笑うのかと。

「俺のことで、気持ちを動かす君を見るのが楽しいから」

彼は、笑ってそういった。




何度も何度も、見せつけるように繰り返される光景。わたしが傷つくたびに、悪戯っぽく輝く瞳と、口角に刻まれる笑み。それを見るたびに、わたしは少しずつ消耗していったのだと思う。


それでも、嫌なことから全部目を逸らして、耳をふさいで、考えないようにして。こんなに長く付き合っているのだから、私は彼の特別なのだと、彼がわたしに触れないのは、私が彼の特別だからだと、そんなくだらないことを信じ続けようとしていた。





けれど、大学3年生、彼と付き合って4年目の冬に、転機が訪れた。


たまたま彼が男友達と行った居酒屋と、私が友人と行った居酒屋が被ったのだ。近い席になったにも関わらず声を掛けそびれて、聞こえてくる会話に少し気まずい思いをした。けれど、そんな気持ちは聞こえてきた会話で吹っ飛んだ。


「そういやさ、お前、どうしてあいつと付き合ってんの?正直お前らここまで続くと思わなかったわ。」


妙に鮮明に聞こえたその問いは、私が彼にききたかったことでもあった。どうしてわたしに告白をして、どうしてわたしと付き合い続けるのか。ずっと聞きたかったことのはずなのに、なぜだか彼の答えを聞くのが怖かった。


いや、なぜ怖いのかなんて本当はわかりきっている。彼の口から、残酷な真実を聞きたくないのだ。バクバクと音を立てる心臓を鎮めることに躍起になりながらも聞き耳を立てているわたしに気付くことなく、彼はほんの少し笑いながら答えた。


「告白した時はね、だれでもよかった。

 告白断る口実がほしかっただけだから。

 今はね、俺のためになんでもしてくれるから、かな。」


その答えに、心臓が止まりそうになった。やっぱり、だれでもよかった。わたしじゃなくても、よかった。


「俺のことを一番に考えて、俺のために動いてくれる。いい女だよ、あいつは」

「え~、何それベタ惚れじゃん!

 何だかんだ大事にしてんのな。結局」

ほんの少し不愉快そうに、でもほほえましいものでも見守るかのようにケラケラと笑う友人に、微笑みを返す彼。


「ほんとに大事な人なら、ちゃんと他の女切れよ。いつかなくすぞ。」


真剣な声でそんなことを言うその人は、きっといい人なのだろう。けれど、その言葉に彼が応えることは、なかった。




帰り道。夜風に吹かれながら彼の言葉を思い出す。都会の夜は、星が見えない。人工的な光が明かるすぎるのだと思う。居酒屋が多いこの道は、ほんの少し油の香りがする。人があふれる道の香りだ。このあたりで飲んでいる人たちはあんなに楽しそうなのに、どうして私はこんなに暗い気持ちなのだろうと世界に八つ当たりしたい気分になる。


彼の答えを、彼の友人は暖かく受け止めてくれていたけれど、私の耳には全く違うものに聞こえていた。


『都合のいい女だよ、あいつは』


言われてもいないのに、そんな言葉が彼の声で反芻される。


『”何をしても”、俺のことを一番に考えて、俺のために動いてくれる。』


きっとそういう意味なのだと、わたしは確かに心に刻んだ。



もうすぐ、夏が来る。そんなことを知らせるような生暖かい風が、わたしが今まで大切にしていたはずの何かを、さらっていった気がした。




そうして、季節が廻り、夏を迎えて

わたしは、あの日へ辿り着く。








彼の言葉を刻んだ日から、なんだか大きな空洞を抱えた気がした。それは何日経っても、何週間経っても消えることがなく、わたしに寂しさをもたらした。その寂しさは、きっと別れの寂しさなのだろうと感じた。だから、わたしは賭けをすることにしたんだ。



彼が行動を起こすのは、いつだって私たちの記念日だった。女の子と手をつないでいるのを目撃したのは、半年記念。夕暮れの教室でのキスは、1年目の記念日。彼の部屋で他の女のものが見つかるようになったのは、3年目の記念日だった。


だから、わたしは賭けをした。5年目の記念日、もし、彼が何もせず、普通に帰ってきたら、これからのことを話そうと。もし、彼が”なにか”をして来たら、その時は別れを告げようと。


あの時聞いたカチカチと響く時計の音が妙に耳に残っている。誰もいない部屋の中で、自分でカレンダーにつけた5年目の記念日の印を凝視しながら、わたしは賭けの結果を待っていた。


祈るように、願うように、諦めるように、待っていた。




そうしてわたしは賭けに負け、女性を侍らせて帰ってきた彼に笑いかけると、簡素な別れの言葉をつづった手紙を押し付けてごくごく自然に帰宅した。彼の部屋に置いていた私のものが、鞄ひとつに収まってしまったことに、虚しさを覚えた。


「これがわたしの5年間か」なんて。


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