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斎藤からの返事は二週間くらい経ってやっと届いた。連絡を持っている間は仕事に身が入らず、イライラした。気づけば、もう年の瀬である。
『いやぁ、苦労したよ』
電話口での斎藤はため息混じりにそう言った。俺はその時自宅にいたが、受話器からは雑踏と機械音とホームのアナウンスが聞こえてきた。
「早く話してくれ」
『そう焦るなよ』
電波が悪いのか、周囲がうるさいのか斎藤の語調が不安定だった。
『猪原さんが場所を設けてくれるそうだ』
「え?」
『お前の頼みを話したら、面倒くさいと断られてね。かといって、突き放されたわけじゃない、自分で訊いてくれってさ。明後日、午後十時に××国際ホテル。行けるだろう?』
「ああ、まあ……」
『じゃあ、そういうことで。あ、ちなみに俺はその日、都合あるから一人で行けよな』
「ちょっ……」
言い返そうとしたが、雑踏に掻き消されるようにして斎藤からの電話はそこで切れた。
縁もゆかりもないホテルのロビーを商社マンのような出立で歩く。ロビーにいる客のどれもが、身なりのいい紳士淑女である。こんな豪華な場所だと変に緊張した。自分だけが場違いのようだった。斎藤の仰せの通りに、フロントで呼び出してもらい、もちろん、こちらの名前も告げた。ホテルで氏名が通るということは、ここの常連なのだろうか。金持ちとは所帯を持っていても定住しないイメージがある。何にせよ自分とは比べ物にならないくらいの金と地位はあることに間違いはない。
ホテルマンの案内でロビーでも喫茶店のような丸いテーブルが並んだ席へ案内される。ロビーでも奥まった方だった。
暫くして、肥えた丸顔の男と金髪の真っ赤なタイトワンピースを着た派手な女がやってきた。見るからに六本木界隈のクラブ街を闊歩していそうな二人である。そんな二人を前に自然と腰が浮いた。
「あなたが南条さん?」
「あ、はい。初めまして。私……」
丸顔男の威勢に気圧されながら、いつもの癖で名刺を取り出そうとした。
「ああ、いいよいいよ。君のことは斎藤君から聞いてる。まあ、座ってくれ」
「はあ」
隣の女は、微笑するだけで何も言わずに男の一歩後方にいる。
「あの、……この度は、本当に有難うございます。こんな私事に時間を割いてくださって」
辿々しい言葉使いで感謝の意を述べた。
「うん、まあ、こう見えて私も忙しんだけどねえ」
「そりゃあもう……」
と言ってこの男の活躍ぶりなど知るはずがない。完全に初対面なのだ。
「それでね、僕の隣にいるのが、アリサといってあの店で働いている娘なんだ」
「アリサです」
金髪の女は控えめな態度でお辞儀をした。まだ二十一か、二だろうか、化粧は濃いが露出したデコルテや肩には潤沢がある。
「僕は席を外すから、なんでも彼女に訊くといいよ。時間は……そう長くなくてもいいかな?」
「ええ。猪原さんにお任せします」
「じゃあ、五十分までにしよう」
十時五十分までにはあと三十五分ほどあった。
「はい。ありがとうございます」
「それじゃ、君よろしく」
男はアリサの肩に触れてから、エレベーターのある方へ歩いていく。テーブルに、アリサという嬢と二人っきりになった。なんとなく気まずい空気だったが、自分を探偵か刑事と思い込むことで気持ちを立て直した。
「えっと、早速なんですが、アリサさんは『chaconne』に勤められて長いんですか?」
彼女は人工的なグレーの虹彩を見開いた。均等な二重まぶたは、こちらが不安定になるほど違和感があった。
「二年くらいです」
容姿とは似つかわしい幼い声でそう答える。水商売の女でも酒焼けしていない女はザラにいる。
「そうか……」
俺は、相手の答えに対して、どういう質問をすればいいか思考を巡らせていた。脳天から湯気でも立つぐらいに必死に、である。俺にとって、今日が正念場だと思い込んでいた。
「じゃあ、ここ最近、誰か店を辞めたり、行方がわからなくなった人はいますか?」
「え?」
「どうです?やっぱりそういう人は多いんでしょうか?」
彼女の表情は曖昧だったが、なにか心当たりがありそうだった。はやる気持ちを胸に抑えて、彼女の返答を待つ。
「辞める人はたくさんいます。この業界は、入れ替わりが激しいので……でも」
「でも?」
「気になることならありました」
「気になること?」
「その、ユリさんという先輩がいたんですが、今年の八月……急に辞めてしまったんです」
「八月?八月の何日ですか?」
「えっと、……確か、三十日だったと思いますけど」
「三十日。それがどうして気になるんですか?」
俺は心の奥底で深呼吸を繰り返した。
「ユリさんは、うちの店で太客を持つ人気嬢だったし、在籍年数も長かったんです。だからママも従業員もみんな不思議がっていました」
「それは気になりますね。どうして辞めたんでしょう?」
「さあ、わかりません。ママと支配人が寮にしているマンションに行ったら、ユリさんの荷物がなくなっていたらしくて」
「へえ。もぬけの殻というやつですか?」
「いや、家電なんかはそのままだったらしいですけど」
「ああ、なるほど。必要な荷物だけ持って行ったんですね。それにしても、あの店に寮があるとは……」
「あります。最近だと寮を使う娘が減ったみたいで、私も場所ぐらいしか知りませんが」
「なら、そのユリさんが辞める前も寮の入居者は少なかったんですよね?」
「ええ、まあ」
「寮はどの辺りにあるんですか
?」
「はあ」
アリサは戸惑いながらも寮の場所を話した。あの店から車で大凡二十分ぐらいだろうか。ここでメモするわけにもいかないので、しっかりと頭に刻み込んだ。脳内に地図を描いたところで、だんだんサスペンスドラマを演じているようで愉しくなってきた。程よい緊張と興奮が全身を循環している。こんな刑事ごっこが出来るのも、猪原のおかげである。
「『chaconne』にはサクラという嬢がいましたよね?」
「はい」
「サクラさんは、その寮の入居者ではなかったですか?」
今は、とにかく時間がない。遠まわしの尋問するより、一刻も早く真実へと近づいておきたかった。
「どうしてそう思うんです?」
「なんとなくです。違ったら違ったでいいのですが……」
「なんだか、私より内情に詳しそうですね」
アリサに余裕が見えてきた。相手を探るようにカマをかけてきたのだ。
「どういう意味ですか?」
「だってユリさんの話から急にサクラさんの名前が出るんだもの」
「ということは、その二人に何かあったんですか?」
「そこまで言ったら分かるとおり、仲良くはないですよ。二人は、ナンバーワンを争っていましたし」
「ほう、じゃあ、ユリさんがいなくなってサクラさんはナンバーワンを独占できたんですね」
「そういうことになります。……貴方は一体何が知りたいんですか?サクラさんのことですか?」
「いいえ、実を言うとそのユリさんのことなのです。どこの店に移ったとか郷に帰ったとか、何か知っていませんか?」
俺はいつの間にか年下のキャバ嬢に低姿勢で懇願する立場になっていた。以前chaconneで偉そうに話していた俺の姿はない。それも猪原という大きな存在に恐縮していたからであろう。
「そればっかりは……誰も知らないと思いますけど」
「そうですか。サクラさんもですか?」
そう尋ねるとアリサは露骨に眉を顰めて薄笑いをした。サクラについてはあまり話したくないのか、俺が必要以上に警戒されているかどちらかだろう。これ以上証言を得られないと思った矢先、長針が十を指した。
「もう時間ですね。猪原さんに怒られるのは嫌なので、これで失礼します」
その台詞を残し、彼女は魔法が解けるようにそそくさと席を立って、デーブルを離れていった。その後姿から艶かしい女の線がうき出ている。特に腰から尻にかけては婉美だった。おそらく彼女は、これから高層にあるスイートルームにでも向かうのだろう。そこで猪原と会う。ひどく気味の悪い面倒な男だったと話しながら、猪原に凭れている彼女が判然と想像できた。
あの金髪女にどう思われようがどうだっていい。それよりも重大な情報を得た。ユリという嬢が今年の八月三十日に店を辞めている。いや、辞めたのではない。ユリは何者かによって行方不明となったのだ。その証拠に店のママも従業員も不思議がっていたというではないか。そして、店の寮には、ユリの荷物が消えていた。これが意図するのは、夜逃げに見せかけるための隠蔽と複数の犯行だ。女一人じゃとても実行することはできない。
そこで、俺の仮説はこうなる。
就業形態を把握していたサクラは、第三者に依頼し、人目につかない隙を狙ってユリを誘拐する。その時にユリの荷物も一緒に持ち出したのだ。何も引っ越すような大荷物じゃなくてもいい。大事なのは、『急に寮を出て行った』という事実である。誰にも知らせずに行方をくらますような人間は、簡単な荷物だけ持って出ていくことが多い。だから家具や家電だけが残っていたとしても何ら不審ではないことになるーーーーーーーー
そうだ。そうにしか考えられない。福井の海にあった遺体はこのユリに違いない!
その結論に至ると急かされるように立ち上がって、ホテルを飛び出た。ホテル前でタクシーを拾って、記憶した住所を伝える。タクシーの車内は暖房が効いていて、一気に顔が熱くなった。タクシーが渋滞している夜道をのろのろ進んでいく。窓に映る俺は、目がギョロギョロとしていて、額から玉のような汗をかいていた。
深夜になって帰宅し、明け方までパソコンの前に座っていた。カーテンの外側から白い光が揺曳している。車や人、電車の音が現実を知らせるように響いてきた。一晩中、電気ヒーターをつけっぱなしにしていたので目が限界寸前である。ベッドにダイブしたいところだが、眠れる気はしない。これで何度目かのため息を吐く。
所謂推理小説なんかによくある、点と線がつながるというやつだった。信じられないくらいに万事が綺麗に合致した。まだ足りない部分はいくつかあるが、他殺と断言するには充分だった。
あとは、追い打ちを仕掛けるための用意をするだけだ。これだけ準備に手間取るのは、相手の背後に巨大な組織がいるからだ。どこから刃物や銃弾が飛んでくるかわかったものじゃない。彼らにとって警察も弁護士も関係ないし、寧ろ狡猾に丸め込んでいるかもしれないのだ。よく週刊誌やネットなんかでもそういう話題は尽きないし、様々な憶測が飛び交っている。サクラのパトロンについてもネットでは二転三転している。とんでもない大物というものがいれば、そうでもないと否定する者もいる。とにかく俺が正面から訊いたって誰も確実なことは教えてはくれないだろう。
いや、猪原という男ならどうだろうか。あの店の常連で権力もある。店のことは何でも知っていそうだった。嬢だって得意先には簡単に内情をバラしているかもしれない。
目頭を摘み、しきりに瞬きしながら、携帯電話を手に取る。椅子から立ち上がって、カーテンを勢いよく開けた。午前七時五分。コールは連続して留守電に切り替わった。熟この件は斎藤におんぶに抱っこだった。彼の人脈がなければ、こんなにうまくいかなかっただろう。携帯電話を捨て、ベットに覆いかぶさる。柔らかい光線
が、部屋の中を照映した。
既存の着信メロディーで起こされた。うつ伏せに寝ていたからか、前髪が垂直に立ち上がっていた。瞼が思うように開かない。意識がはっきりしないまま携帯電話を耳に押し当てる。
「はい」
第一声は、老人みたいに掠れていた。
『電話くれただろ?』
紛れも無く斎藤の声だった。ようやく陽が自分の首元まで迫っているのに気がつく。春みたいに室内
が暖かかった。
「ああ……そうそう。また頼みがある」
『またかよ。猪原さんの事か?』
「それもあるんだが……まあ、今日空いているか?」
『空いてないよ。もう年末だぞ』
「そうか。そうだよな、……いや、俺もこのままでクリスマスどころか年も越せないそうにない」
『なんだ、独り身のくせに。とにかく今日は忙しいんだ。用件はメールしてくれ。じゃ』
「……っ、おい」
斎藤の電話はまた一方的に切れた。舌打ちとも違う音が口から零れた。
忙しい、だ?どうせライトアップされた街でイケイケな成金ども
と騒いでいるだけだろ。俺は本物の刑事よりも正義感のある、警察庁に表彰されてもいいぐらいのことを調べているんだぞ。俺がどれだけの労力を費やしているか。あいつに一切合切話してやりたい!
「チクショウ……」
手から携帯電話が滑り落ちる。枕に額を押し付けながら、篭った声で嘆いた。
十二月二十八日。この日は、仕事納めの日だった。営業担当はやることがないので、事務の手伝いでもしながら時間を潰す。今日ほどお気楽な仕事内容はなかったが、労働というのは暇も暇で苦痛であり、地獄でしかない。会社の清掃と長い社長の話が終わると、忘年会へと駆り出される。外はまだ明るかった。これで暫く仕事の呪縛から解放される。そう考えると気分が晴れたが、どこか胸に滓のような蟠りがあった。無論、あの女ことである。このまま年を越すのは至極後味が悪いのだが、かといって自分の力ではどうすることもできない。見切り発車で思わぬ事態を招いても困るのだ。
鱈腹酒を飲み、冷たいビルの隙間風を浴びる。長らく駅前のベンチに座っていたが、吐き気を催したので、重い腰を上げて駅へと向かった。駅構内は人々の熱気と体臭が混ざり、生温かかった。一年が終わる。通り過ぎていくサラリーマンも学生も充足感のようなものに満ちていた。東京という場所は不思議で、ふいに孤独を煽られる。これだけの人が周りにいることが、寂しさや虚しさをより一層深めるのだ。
俺は、この一年何をしてきたのか。
恋人もいないし、仕事でいい成果を残せたわけでもない。でも、それなりに働いてきた自覚はある。欲に溺れることなく、順当にレールに沿ってできるだけのことはしてきたつもりだった。自分がどれだけ不器用かは承知している。一生、浮沈しない平坦な位置にしがみつくしか術がないこともわかっている。三十歳は、若いようで若くはない。あとは大逆転を狙うよりも安定に徹するのが今の世の中だ。今は相手がいなくとも、将来は結婚するだろうし、子供もできるだろう。独身貴族なんて言葉もあるが、俺は、独身を貫けるほど精神強硬ではない。
このまま、ただぼーっと正月を迎えていいのか。
いや、ゆっくりはしていられない。あの女が人生を簡単に変えたように俺も人生を変えたいのだ。




