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2話 一人で生きていきたいんです

こぽこぽ、と急須にお茶が注がれていく。

クリスは湯呑みを様々な角度から見て、隣でお茶を注ぐ女性に訪ねた。

「あの、これは一体どこを持てばよいのでしょうか?」

お茶をすべて注ぎ終わった女性は、驚くこともなくクリスの疑問にほわんとした雰囲気を持って答えた。

「これはね、こうやって両手で持ってね」

「取っ手はないのに、ですか?」

「そうそう。それでね、こうやって飲むのですよ」

「・・・桜、それは自分のために注いだお茶では?」

「あらあら、ごめんなさいね。春さん」


桜とは、ベージュ色の髪の毛を腰ほどまで伸ばしている、スタイルのいい細身の女性だ。

本名は本八幡桜という。

春との関係はクリスにはわからないが、どうやら助手のような人であることには間違いないだろう。


クリスは普段は見慣れぬ緑色のお茶に最初は恐る恐る、という感じだった。

そして、それを口にした時、ほう、と息を漏らした。

「おいしい、です」

「だろうね。

この世界に来られた段階で貴方はここら辺の食べ物はたいてい口に合いますから。

さて、自分もそんなに暇じゃあない。話を進めましょう」


桜が居間から出ていった。

途端不安になったのだろうか、クリスは緊張しきっていて春と向き合えないようだ。

ひとつひとつ、春はクリスを見ていった。


「思った以上に臆病ですねぇ。

妃という立場であれば人見知りでいられるほどの余裕などないでしょう」

「そ、それは・・・仕事と割り切れば・・・」

「結婚する前の貴方は、心が優しく生き物と植物を愛する、明るく誰からも愛される少女であったと伺っていますが」

「そう、でしたかしら・・・今は思い出せません」

「結構。人は変わるものですからね。

何も知らない、わからない箱入りの世間知らずのお嬢様。自分はそういうの好きじゃあないんで」


クリスにはまだよくわからなかった。

春は一体何が言いたいのだろうか。

彼女が聞くよりも早く、春は話を続けた。


「よくも悪くも貴方は大人になったわけだ。

少女は王子様に魅入られ、お姫様になった。めでたしめでたし。

それが普通のおとぎ話のハッピーエンド。とはいっても、貴方の人生がそこで終わるわけではない。

自分は絵本の先っていうのが気になってね。つまり今自分はそれを垣間見ているわけなんですねぇ」

「あ、あの・・・」

「気にしないでください。独り言です。

今度はちゃんと質問します。

貴方はどうして妃をやめることにしたのですか?」


ちゃぶ台に肘をついて、春は手を組んでまるで尋問するようにクリスに訪ねた。

クリスは最初は喋りづらそうにあぁうぅ言っていたが、意を決したのか、小さい小さい声で言った。


「お・・・夫が・・・浮気をして」


それを言った後、クリスは両の青い瞳に涙をためた。

だがそれは落ちる寸でのところで彼女の意思によってとどめられていた。

そんなのただの表面張力だけど、と春は思ったが言わない。


「なるほど。

側室とか妾とか第二王妃とか、まぁそんなのおとぎの国にはないんだろうね。

中世ヨーロッパが大体モチーフになっているけれど、そういう現実的でドロドロなんて物は普通は描かない」

「?」

「あぁ、相変わらずこっちの話です。

で、それがどうして働くことにつながるのですか?」


クリスはもじもじと手を動かしてばつが悪そうな顔をしている。

春はそれをせかすことなく、ただクリスの言葉を待った。


暫く沈黙を続けたクリスは、意を決して言った。


「私、もうお城には戻りません。

自分ひとりで、知らない場所で生きていきたいんです。

結婚した最初のころは幸せでした。

自分を愛してくれる人がいるということは、満たされる思いがしました。

今はひとりの時間がほしいんです。そのためには、何も知らない世界でがんばってみたいんです」


春はクリスの決意を聞き終えた後、それについて何も言わず、

ちゃぶ台の上に一枚の紙を出した。

そしてインクの瓶と羽ペンもつけた。


「これが契約書です。

ここの四角枠にお名前を。もちろんフルネームでね」

「い、いいんですか!?」

「かまいません。仕事を紹介しましょう。

契約書の内容、読めないでしょうから口頭でいいます」


クリスは春の話を聞く前にペンに飛びつき、インクを浸した。

春はそんな様子に特に喜怒哀楽を見せず、淡々と説明を始めた。


「貴方に紹介する仕事は一種類。拒否権は一応あります。

一日だけ体験的にその仕事に触れてもらいます。というのも貴方はこっちの世界の人じゃないのでそこは配慮します。

もし契約に則って働く決心をされましたら収入の3割をこちらに払ってもらいます」

「・・・3割も、ですか?」

「はい。何か御不満でも?」

クリスは一瞬頭の中で計算をした。

どう考えたって3割は高いが、彼女がすがることができるのは春以外になかった。

「わかりました。よろしくお願いします」

「はい。じゃあこの契約書、いただきますね」


クリスが名前を書き終えたと同時に、部屋に桜が入ってきた。

そして契約書を手に取ると、丁寧にファイリングした。

ファイルを春に渡すと、桜はクリスに言った。


「さぁ、明日はいよいよお仕事場に向かいますからね。今日はゆっくりなさって。

お部屋に御案内するわ」

「え・・・泊まってもよろしいんですか?」

「もちろん。ひとまずお部屋でゆっくりされて、晩御飯ができたら声かけますからね」

そう言って桜はクリスの手を取ると、居間から出た。


一人残された春は大きくあくびをしたのち、鏡台に布をかけた。

そしてさきほどのファイルを鏡台の引き出しに入れて、


「さて、ひと眠りするか」


ごろりと縁側で横になった。




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