第七話
魔獣の出現。アルバスト大陸においては、それはもはや災害である。
何らかの原因で、迷宮にすむ魔物が超進化し、本来外に出られないはずの魔物が外に迷いでることがある。その迷いでた魔物が、魔獣と呼ばれるのだ。
魔物が進化しただけあって、魔物を軽く凌駕するその力は、個人の力ではどうにもならないと言われている。それこそ、騎士の部隊ーーそれも数千を超える大部隊でないと、いや、それでも危うい。時としては、1万を超える部隊さえも全滅されたという記録が中には残っている。
そして、魔獣による人的被害は騎士だけに留まらず、一般市民も含まれるのだ。魔獣は当然、魔物の性質である破壊衝動をも引き継いでいる。何故彼等が破壊衝動をもたらすのかは明らかになってはいないが、そのところは今は関係ない。一番重要なのは、この破壊衝動によって大都市が滅びることだ。
事実、アルバストの歴史の中には、魔獣によって滅びた国がいくつもある。栄華を極めた王国でさえも、たった一匹の魔獣の出現によって衰退し、最終的には属国となった事さえある。
その事を嫌と言うほど知っているのであろう、マナリアの執政官達は王宮でみっともなく狼狽えていた。
「魔獣が現れただと……っ! そ、それは本当なのだなッ!」
「は、はい。現れた魔獣は竜種によく似た個体のようで……。発見してからこの2時間常に監視してきましたが……速度は遅いですが、間違いなく、このマナリアを目指して移動中です」
微かに震えを帯びた声音でそう告げる騎士の顔は、やはり優れていなかった。そして、彼がもたらした情報も、それ以上によろしくない物であった。
「マナリアに移動中……だと!?」
「な、何かの間違いではないのかっ! いくらマナリアを目指しているとは言え、それはただ単に方角が同じで、別の場所を目指しているのではないのかっ!?」
「それはないだろう」
執政官の一人ーー臆病そうにそう叫ぶ若い男性に向かって、落ちついた声音で諭すように口を開く人物がいた。
マナリアの銀十字騎士団団長、エラルド・カルファンであった。武官である彼は、今は軍議ということを考慮してか、騎士団の制服に、大きく剣十字を象った白地のマントを着用していた。見た目は三十代後半だが、実はもう五十手前という老兵である。
数々の戦場をくぐり抜けてきた彼の、どっしりと構えた物腰に、先ほどまでの喧噪が嘘のように静まりかえっていく。やがて皆の視線が彼に集まり、エラルドは目の前に広げられた地図に視線を落とした。
「魔獣が見つかった地点がこの森。この森から、魔獣は一直線に南東へ……つまり、このマナリアに向かっているのだ」
すっと地図に指先を落とし、彼が言う森を示す。皆が頷くのを見て、エラルドも一度頷き、話を進める。
「このあたりは、魔物が出てくる森があるため小さな農村とかはなかったはずだ。なら、奴らが破壊衝動を満たすなら、このマナリアしかない」
簡潔に、そして冷徹な事実を述べ、彼は口を閉ざした。もう言うことはないとばかりに黙り込んだが、逆に騒ぎ立てた者がいる。執政官達は、口々に狼狽し出した。
「な、何とかならんのかっ!? そうだ、兵を出せば……!」
「無、無理だッ! マナリアの兵力は六百程度。それに比べて相手は魔獣……ッ! 分が悪すぎる!」
「いっそのこと、他国に救援要請を出せば良いのでは……!? グレーベレイやサンヌスでも良いっ! 最悪、大国ロージェリウスにでも……っ!」
「な、貴様っ! 友好国であったレフィリスを滅ぼした国に、しっぽを振れというのかッ!!」
もはや、場は騒ぎ立てる一方である。
マナリアには王という立場はなく、民から投票で選ばれる執政官達が議論を交わして約束事を取り決める、民主共和制を取っている。だが、どうしてこの者達が選ばれたのか、軍議に参加していたロスは理解できなかった。
彼女は一部隊の隊長であるが、その位は決して高くはなく、こうして軍議に参加することは許されてはいるが発言することは出来ない。そのため、内心で毒づくしかなかった。
こうしている間にも、魔獣はゆっくりとマナリアに向かっているだろう。マナリアの街が滅ぼされる前に、早く民を避難させる手はずを整えるべきである。しかし、彼等にはそれが出来なかった。
ひとえに、都市を放棄すると言うことは、国が滅びると同義であるからである。だが、この際かまってはいられない。民がいなければ国は成り立たない。このまま、国を守るために民を犠牲にすれば、今度は国が崩れ去ってしまう。
反対に、国を犠牲にして民を生きながらえさせれば、復興の道さえあるのだ。何故それに気付かないのだろう。
おそらく、団長であるエラルドは気付いているだろう。しかし、騎士団団長としての立場がそれを言いにくくさせている。
団長が国を捨てると言えば、希望がたたれる。それぞれの国の騎士団団長は、常に国の希望であらねばならない。それだけは、絶対に言ってはならないのだ。
結局、エラルドもロスも、難しい表情のまま軍議を見守るしかなかった。
軍議は、深夜遅くまで続いた。
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その頃ジークは、暗い夜道を一人ぽつんと歩いていた。ただ、肩にかけた大きな袋が、これから彼が旅に出ると言うことを明確に表していた。
街の路地裏にある広場で、ロスと手合わせをした後。彼女は部隊に連絡を入れると足早に去って行った。部下であったアイナも、強ばった表情のまま後に続く。しかし一瞬、助けを求めるかのようにちらりとこちらを見てきた事だけは忘れられなかった。
夜道を俯きながら歩く彼の表情は、ひどく悲しそうだった。だが、彼には分かっていた。魔獣と戦っても、勝機などあり得ないと言うことを。
ジークには果たさねばならない約束がある。それを成し遂げるまでは、何があっても生き延びなければならなかった。そう、思っているのだが。
「……くそ……」
胸中飛来する感情に、彼は舌打ちを放つ。理由はわかっている。良心の呵責、後ろめたさだ。
本当に、この決断で良いのかという思いが、彼の心を深くえぐる。魔獣と戦っても勝てるわけがない。それに、こちらに向かってくる魔獣の早さは知らないが、国を捨てるのならば早い段階で国民に告げるお触れを出すはずである。
それがないと言うことは、多分マナリアは魔獣と敵対することを選んだのだろう。だが、この国の兵力を考えると、援軍でも求めない限り討伐することは不可能だ。仮に援軍を求めるのだとしても、到着するまでの足止めが必要となる。
その足止めーーいわば捨て駒には、ジークのような傭兵騎士が選ばれるだろう。
高額の報酬を授けるとけしかけて魔獣に特攻させるのだろう。それによって足止めはなされるし、さらには高確率で戦死するため報酬を授けなくても良い。死んでしまったら何も受け取れないのだから。非情だが、それが常套手段である。
そのことを知っている老練な傭兵達は、魔獣が現れたと聞くやいなや、そそくさと国を放って逃げ去っただろう。ジークもそれにならって逃げようとしているのだが、いくら正当化しようとしても胸を貫く罪悪感が消えることはない。
「はは……弱くなったかな……師匠」
夜空を見上げ、虚空に呟いてみるが、答えが返ってくることはない。代わりに脳裏に浮かぶのは、自分に助けを求めるように見開かれた、彼女の瞳である。
くっと唇をかみしめ、ひたすら忘れろと念じるが、消えることはない。はぁ、とため息を漏らしとぼとぼと歩き続ける。
しばらく俯いたまま歩き続けただろうか、不意に前の方から声をかけられた。
「おう、大将。どうしたんだ、そんな神妙そうな顔して」
顔を上げると、真紅の髪を持つ男が顔中に笑みを張り付かせて立っている。彼に薄く笑いかけながら、ジークは言う。
「何だラルフか。……俺は大将なんかじゃない」
「はは、そうふくれるな」
ふくれてねぇよ、とぼやく彼に笑いかけながら、ラルフは突っ立ったままだった。それにかまわず、ジークは歩き続け、顔を俯かせながらすれ違う。
「……じゃあな」
そして、すれ違いざまにそれだけを口にした。
そのまま、数歩歩いただろうか、黙ったままだったラルフが口を開いた。
「逃げるのか?」
その一言に、ジークはようやく立ち止まった。そして、振り向いて声をかけた彼を見やる。ラルフは、彼に背を向けたままだったが、やがて意を決したようにジークに向き直る。その表情からは笑みは消え、神妙な顔つきでもう一度同じ事を聞いてきた。
「逃げるのか?」
「………ああ」
しばらく黙った後、ジークは消え入りそうなほどの小さな声で呟いた。その答えに、ラルフは思いっきりため息をついた後、
「あまり感心できねぇな……。みんな、魔獣が出たっつって、死ぬほど苦労しているのによ」
「こんな所で油売っている不良警備員には言われたくないね」
ジークの切返しに、うっせと顔をゆがめて返しくる。何か文句を告げようと口を開くラルフよりも早く、ジークは彼の目を見つめて、
「……あんたも、同じなんじゃないのか?」
そう静かな声で問いただした。その問いに、きょとんとした表情を浮かべるラルフは、二、三度瞬きを繰り返した後、あー、と呻く。
「まぁ、本心ではな。これでも、色々な場所を回ってきたんでね。……魔獣の底力を知る身としては、お前と同じように、逃げたいと思っているよ」
ぽつり、と漏らすように本心を語り始める。それを聞いて、ジークは自嘲気味な笑みを浮かべた。
「なら、逃げ出せば良い。……俺は、何が何でも生きなきゃ行けないんだ」
「……そうか」
彼の言葉に、並々ならぬ事情があることを察したのか、ラルフは彼が言った生きなきゃ行けない、という意味を問うこともなく、ただ静かに頷くだけである。だが、お調子者の彼はすぐさまニッと笑みを浮かべて、
「生きていれば、そのうち良いこともあるしな。もし俺が生き延びたら、何かおごってくれよ」
「……良いよ。そういえば、そんな約束を、昨日した気がするしな」
「おう、珍しいな。覚えたことも3秒で忘れちまう、鳥頭のお前が覚えていたなんてよ」
「人を鳥頭って言うなッ!!」
どのような状況下でも、おちょくることを忘れない彼の態度に半分苦笑し、もう半分は怒りを込めて彼は叫ぶ。やがて、ラルフはジークのことを見やると、
「んじゃあな。俺が抜け出したって事が、もうそろそろばれそうだから戻るわ。……気をつけろよ」
「それはお前達だろ」
彼の方を叩くと、そのまま警備隊の詰め所に向かって歩いて行く。そんな彼に、内心の心配を吐露させるが、ラルフはこちらを振り返ることなくただ気だるげに手を振るだけである。
その様子に口元を緩ませ、歩き出そうとしたジークだが、不意にある疑問がわき上がってきてもう一度ラルフの方へ向き直る。
「ラルフ、一つ聞かせてくれ」
「? 何だ?」
立ち止まり、振り返った彼の表情は疑問が浮かんでいた。それも当然か、と内心で軽く笑い、彼は口を開いた。
「何で、逃げようと思わないんだ?」
彼は先ほど、本心では逃げ出したいと言っていた。そんな彼が、この街から逃げない理由は何なのだろうか。問いかけると、ラルフはギザな笑みをその表情に浮かべて、
「このマナリア・クロスっていう街が大好きだからさッ!!」
「……お前にまともな答えを期待した俺がバカだった」
ため息と共に失望した表情を浮かべるジークを見て、流石に何かを思ったのかラルフは慌てた様子で首を振る。
「ああ、うそうそ、冗談だってッ! いちいち冗談を真に受けるなよ……。理由はな………この街に、恩があるからだ」
「え……?」
思いがけない言葉に、ジークは呆然としたが、ラルフの方は笑顔を浮かべて手を振った。
「じゃあな、少年ッ! また、いつの日か会おうぜッ!!」
いつもの、軟派するときによく浮かべる笑みではなく、ひどく穏やかな笑みで、ジークは少々ぞっとした。あれではまるで、自らの”死”を覚悟した者が浮かべる笑みではないか。
……強いな、お前は。
背中を見せて去って行く真紅の髪の毛を見ながら、ジークは一人心の中で呟いた。
翌日の明朝。マナリア市街に、警備隊を含めた約六百人の騎士が集められた。