遊戯の規定
「烏野夕介―貴公をゲームに招待する」
シルバーで覆われたそれの一言は、夕介の日常をいともたやすく崩壊させた。
「まず、私のことだが―クロウという名にしよう。貴公の烏という単語にちなんだ名だ」
シルバーのそれ改めクロウは平淡な感情の読み取れない声音で自身をそう名乗った。混乱している夕介にとってはこの場で最もどうでもいいことでもある。
逃げ出そうか、という考えも浮かんだ。だが無理だ。どこからどう見ても人智を超えているクロウから、凡人を自負する夕介がどうすれば逃げ切れるというのか。
それに今の状況。人々が突然消えてしまい、夕介とクロウしか残されていないこの状況。クロウから逃げ出したとしても今のままではどうしようもないのだ。異常な状況に現れた異形のクロウからなら、何か聞き出せるに違いない。
と、冷静に思考を巡らす一方で。
逃げ出さないのは恐怖しているからだ。今の状況や、情報がないことを、ではない。目の前の異形が。肌で感じられる非日常が。
その中にある自分自身が感じている危険が、とてつもなく恐ろしい。この場から一歩でも動けば取り返しのつかない何かが起こってしまいそうで、逃げ出すことはおろか瞬きすらまともにできないのだ。
ふわり、と。
そんな擬音が聞こえてきそうなくらい優雅に、クロウは地上に降り立った。
「まずはどこから説明すればいい。何でも尋ねてくれて構わない」
ただし、と代弁するかのように空に浮く銀の手がクロウの顔の横で人差し指を立て、
「私はこの世界の言語を学習した。が、難解な言葉や言い回しには対応できない可能性もある。そのあたりは勘弁願いたい」
学習したのが標準的な敬語でよかったものだ。全身をシルバーで覆い、格好や態度で冷静な雰囲気を漂わせるクロウが大阪弁でもしゃべったらぶち壊しである。
と、どうやら人間というのは危機的状況に立たされた場合、果てしなくくだらないことばかり脳裏に浮かぶらしいことを学んだ夕介は、しかしそんなことを口にできるわけもなく、
「……『この世界』ってなんだよ?」
まずは耳についた単語について尋ねた。
すると、クロウの浮いている手が地面を指さし、
「文字通りの意味だ。私は貴公の存在するこの世界とは別の世界、この世界の言語で言うならば異世界というべき場所から参った」
話しながら、地面を指す指が空の方を向いた。宇宙やその先の星を指しているわけではないだろう。異世界を表現しているのだ。
異世界―文字通り、この世界とは異なる別の世界。
夕介はオカルトに興味がないので詳しくは知らないが、それらは本来交わることもない、まったく次元の違うものなのではないだろうか。
クロウが続ける説明は、夕介のそんな疑問を解消していくものだった。
「私の同士には、能力がある。世界を繋げる能力だ。私はその能力でこの世界に参った」
さらに、
「他の同士にも、能力がある。生物の姿を消すことのできる能力が」
どうやら、その能力で夕介以外の人々を消したと言いたいらしい。
何を馬鹿らしいことを、と普通なら一蹴するところだ。だけど今回に限ってはそうもいかない。現実に空に浮いたり手が浮いたりしているクロウが目の前にいるし、人々はどこにも見当たらないのだ。
信じられるわけではないが、信じるしかないではないか。
「安心していい。一人として、死んではいない」
その一言だけが、夕介の安心できるたった一つの要素だった。
「……俺以外、全員消したのか」
「否。現状、この世界には貴公を含め十人の人間が存在している」
空を指していた浮遊する手が下げられ、クロウは腕を組んだ。文字通り、手首から先のない腕だけである。シルバーの球と手はクロウの近くで適当に浮いている。
「貴公らには十人で結託し、このゲームに挑んで頂きたい」
「ゲーム……?」
そういえば、クロウは最初から夕介をゲームに招待すると言っていた。そのためにこちらの世界に来て、多くの人々を消し去ったのだろうか。
「そう、ゲームだ。規則は単純かつ明快。十人で結託し、私たちの元に辿り着いて欲しい」
クロウの浮いている両手が肩の横で静止し、開かれた。
「期間はこの世界の時間で十日間」
そしてクロウは両腕を広げ、夕介に告げた。
「この十日間のゲームを―LIMITと命名する」