第17話
教室の空気は、いつもと違っていた。
朝からざわつきも笑い声もほとんどなく、みんなが妙に落ち着かない。
それも当然。
今から中間試験と、特別試験の結果が発表されるのだから。
張り詰めた沈黙を割るように、ガラガラッと扉が開く。
答案用紙と分厚いファイルを抱えた晴海先生が入ってきた瞬間、空気がさらに硬くなった。
「みなさん、お待たせしました。中間試験と……特別試験の総合順位、これから発表されます」
教室のあちこちで小さく息を呑む音がした。
ソーシャルスコアテスト――。
日常生活のすべてが採点対象となった初めての試験。
クラスの中での態度や人間関係、その一挙手一投足が評価につながる。
結果次第で、昇格組が「受け入れられるか」あるいは「切り捨てられるか」が決まる。
俺たちにとって、一世一代の発表だった。
時間にして15時59分。
試験の発表まで1分。
刻一刻とその時は確実に迫っている。
晴海先生は教室にある時計の秒針を目で刻んでいる。
その姿を、全員が固唾を呑んで見守った。
そして秒針が12の位置を示した時、
「結果、ポータルサイトに載りましたっ!」
皆、手元のスマホの目を奪われ、我先にとばかりにスクロールを行う。
トップが誰になるのか――クラス全員の関心がそこに集中していた。
そんな緊迫した空気の中、
頼む……っ!
まだ見ぬ未来を心の底から願いながら、俺は一位の生徒の名を目に焼き付ける。
第1位――七瀬陽菜
ざわっ、と教室全体が揺れた。
七瀬は一瞬、固まる。
驚きで見開かれた瞳が、すぐに周囲の視線に晒される。
「えっ……わ、私が……?」
両頬が熱くなり、立ち上がった七瀬は慌てて笑顔を作ろうとする。
けれど、唇が震えて形にならない。
――これまでの陰口。
――「ぶりっ子」と笑われた日々。
――それでも必死に笑顔で返してきた自分。
全部が一瞬で込み上げ、こらえきれなかった。
そんな気持ちが俺にまで伝わってくる。
「……っ、う……!」
堰を切ったように涙が零れ落ちる。
七瀬は顔を覆いながら、震える声で言った。
「ははっ……あれ……なんで、私、泣いてんだろ……おかしいな……う、ぐ……」
無理やり笑おうとしたのに、言葉と一緒に涙が溢れて止まらない。
その瞬間、ぽつりと拍手が鳴る。
次第にそれが波紋のように広がり、やがて教室中を包み込んでいった。
いつもの笑顔ではなく、涙を浮かべた七瀬。
その姿こそが、誰よりも「本物の彼女」を証明していた。
だが結果はまだ終わりじゃない。
今回、クラスごとの25位までが記されている。
それが確認できるまでは、このソーシャルスコアテストは終われない。
第2位――士門湊人
教室が再びざわめく。
Cクラスのリーダー格、士門。
誰もが一位になると信じていたはずの男。
いつもは何食わぬ顔で、ゆったりと笑みを浮かべている士門だったが、今回ばかりは違う。
想定外だと表情を固め、一切の声が出せないような状態。
「……まさか、士門くんを抑えて」
「七瀬さん、すごすぎ」
動揺の中にも、七瀬への視線は一層集まっていった。
それからも順に場面をスクロールしていって、
第5位――御影蓮
昇格組から、ついに名が上がる。
真面目な勉強姿勢を貫いた蓮の健闘に、周囲も納得したように頷いた。
「やっぱ御影くんは真面目だよな」
「休み時間まで勉強してたし」
「第9位――綾城理央」
その瞬間、俺の心臓が一つ強く跳ねた。
クラスの中位、けれど決して低くない順位。
「へぇ、意外といい順位」
「綾城って、最近寮の中で掃除してた人?」
「え、でも綾城ってそんな目立つタイプじゃなかったよな?」
「いつの間に……?」
クラスのあちこちで小さなざわめきが走る。
驚きと戸惑いが混じり、俺の順位は説明のつかない結果として受け止められていた。
「第15位――矢野翼」
読み上げられた順位に、翼は頭を掻いて苦笑する。
「まぁ……そんなもんだよな」
けれどクラスの何人かが「でも盛り上げ役だし」「一番明るいのは矢野だよな」と囁き合っている。
数字以上に彼の存在感は、確かに根付いていた。
次々と名前が読み上げられ、昇格組は軒並み中位以上に食い込んだ。
それは俺たちにとって、大きな成果だった。
「皆さん、その人のお名前をタップすると、順位だけではなく今回のソーシャルスコアの内訳も見られますよ」
教室の空気がさらに張りつめた。
互いが互いの評価を確認できる。
例え匿名だとしても、自分の評価が他人に見られるとなると、誰もが緊張するというもの。
俺も皆と同じく、一人ずつ確認していくことにした。
七瀬陽菜――協調性、思いやり、生活態度。特に『気遣い』『信頼性』の項目で高評価
「やっぱり……」
「七瀬さん、普段から自然だもんね」
周囲から漏れる声に、七瀬はますます居心地悪そうにハハッ、と笑って誤魔化していた。
士門湊人――リーダーシップ、責任感、統率力。
だが『独善的』というマイナス評価も少なくなかった。
その言葉に教室がどよめく。
けれど士門は顔色ひとつ変えず、スマホを見つめている。
御影蓮――勤勉さ、責任感、誠実さ
綾城理央――雑用・小さな親切、生活習慣。
特に『目立たない努力』が多く評価されている。
俺は小さく息を吐いた。
狙った通り、表舞台ではなく影で積み上げた行動が票を稼いでいた。
矢野翼――明るさ、ユーモア、社交性。
ただし『軽率さ』の項目でも票を集めている。
「ははっ、やっぱそこかよ!」
翼が苦笑いし、周りからも小さな笑いが起きる。
結果は明らかだった。
昇格組は、誰一人として埋もれなかった。
それぞれが狙った役割で得点を稼ぎ、クラスの中で存在感を示すことに成功したのだ。
「……昇格組、意外とやるじゃん」
「なんかさ、優秀な人たちがCクラスに来てくれて、本当良かったよな」
そんな声が広がる一方で、別の机からは小さな呟きが漏れる。
「でも、やっぱり士門くんがいるからこそだろ」
「結局、最後に頼れるのは士門くんなんだよ」
教室の空気は確かに揺れていた。
昇格組を歓迎する声と、士門を信じる声がせめぎ合っていた。
そしてその当人である士門。
彼はこの二位という結果をどう受けとったのか、悠然と机に肘をつき、ただ一点、机をじっと注視している。
ペン先で机をコツコツと叩く小さな音が、やけに耳に残った。
その静かな音に、誰も軽々しく声をかけられない雰囲気を醸し出していた。
不気味なほどの静けさ。
彼は一体、何を考えている?
特別試験の発表が終わり、教室は騒然としていた。
安堵する者、落胆する者、そして結果を信じられずに口を噤む者。
そのどれもが混じり合い、まるでざわめきが空気そのものを震わせているようだった。
そこへ、翼が俺の席にやってきた。
「……なぁ、綾城」
「ん?」
「お前のスコア、どういうことだよ。『雑用・小さな親切』って……。お前、いつの間にそんなの稼いでたんだ?」
真っ直ぐな視線。
翼の問いを聞いて、自然と昇格組が俺の元へ集まってくる。
やっぱり、誰かはそう疑問を投げかけてくると思ってはいた。
これは俺の独断であり、昇格組の誰にもこの役割については相談していなかったからだ。
俺はほんのわずかに目を閉じ、静かに記憶を遡る。
一ヶ月前。
あれはお互いの役割を決めてすぐの頃、俺は夜、一人で寮の廊下に佇んでいた。
モップを手にしながら。
そして――誰かが通りかかるタイミングを、じっと待っていたのだった。




