血犬流し
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
犬が、ずっと昔から人と一緒にいた、ということを知らない人はほぼいないと思う。
今から数千年前の壁画で、すでに首輪とリードをしている犬の絵が残っているというからその関係は深いものといえるだろう。
もちろん、実利的な面での付き合いは多々あったはず。しかし、一緒にいる時間が長く、なじんでいるとなれば様々なモチーフにもされやすい。
個人の完全なる想像の産物だとしても、どこかに作者が影響を受けた、あるいは意識したものが感じ取れてしまうのが常。身近にいるものならば、そのターゲットにされることは往々にしてあることだろう。
良いところも、危ないところも熟知しているのだから。その知識を下敷きにしておけば、くどくど説明しなくとも、相手は本能的に察してくれるはず。
そのような意識があるから、我々に迫る脅威もまた犬のかたちをとりやすいのかもしれない。
先生の以前の話なのだけど、聞いてみないかい?
先生が子供だった当時は、まだ野良犬をそこかしこで見かけることがあった。
猫に比べると、近寄ろうとする子はなかなかいなかったなあ。チワワやプードルみたいな愛玩系として知られる犬種は少なかったからねえ。
防犯も兼ねられる吠え声も期待されて、柴犬やブルドックの中でも、そろっていかつい顔つきをしたものが飼い犬の大半。野良犬の種類も似たり寄ったりだったが、ときにドーベルマンレベルの大型犬をみると、さすがにビビったねえ。
先生の家も犬を飼っていたものの、そいつにかまれるわ、追いかけられるわで、子供のころは全然良い印象を持っていなかった。どちらかといえば苦手寄りの生物で、視界に犬を見つけると、さりげなく逃げ道やう回路を確保しようと怪しい動きを始めたものだ。
その日もまた、犬に出くわしてしまった。
これから友達の家へ遊びに行こうとするおり、どうしてもルート的にそこを通ったほうが断然早いという保育園の前だ。
園と隣り合った畑とを仕切る、ブロックとフェンス。その陰からぬっと、その姿を見せたんだ。
体高およそ50センチ。モデルを思わせる無駄のない骨と筋肉。短めの毛にちっこい頭、背中から足にかけて整った曲線。ウィペットってやつか、と先生はひとりごちる。
のそのそと出てくるウィペットを見て、先生が目を丸くしたのは、その体があまりに真っ赤っかだったからだ。
赤みがかったなんとやら~みたいな、比喩じゃない。
ほんとに赤い。先にあげた頭から足に至るまでが、きっちりとだ。
ムラ、したたり、塗り残し……少なくとも先生の目では分からない。誰かがいたずらでこの犬へこさえたにしては、スキがなさすぎる。
犬はというと、先生のほうへ一瞥たりともくれてやることなく、スタスタと目の前を横切っていく。園の道路をはさんで向かい側には、一軒家のガレージがある。
ワゴン車の留めてあるそこへ、足取りを緩めることなく潜り込んでしまう、赤いウィペット。その身には首輪もリードもないから、かの家で飼っているとしたら、あまりに自由が過ぎた。
――なんだか気味わりいな~。
そう思いつつも、苦手のもとが向こうから消えてくれたのは幸運。ささっと、その場を去った先生は、予定通りに友達の家へ急行。いつも遊びに行くと通される居間のソファへ腰をおろすと、用意してもらったお菓子をつまみつつ、先ほどあったことを話す。
ちょっと愚痴る程度のつもりだったが、話を聞くや友達が眉をしかめた。
「ねえ。その犬、本当に真っ赤だったんだよね?」
しきりに、その点を確認してくる。
そうだと、そのたび首肯すると友達はちょっと考えたあと、いったん部屋を出ていった。戻ってきたとき、手に持っているのは割りばしとカッター。
これでなんともなければいいんだけどね~、とのたまいながら、カッターでしゅっしゅっと割りばしを削っていく。格別、丁寧な手並みではなく、刃を幾度も受けた割りばしは、たちまちササクレだらけとなった。
「顔を動かさないで。この割りばしが通り過ぎるのをよく見てね」
友達がそう話し、割りばしを握りながら先生の視界外へセット。そのままさっと、先生の目前を横切らせた。
信じられなかった。
確かに、友達が握っていたものはササクレだった箸。それがいま、目の前を横切ったと思ったら、先ほどの赤いウィペットの影そっくりだったからだ。
驚きの声をあげる私の反応を見て、友達も「やっぱり」と察したらしく、割りばしを置くや、今度は部屋の隅からうちわを持ってきた。
顔をあおぐにしては心もとない、まるで金魚すくいの「ポイ」を思わせるコンパクトさだったよ。
「おそらく、目の中に血犬が入っているよ」
友達にそう告げられる私。
血犬とは実在する動物ではなく、目に起こる異常。本来、存在しないものが見えてしまうものだが、あくまで目のコンディションによる視覚異常だという。
今なら一時的なもので済むと、今度はうちわを構える友達。私には、動かなくていいが、まばたきは意識的に行わないよう気を付けてほしいとのこと。これから血犬を排除する、ということで。
まばたきをせずに浴びる、うちわの風はなかば拷問のようだった。まなこはしょぼしょぼして、ついまばたきしたくなるが、そのような気配を見せるたびに友達はあおぐのを中断してしまう。
でも、友達の注意もあながちハッタリではないことが分かった。風を浴びる私の眼からは、涙とは別に青と赤が微妙に入り混じった、奇妙な液体が何滴もしたたり落ちた。
友達に、まばたきをするなと言われたものの遵守しきることはできず、何度かはほぼ無意識にやってしまい、そのたび後悔した。目を閉じ合わせると、逆さまつげが何本も眼球に刺さったかと思う激痛が走るからだ。
それによって流れる涙が例の液体と混じり、顔を流れ落ちると、これまた肌に針でも刺したような痛みが生まれる。垂れ落ちる軌跡に沿って、幾本分も幾本分もだ。かといって、泣けば更に悪化するばかりと追い詰められて、人生屈指のやせがまんをする羽目になったよ。
地獄のように思えた時間も、実際には数分程度のもの。
「もういいよ」と友達からお許しが出た時には、もうまばたきしても痛みはなく、例のササクレ割りばしが真っ赤なウィペットに見えることもなくなっていた。
血犬の原因はまだはっきりとはしないものの、何かしらの細菌がゴミなどとともに目へ入り込んだうえで、発作的に症状をひねり出すんじゃないか、と友達は考えているらしい。
犬が見えるというのも、多くしらされる例がそれであるというだけで、他のものであるケースも存在するとか。
友達も少し前から血犬の症状に出くわし、家族に助けてもらったから対処できたと話していたよ。ひとまずできる予防は、顔を洗う際に目もよく洗ってきれいにしておくことと、頻繁にまばたきすることによる、涙での洗浄だという。




