第8話
俺は矢野、御影と合流し、寮の玄関へ向かう。
すると、待っていたのは七瀬を含めた女子生徒が三人。
つまりこれでCクラスへの昇格メンバーが全員揃ったことになる。
「綾城くん、おはよう!」
弾むような笑顔で初めに迎えてくれたのは、共にペアを組み昇格した七瀬陽菜。
その後他の女子とも挨拶をしたところで、
「じゃ、そろそろ行こっか」
七瀬の明るい声を合図に、俺たちは学校へ足を進ませたのだった。
嶺翠高校までは徒歩五分ほど。
しっかりと横幅の確保された整地を進めば、あっという間に到着だ。
他の生徒も通学している中、俺たちのグループは前に女子三人、その背中を追うように男子が三人横並びになっている。
楽しそうな女子の笑い声。
人一倍明るい七瀬の、冗談めいた言葉に二人の女子も声を上げて笑っている。
入学してまだ一週間も経っていないのに、なんというか凄いな……。
「――なぁ、綾城! 聞いてんのか?」
「えっ!?」
「え、じゃねぇよ。Cクラス! ついにあがっちゃったなって! なぁ蓮、綾城が目の前の女子に興奮して、俺の話聞いてくれないよ〜」
翼はオイオイと情けない声をあげながら、蓮の肩に縋り付く。
「はいはい、可哀想だね〜」
と、蓮は手馴れた仕草でブラウンの短髪を軽く撫でている。
「二人は、仲良いんだな」
おい、誰も女の子なんて見てないよとツッコミたい気持ちを内に伏せて、俺は別の話題を振った。
翼も蓮も、前世で同じDクラスにいて、同じようにCクラスに上がっていったことだけは覚えているが、それ以外の情報は完全にゼロだ。
「ま、俺たち中学から一緒だからよ」
「腐れ縁、ってやつだね」
「俺が手足、蓮が頭脳って感じで、俺ら昔から相性いいんだよな?」
「そんな説明じゃ、綾城くんが分からないって」
そう言って、彼は情報を補足する。
「翼は中学の時サッカー部でね、僕はそのマネージャーをしてたんだ」
「マネージャーという名の司令塔な」
翼は一言付け加え、ニシシと笑みを浮かべる。
「司令塔っていうほど立派な立場じゃないけどね」
「何言ってんだ。試合の時の作戦は、ほぼ全て蓮が決めてたってのに」
なんとなく高校以前の知り合いってのは感じていたが、まさか部活まで同じだったとは。
「つまり頭がいいのか」
「そうそう、蓮は頭がいいんだ!」
「頭がいいだなんて、そんなこと……というかそれで言うと、綾城くん、君の方が凄いじゃないか!」
「え、何が?」
突然話の矛先が変わった。
「だって先週の特別試験、あの朝倉ってやつの策を逆手に取って一位とか、普通いきなりの試験でそんなことできないよ」
「たしかにな! しかもあの荒くれた朝倉に、綾城は一切ビビってなかった。肝まで座ってやがるとは恐れ入ったぜ」
「いやいや、それはちょっと褒めすぎというか……」
これまでどこに行っても底辺で、あまり人に褒められることなんてなかった。
だから正直、反応に困る。
だけどそれからもその話題が尽きず続いたまま、
俺たちは気づけば校門をくぐっていた。
しかし矢野翼と、御影蓮か。
正反対な性格の割に波長も合っている。
二人とも気さくで話しやすいな。
これから同じ昇格組として共にいるのなら、いい巡り合わせだなと思った。
学校玄関で靴を履き替えて廊下を進んでいると、
「にしてもCクラスの教室、緊張するな」
翼がポケットに手を突っ込みながらそう呟く。
「DとCじゃ空気が違うらしいね。具体的なことまでは、ハッキリ分からないけど」
「そりゃ別のクラスだしな。馴染めればいいけど」
と、俺も会話に参戦しておく。
教室の前に着いた瞬間、ピタリと話が止まった。
「男子、ちょっと開けてよ」
いつの間にか後列に回っていた昇格組の女子メンバーの一人から、声がかかる。
「え〜この流れ……俺しかいねぇか」
昇格組を一通り見渡した翼が諦めたように、深く息を吐く。
翼は閉まり切った扉に警戒しつつも、いざ開けるときは自然な感じで開けてみせた。
中は代わり映えしない教室の景色。
しかしDクラスとは違う違和感があった。
まだ始業前の時間帯。
友達同士で集まってるいくつかのグループが談笑しているよくある光景のはずなのに、そこには明確な違いがあった。
「……なにこれ、静かすぎるよ」
七瀬が後ろから、俺の耳元にそう語りかける。
なんというか、ざわつきみたいなものがない。
かといって試験直前のような緊張感とも違う。
休み時間の過ごし方自体には変わりないが、それにしては大人しすぎる感じ。
声のトーンは小さくガヤガヤしない。
妙に落ち着きすぎている。
「えっと、今日からCクラスの仲間になる、矢野翼です。みんな、よろしくー!」
そう思った矢先翼が一歩前に出て、手を上げた。
明るい声が、教室の静けさに刺さる。
瞬間、何人かの生徒が「……おう」「よろしく」と小さく応じた。
だが、その声には力がない。
顔を上げた生徒の数は、ごくわずか。
そして、返した側の表情には──どこか表情の固さ、引き攣りのようなものがあった。
反応はある。
だが、どこか無理をしている。
俺たちに向けたものというより、場の空気がそうさせているという感じ。
そして俺たちの席は、教室一番廊下側の縦一列にまとめられていた。
昇格して初だからか、分かりやすいように机の角に名札もついている。
「……とりあえず座るか」
翼はさっきの明るさとは違う、少し落ち着いた声色でそう言って、自分の席に向かう。
「郷に入っては郷に従え、だね」
それに続く蓮。
俺たちも順に腰をかけていった。
クラスごとに特色があるのは分かる。
賑やかなクラス、大人しめなクラス。
集まった生徒によって、そのクラスの雰囲気というのは自然に変わっていくもの。
だけどこのCクラスは何かが違う。
まだ答えは見えない。
けれど、Dクラスとはまったく異なる何かが、この場を支配している。
それが誰かによるものなのか、
それとも、このクラス全体の文化なのか。
前の人生では関わることのなかったクラス。
だからこそ、今の俺には検討もつかなかった。
チャイムが鳴ると、皆はそれぞれ席に戻る。
そして教室の空気が微かに張り詰めた。
すぐに扉が開き、女性教師が入ってくる。
年の頃は二十代半ば。きれいにまとめた黒髪と、きっちりしたスーツ。
「おはようございます、皆さん。そして、昇格してきた6人の皆さん。私はCクラスを担任してます、晴海京香と申します。今日からよろしくお願いしますね〜」
優しい笑顔。明るい声。
だが彼女もまた、どこか表情が固い。
Cクラスの晴海京香。
たしか俺たちの入学とともに赴任してきた教師。
まだ仕事に慣れてない分、緊張しているようにみえるだけだろうか?
それからホームルームは順調に進み、話は今週ある授業内容へと移った。
「えっと……明日の総合学習では、自由研究を予定しています。テーマは、そうですね……『嶺翠高校の歴史について』なんて、どうでしょう? ちょっとザックリしすぎでしょうか?」
はにかみながら、春海は黒板に「自由研究テーマ」と書き出す。
その時だった。
──カツン、と小さな音。
窓際最後列の生徒が、音もなく立ち上がる。
彼は微笑みながら、やや首を傾けて言った。
「春海先生。テーマを固定にすると、個性が無くなってしまいませんか? 個人を尊重することこそが、この高校の特色かと思いますが 」
声は穏やかで、言い回しも丁寧だった。
だが、それに続く沈黙が──異様だった。
教師が戸惑う前に、教室全体の空気が止まった。
皆が一瞬だけ、彼の言葉に反応するかのように、動きを止める。
春海の表情が、わずかに揺れる。
「……あっ、そうね……たしかに。じゃあ、総合学習のテーマは士門くんの言う通り、『自由』これで進めましょうか」
無理に笑顔を浮かべながら、黒板の文字を静かに消していく。
彼の一言で全てが決まった。
あんなのは、提案じゃない。
そう見えるだけの、独断。
誰も驚きもさず、反論もしない。
そんなレベルだった。
その異様さよりも今意見を述べた彼、
俺はソイツを知っている。
――影鳳會。
俺は彼の顔を見つめた瞬間、記憶が焼き戻るように蘇った。
前の人生。
最期に、俺を見下ろしていた眼。
何も言わず、笑いもしないまま、命が踏みにじられた光景。
──影鳳會。
この男は、その一員だ。
一見優しい見た目と口調だが、瞳の奥はまるで笑っていない。
教師すら逆らわない……いや、逆らえない空気。
そんな自由のない空間を作り出しているのは、間違いなくアイツだ。
このCクラスで生きていくためには、まずはあの士門という男を知らなければいけないな。
そうして昇格して初のホームルームは、大きな引っ掛かりを残したまま、終えることになった。




