4話 カギっ子はカギを忘れちゃだめだ
鷺宮邸。
吉祥寺南部のぽつぽつと点在する住宅街の中の一つ。
近くに大きな公園があり、人の通りは多いが、鷺宮邸は細い小道の中にあるので比較的喧騒から遠い場所にある。
つまり、住む人以外はめったなことではここを通らない。
だが、そこに住民ではない人物が通りかかった。
「古い家だな。純日本家屋って感じ・・・ん?」
ふと玄関のほうを見たら、人がいた。
玄関に座っている。
「・・・?」
「・・・」
通りかかった人物は、見なかったふりをして、通行人のふりをして(実際通行人であることは変わりない)通り過ぎればよかった。
だが、足が動かなかった。
玄関に座っているのは少女だった。
高校生ぐらいの女の子。肩ほどまで伸ばした髪の毛がさらりと風に揺れた。
大きな瞳がその人物を見ていた。
動けなかったわりに、その人物は少女に声をかけた。
「ねえ君、この家の子?」
「・・・」
確実に警戒している。
当然だ。いきなり通行人に声をかけられるなんて、この御時勢警戒しない方が不用心だ。
だが、少女には一応社交性があるらしい。質問に答えた。
「・・・違う。
ここで働いているんだけれど、鍵を忘れて入れないだけ」
「なんだ。そりゃ災難だな」
「別に。初めてのことじゃないから。
しばらくすればみんな戻ってくるはず」
「暫くってどれくらいだ?」
「・・・夕方ぐらい、かな」
「って、まだ相当時間あるじゃないか。その間遊びに行けばいいじゃないか」
「興味ないわ」
「へ、へぇ・・・今どきにしては珍し」
「別に。待つことは嫌じゃない」
男はにかっと笑って、少女のほうに向きなおった。
「じゃあさ、俺と話しない?」
「・・・?」
「暇だしさ。俺も。
君がもし人と喋るのが嫌じゃなかったら、俺が暇つぶしになるんじゃないかな」
そういう男に面を食らった少女だったが、少しだけ、ほんの少しだけ表情が柔らかくなった。
「お兄さん、変な人だね。
私じゃなかったら変質者かストーカーかと思って訴えられちゃうよ?」
「確かに。まぁ君ってなんだか変わってるなぁって思ってさ。
そっちいっていい?」
「いいよ」
彼はすたすたと足をすすめ、ぼさぼさで手入れの行き届いていない庭をちらりと見た後、玄関に腰を下ろした。
生え際が少し黒くなってしまった茶髪、容姿端麗ではないが、男くさいわけでもない。
TシャツにGパンという、どこにでもいそうな青年だ。
そんな彼が少女に招かれて、何も分からずここにいる。
奇妙な光景だ。
「お兄さん、お名前は?」
「阿佐ヶ谷海人。みんなからはカイって呼ばれてる。君は?」
「神楽坂千秋」
「そうか。じゃあ秋って呼んでいい?」
海人の提案に、千秋は再度驚いた。
何故驚かれているのかわからない海人は、首をかしげてしまった。
「どうした?」
「だって、私の名前聞いたら普通、ちーちゃんとかそうつけるんじゃないの?」
「確かに。でもさ、ちーちゃんなんて普通じゃね?」
「変なの。カイ君ってやっぱり変だわ」
「気にすんな」
けらけらと笑う海人を、少しだけ訝しげに見ながらも、千秋はあまり悪い気がしていない様子だ。
天気は良くて、まだまだ暑い。
それでも屋根の中に入れば暑さはしのげた。
からっと、湿度の低い日だった。
出会ったばかりの二人だったが、あっというまに打ち解けてしまった。
「そういえば、ここが仕事場?」
「そうだよ」
「へぇー。何のバイトしてんの?」
「バイトじゃないよ。私はちゃんとした正社員だよ」
「せ・・・正社員・・・」
「ここはね、困っている人にお仕事を紹介してあげる場所」
千秋の説明に、海人は目を丸くして詳しく聞かせてくれとせがんだ。
「春さんはこの家にいて、尋ねてくる人に職業を紹介してあげているの。
なぜかっていうと・・・」
「た、頼む!俺を、俺に仕事を紹介してくれ!!」
平日の昼下がり。
それは春が再び鷺宮邸に戻ってくる5時間前のことだった。