第二話
警備騎士に期待を寄せられていた本人はその頃、マナリアの街並みをじっくりと眺めながら宿屋に向かっていた。
この辺では唯一の都市故に人は多く、露天商や屋台が商品を見せびらかし、行き交う人々の注目を集めていた。そのため、人とぶつからないように避けて歩かなければならなず、まっすぐに歩けない。ジークはすれ違う人々をひょいひょいと避けながら、食べ物を売っている屋台に近づいた。
「らっしゃいっ! 何か買ってくかい?」
「ん~……。そのホットドッグ頼むわ」
元気の良い店主に向かってそう頼み、屋台の一角に売られていたそれを指さす。すると店主はへい、と笑みを浮かべてホットドッグを持ちやすいように紙で包み、彼に差し出した。
「お待ちかねのホットドッグだぜっ!」
それを受け取って金を渡すと、まいどっ! と元気よく頭を下げる。この辺も相変わらずだな、と思いつつジークはホットドッグをかじりながら街の中心部を見渡した。
ここを治める人の良さを表したのか、丁寧に整えられ、地方の農村などとは比べものにならないくらい清潔な街並みは、人が住み着きやすい印象を与えている。事実、近年では地方から移り住んできた者達は、ここに定住することが多い。税も低く、街の景気が潤っていることも理由の一つだろう。
ジーク自身も、旅をする理由がなければここに住み着きたいなどと思っているのだ。
ーーまぁ、そうなるのは当分後だな。
ジークは苦笑を浮かべてホットドッグを口に運ぶ。ともあれ、先ほどラルフから渡された報酬のおかげで、路銀がだいぶーーそれこそ充分すぎるほどに貯まった。これでしばらくは、金銭に悩むことはないだろう。
彼等には何も言っていないが、”あれ”が出来しだいマナリアを出ようと思っている。だが、そのことを告げる気にはなれなかった。
しばらくして屋台で買ったホットドッグを食べ終わり、向かっていた宿屋が見え始めた頃、不意に背後から誰かが近づいてくるのを感じ取った。マターの反応から、おそらく騎士と思える。誰だ、と思いつつ振り返ると、もろにその人物と目が合った。
「あっ!? や、やば……」
目が合うと、露骨に視線をそらしてくる。だが、そんなことをやっても誤魔化せるはずもない。ジークは呆れたようにため息をつくと、声をかける。
「何やっているんだよ、アイナ」
「え、えへへ……」
するとその少女、アイナ・ミーゲルトは照れたようにはにかみ笑いを浮かべた。後ろで一つに縛った金髪を揺らしながら、彼女はジークに近づく。
「今日は、午後からはお休みにしてもらったんだ。大事な日だからね」
「ああ、なるほどね」
アイナの返答に、彼は納得して頷く。今日は彼女の姉の誕生日であり、そしてその姉は、ジークが泊まっている宿の若き女主人であった。数年前に両親が他界し、彼女が宿を継いだという話を聞いたことがある。
宿もそれなりに繁盛しているようで、経営者の妹であるアイナも本来なら店の手伝いで充分生活出来るはずなのだが、なぜかマナリアの王国騎士として勤務している。
王国騎士は、有志や志願者などで構成されている警備騎士とは違い、れっきとした軍隊である。そのため、王国騎士になろうと思っても長期間の鍛錬や試験などを受けねばならず、また、一度入ってしまうと軍人として縛り付けられてしまう。
そのため、他国との戦争になったら、真っ先にかり出されるのがこの王国騎士であるのだが、その危険性とは引き替えに、安定した給金と住居を提供してくれる。その魅力に惹かれて、王国騎士を目指す物は多い。
また、中には聖騎士や剣聖、双騎士など、アルバスト大陸全土に響くような偉大な騎士になれる可能性があるのも、この王国騎士であった。
一攫千金を狙って。または名をあげるため、といった目的で騎士になる者も多い。
ジークは自分よりも少し背の低い彼女を見やる。アイナの今の服装は、軽装ながらもきちんとした鎧に身を包んでおり、その鎧にはマナリアの王国騎士を示す銀十字の文様が描かれている。ろくな防具が古ぼけた鎖帷子1枚のみ、というジークの鎧姿と見比べると、よほどしっかりした装いだ。
騎士としての年期は自分の方が上なのに、同い年の後輩の方が良い物を付けていることにやや嫉妬しつつ、口を開いた。
「何か良い物は用意できたか?」
「うん、お姉ちゃんにあげるプレゼントは用意できたよ。ロス隊長にもアドバイスをもらったからね」
「ロス隊長からか……」
ジークは、やや苦手なマナリアの王国騎士隊の女隊長の名前を聞き、頬を引きつらせる。しかし、隊長であると同時に女性としての感性は高い人なので、きっと良い物を選んだんだろうな、と思考する。だが、次の瞬間には頭の中でロス隊長が激怒した様子でがなり立てるのを反射的に想像してしまい、深いため息をついた。
やはり、初対面であれだけしてしまうと、嫌われるのも分けないか。
「ジーク? 元気なさげだけど大丈夫?」
「ああ、うん。……ちょっと、思い出したくないことを想像しちゃったから」
ジークのため息を聞いたアイナが心配そうに尋ねるが、それに首を振って答えた。後半部分も聞こえたのか、彼女は首をかしげる。
「思い出したくないこと? 何か気になるけど、まぁいいか。っと、ようやく到着~」
そう言って見上げた先には、少々小さめの宿があった。このご時世、間貸しだけでは食ってはいけないので、食堂も等しくやっているこの宿屋の名前は、「カリクロス亭」。昼過ぎという時間帯故か、客足は多くはないようだ。ここが彼女の家でもあるため、宿への扉を躊躇なく開け放った。
「ただいま~。帰ったよ、お姉ちゃん」
「あら、お帰り、アイナ。……それにジーク君まで」
「はは、どうも」
扉を開けると、すぐそこの向かい側にカウンターがあり、一人の女性が座っていた。こちらを確認して笑いかけ、帳簿を付けていたのか、手に持った筆を置く。
眼鏡をかけ、長い金髪を背中に払った、どこか儚い容姿をしているこの女性こそが、アイナ・ミーゲルトの姉上。トリシュ・ミーゲルトである。トリシュは、宿に戻ってきた二人を見やると、何故か含み笑いを漏らした。
「あらあら、お邪魔だったかしら?」
「……お、お姉ちゃんっ!」
やや焦ったようにトリシュに詰め寄る彼女を見て、ジークため息をついた。
「あのね、トリシュさん。俺と彼女はそんな関係じゃない」
「そ、そうだよお姉ちゃんっ! あたしとジークはそんな関係じゃありませんっ! 全然そんな関係じゃないんだからねっ! あたしとジークを勝手にくっつけないでよっ!!」
「……」
捲し立てるように立て続けに叫ぶアイナを見て、ジークは複雑な気持ちを抱いていた。確かに自分と彼女は、そんな関係ではないが、そう立て続けに、全力で否定されていたら流石に傷つく。そう思っている自分に気付き、首を振って雑念を追い払った。
「はいはい、そういうことにしておくわ。ーーそれより、あなた帰ってきたなら少し手伝いなさい。着替えてからで良いから」
「……絶対わかってない」
妹の言葉をさらりと流し、トリシュはにこりと笑いながら、しかし有無を言わさぬ雰囲気を醸し出しながら告げた。すると、アイナはやや不満げながらも、姉には逆らえないのか素直に二階に上がっていく。その姿をなんとなしに見つめながら、不意にトリシュが口を開いた。
「ーーありがとうね」
「はい?」
いきなり言われた感謝の言葉に、ジークは面食らった顔で聞き返す。宿屋の女主人が、どこか悪戯めいた笑みを浮かべているのが気になった。
「あなたなんでしょ? あの子に剣を教えてくれたのは」
「あ、はは……。気付いていたか?」
うすうすね、と彼女はウインクする。あの子、というのがアイナを指すのだと悟り、苦笑いを浮かべて頭をかくジークに、どこか優しい目つきをしながら彼女は言った。
「おかげで騎士団を除隊されずにすんだわ。あの子はお礼を言っていないだろうから、私から言っておくね。ありがとうございます」
「いや、たいしたことじゃない。それに、礼を言われる筋合いはないしな」
本当にたいしたことではない、と彼は思っていた。この宿に泊まった最初の晩、長旅で疲れた体を休めているときに庭の方から剣を振るう音が聞こえたのだ。不思議に思って窓から見下ろすと、一人の少女が一心不乱に剣を振るっている所であった。
少女の剣は完全に素人そのものであったのだが、その表情に焦りが浮かんでいたのを見て不思議に思い、声をかけたのだ。詳しい話を聞くと、何でも自分はマナリアの王国騎士に入っているということ、しかし入ったは良いがその後の訓練がうまくいかず、数日後の試験を落とせば騎士団を除隊させられると言うこと。
それを聞いたジークは珍しく、自ら彼女に剣を教えようかと口を開いた。少女は驚いていたが、自分の口からそんな言葉がすんなり出て来たことに彼自身が一番驚いていた。やがて、少女は金髪を揺らしてこくんと頷いたのだ。ーーその少女が、アイナであった。
それ以来、時間があれば剣の手ほどきをし、それをきっかけに彼女の姉とも親交を深めたのであった。おかげで宿の値段が割引されたため、多少こちらも助かったのだが。そのことを思い出しつつも、ジークは微妙な表情で黙り込む。まるで、そのときのことを悔いているかのように。
「何言っているのよ、お礼の言葉くらい受け取りなさい。別に賄賂を送っているわけじゃないのよ」
「でもなぁ……」
煮え切らない態度に、トリシュは呆れながらも呟く。
「受け取りなさい。ーー私はあなたに感謝しているのよ。あの子の夢を、叶えてくれて」
「えっ?」
夢を叶えた? 俺が? ジークはほおけたようにトリシュを見て、訝しげな表情を浮かべた。
「それって、どういうーー」
「あたしの夢は、王国騎士団に入る事だったのよ」
返事は上から降ってきた。ジークとトリシュはそろってそちらを見やると、二階に通じる階段から、私服に着替え、その上からエプロンを身につけたアイナが降りてくるところだった。彼女は、トリシュの方にべーと舌を出すと、
「勝手に夢をばらさないでよねっ! 全く、口が軽いんだから……。まぁ、ジーク相手だからまだ良いけど……」
「あら、ジーク君なら秘密を知られても良いの?」
「そ、そんな訳ないでしょっ!」
がー、と叫び出すアイナを見ながら、ジークは羨ましそうに口を開いた。
「……本当に、仲良いんだな、お前ら」
『どこがっ!』
彼の言葉に、二人そろって反論してしまい、互いに顔を見合わせてそっぽを向く。その様子を見て、ジークはやっぱし、という風に腕を組んだ。愉快そうに見続けるうちに、二人は言い争いを再開してしまう。もう、止める気にもなれなかった。
「そんじゃ、俺は上に行ってるぜ」
返事はなく、それどころかちゃんと聞こえたかどうかも怪しいが、ジークは気にせず二階の借りている部屋へと戻っていく。
部屋に置かれているのはテーブルと椅子が一組、それれにベットと簡素な衣装棚ぐらいであるそこに戻ると、彼は背負ったままの愛剣をマターの中に収納して、堅めのベットに横になる。すると、昼間から体力と精神力を削りまくったせいか、すぐに瞼が重くなってきた。抗う気力も沸かず、ジークはそのまま睡魔に身をゆだねていった。