三人の戦士
虎穴に入らずんば虎児を得ず、という諺がある。得たいものがあるならば多少の危険を恐れていてはだめだ、みたいな意味のはずだ。
なるほど確かに、真理をついている諺だろう。
今の夕介にも、危険を冒してでも取り戻したいものがある。言うまでもないが、平凡かつ平和な日常だ。ついさっき奪われたばかりだが、今すぐにでも、是が非でも取り戻したいものである。
だから、例えLIMITのルールがいくらか理不尽なものだったとしても、チャンスがあるなら挑もうとも考えていた。何もしなければ死ぬだけなのだから、虎穴に近づく覚悟くらいはしているつもりだった。
しかし、クロウの置き土産である虎型カーニヴァルから全力で逃げ出しているこの状況は一体どういうことなのだろうか。
夕介は、向こうから迫ってくる虎穴に立ち向かうだけの度胸など、持ち合わせていないのだ。
夕介が逃げ込んだのは、いつも彼が通っている教室だった。悲しいかな、とっさの避難となると、ここくらいしか思いつかないのだ。
校舎の中をうろちょろと逃げ回って何とかカーニヴァルをまくことはできた。願わくば、このままここでやりすごいたいものだ。
もちろん、LIMITに十日間という制限がついている以上、いつまでもそうしているわけにはいかないが。
「どうするかな……」
あまりに非現実的なことが続いていること、もう完全にやけになってしまっていることが相まって、すでに大した恐怖心は残っていない。もしかして適応能力は高いのかもな、などとどうでもいいことを考える余裕まであるほどだ。
しかし、下手にそんな余裕を持っていたせいだろうか。
ガタっ。
教室の隅で発生した何かが揺れる音に、本気で飛び上がって驚いた。
「な、なんだ!?」
音のした方を向いて声を荒げる。両隣で銀手も鋭く尖った五指を開いていた。い、威嚇……?
ともあれ、銀手を気にしてはいられない。万が一ここにもカーニヴァルがいるのなら、姿が見え次第、逃走だ。
だが、カーニヴァル以外の可能性もある。
LIMITに招かれたこちらの世界の人間は十人。つまり、夕介の他に九人の人間がいるわけだ。
今ここに二人目がいる可能性も十分にある。
「誰か、いるのか……?」
慎重に、逃げる体勢だけは整えながら声をかける。ふと意識を集中して念じてみると、両隣で浮いていた銀手がすーっ、と夕介の視線の方向に空を滑って行った。どうやら基本的な使用方法はこれでいいらしい。
さて、どうする。こちらからの呼びかけに応答はまだない。もう逃げるべきだろうか。
「あ、あの……」
選択を下そうとしたタイミングで反応があった。
「わ、わたし……あれ? 烏野くん?」
教室の隅の机の影の中から恐る恐る立ち上がってこちらを見ていたのは、紛れもなく夕介のクラスメイトだった。
「鶴崎……?」
鶴崎美咲。
夕介の言うところの平凡な凡人であり、クラスでも目立たず、かといって地味というわけでもない、そういう少女だ。
長く伸ばしている黒髪はつやがあり、きれいにまとまっている。制服の着崩しなどは一切ない、校則を守るまじめな生徒だ。しかしおしとやかというわけではなく、どちらかと言えば活発な方だろう。
「鶴崎も、ゲームに参加させられたのか……?」
「じゃあ……烏野くんも?」
この台詞からも察するに、美咲もLIMITの参加者のようだ。地球の命運をかけたデスゲームのメンバーに同じ高校のクラスメイトが二人とか、どう考えてもバランス崩壊している気がしないでもない。
「まさか無理ゲーなのか……?」
思わず顎に手を当てそう考え込んでしまうのも無理はない。こんなの、王様から装備もお金ももらえず荒野に放り出された勇者のようなものではないか。
いや、一応能力は授けられたものの……。
もしかしたら、夕介のこの思考はまだ甘いと言わざるを得ないのかもしれなかった。彼はわずかながら期待していたのだ。この最悪のゲームの中で自分たちを引っ張り、導き、クリアまで突き進んでくれる大人の存在を。
十人もいるなら、一人くらいそんな存在がいても不思議ではない。夕介は内心で、きっとそう考えていた。
そんな彼の期待を打ち砕くように、二人の隠れている教室に来訪者があった。
教室の戸を勢いよく開き、息を切らしながら走りこんできたのは、
「陽……?」
鷹月陽。
間違いなく、夕介のクラスメイトにして親友の少年だった。