第19話
夕陽に染まる屋上は、放課後のざわめきから切り離されたように静かだった。
フェンスの隙間から吹き込む風が髪を揺らし、遠くの校庭から雑多な声が響く。
その中央に、士門湊人は立っていた。
背を向けたまま、遠くを見据えるその姿は、いつも教室で見せる柔和なものではない。
「……士門」
扉を閉め、俺は一歩ずつ近づく。
靴音がコンクリートに響くたび、張り詰めた空気が肌にまとわりつく。
「手のひらで踊らされていたのは、僕の方だったんだね。綾城理央くん」
振り返った士門の瞳は、冷たく光っていた。
けれど、その奥に微かな苛立ちと焦りが滲んでいるのを俺は見逃さない。
「一人で勝ち誇っていたのが、バカみたいだ」
短く吐き捨てるように言い、士門は視線を逸らす。
「お前、このまま一人で突っ走るつもりか?」
自重気味な様子の中、わずかに見える余裕。
俺はその横顔に切り込んだ。
屋上を吹き抜ける風の音に、士門の答えが混じる。
「あぁ。僕は一人でもBクラスに行ける……いや、一人じゃない。あっちには友達がいるんだ」
力強く言い切るその声に、俺は眉をひそめた。
「……Bクラスにいる友達、か」
士門の背中に向けて、俺はさらに歩みを進めた。
夕陽の光が、俺たちの影を長く引き伸ばしていく。
「桐生大我と、篠原美琴――」
ピクリと、士門の肩が揺れる。
鋭く射抜くように視線を向けると、夕陽に照らされた彼の瞳が一瞬だけ揺らいだ。
「……なんで、その名前を」
「調べればわかることだ」
中間試験対策の間、掃除や交友を深めていただけじゃない。
未来の影鳳會、そして次の相手を把握するため、俺はBクラスに所属する二人の情報も同時に集めるようにしていた。
「桐生大我、彼は横暴な性格で、Bクラスを腕っぷしだけで従わせているって噂だ。そして篠原美琴。か彼女は清楚な見た目とおしとやかな所作で男子人気も高い女子。だけど一方、冷徹無慈悲で他者を簡単に裏切ることができるらしい」
士門は俺の言葉に、黙って耳を傾ける。
「そんな奴らを本当の友達だって言えるのか?」
「……そ、それでも僕は、彼らと一緒に……Aクラスへ、いく」
言葉を重ねるごとに、士門の眉間には深い皺が刻まれていく。
どうやら俺の言い分にも、一理は感じているようだ。
だが実際、彼らの仲はこの先十年後も健在。
闇の組織として根深くなっていくわけだが。
「人を陥れ、蹴落として、これからも上を目指すとする。だけど、それは本当に自分が望んでいることか? お前の母親が喜ぶことなのか?」
「……っ!?」
士門の瞳が大きく揺れた。
「子ども食堂。夢なんだろ?」
士門湊人。
彼はこのまま進めば、問題なくAクラスまで駆け上がれるだろう。
桐生大我、篠原美琴も同じく。
互いに裏切ることなく、この先十年、共に寄り添い、仲間として親交を深めていくはず。
だからこそ、影鳳會が創設される。
Aクラスを目指す道としては、きっと間違ってない。
だが人生という長い道のりで言えば、彼は間違えていくこととなる。
今の段階で彼を正すことができるのは、それはきっと俺じゃない。
お前の母親だ。
「で、でも……その夢を、叶えるためには、上を目指して……それで、柊木くんのそばにいかなきゃいけないわけで……」
「なら俺たちと上を目指そう」
「……は?」
士門は思わぬ俺の発言に、眉を寄せ目を見開く。
「だから、僕は柊木くんと一緒に……」
「お金のためだろ? 柊木ホールディングスの力が欲しいだけ」
「っ……!」
唇を強く噛み締める。
その深い沈黙は、士門の心の揺れを雄弁に物語っていた。
俺はその隙を逃さず、さらに畳みかける。
「金なら、俺が用意する!」
「な、何言って……」
「士門がこの先、CクラスのみんなとAを目指すってんなら、俺がなんとかする!」
正直どうにかなるかは分からない。
だが朝倉に金をむしり取られていたあの未来に戻るくらいなら、子ども食堂に資金を賭ける方がよっぽど夢のある話だ。
「そんなの、綾城くんが本当に払う保証なんてどこにも無い! 何をもって信じろっていうんだ!」
「それは柊木も同じことじゃないのか?」
「……」
士門は苦悶な様子で口を噤む。
次第に揺れる心の中。
口数も徐々に減り、まるで俺の言葉を待っているかのように、士門は完全に口を閉じた。
「士門、俺たちを使え」
俺は一歩踏み出し、士門の目を射抜いた。
「Cクラスを、手足として。お前の支配でもいい。まずは一緒にBクラスを叩き潰し、クラスごと上にあがろう」
士門の瞳が細まる。
「……つまり君は、僕を手足にするんじゃなく、僕の手足になるって言ってるのか?」
「どっちでも構わない」
即答する。
「結果としてCクラスが勝つならな」
これは完全なる本心。
屋上を吹き抜ける風が二人の間を切り裂く。
互いの視線が絡み合い、一触即発の緊張が張りつめた。
「その後に考えたらいいじゃないか。お前が一人でAクラスに上がるのか、俺たちと一緒にAクラスを目指すのか」
そして最後のひと押し。
どっちに転んだとしても、士門が得するような選択肢を用意する。
数秒後――士門はふっと口元を歪めた。
「……おもしろい」
低く笑いを漏らし、肩をすくめる。
「僕に利用される覚悟があるなら上等。綾城くん、君の口車に乗ってやるよ」
「あぁ。あくまで協力関係ってことで」
士門は背を向け、夕陽の逆光の中で肩を揺らす。
「ふっ……勘違いするなよ。僕が上で君たちが下の立場なんだ。協力なんて言葉でまとめないで欲しい。これは支配だ。分かったか?」
「あぁ、分かった」
「僕は一度、教室に戻るよ」
と言い残し、士門は扉の向こうへ消えていった。
俺は深く息を吐き、胸の鼓動を鎮める。
とにかくだ、
士門が無事同じ方向を向いてくれてよかった。
まだ真意的には、敵か味方か分からない。
だが、今はただこの均衡を保ち続けることが大事だと思う。
士門を敵として潰すのではなく、利用し、共に前へ進む。
これは、そのための一工程。
俺が勝つための準備は、着実に整い始めている。
夕陽に染まった校舎を見下ろしながら、心の奥でそう語った。




