第12話
士門は専門店街を進んでいく。
俺と七瀬は距離を一定に保ち、その背を追った。
俺はモップで清掃をし、その後ろで事前に用意していた清掃用カートを七瀬が押して付いてくる。
この陣形を一切崩さずいれば、おそらく最後までバレることはないだろう。
「ね、ねっ、綾城くん」
「どうした?」
俺はさりげなく、後ろを向く。
「私たち……怪しまれてないかな?」
七瀬が小声で囁く。
清掃員のキャップを深く被り直す仕草はわざとらしく、セリフのわりには楽しそうな笑みを浮かべていた。
「そうだな。周りからどう思われてるか分からないけど、少なくとも士門にはバレてないと思う」
「そっか。なんだか、ドキドキしちゃうね〜」
七瀬はうわずった声で楽しげにそう言う。
「……ほんとにバレちゃ、ダメなんだからな?」
「分かってますよ〜っ!」
七瀬と合流してからというもの、こっちまで気が抜けそうになる。
一応念押しはしたが、大丈夫だろうか?
と、一抹の不安がよぎるも、彼女の目は確実に士門を捉えており、極力バレないよう清掃員になりきる素振りはみえている。
やる気はあるみたいだし、俺も七瀬を信じるか。
俺は短く鼻を鳴らし、前方のターゲットへと目を向ける。
士門は、まっすぐにモールの専門店街へ歩みを進めていた。
俺と七瀬は見失わない程度の距離感で、確実にその背を追いかける。
ここまで一つも店に入らない士門。
そんな彼がようやく足を止めた先は――
「刃物、専門店?」
七瀬が小声で呟く。
彼女の眉が、驚きと戸惑いでわずかに跳ね上がった。
そこは透明なガラスケースに大小様々な包丁が並ぶ、老舗風の店舗だった。
俺たちは店舗から数メートル離れたところで、立ち止まる。
「綾城くん、ど、どうする?」
彼女の問い。
きっとこれは中に入るかどうか。
そういうことだろう。
「店さえ分かれば、あとはこっちでいける」
俺はスマホを再び取り出した。
昨日インストールした管理アプリから、刃物専門店内の監視カメラに映像を切り替える。
「え……っ、綾城くん、これ何!?」
そりゃこんな世にも出回っていない犯罪まがいな映像を見れば、七瀬の笑顔も消えるわけだ。
「今はそれよりも、映像を見ないと」
こんな説得で納得するわけないけれど、今を逃せばもう見られない。
このアプリはあくまで清掃の範囲やスタッフの位置を確認するものであって、アーカイブなどは存在しないんだから。
「……わかった」
やっぱり、納得はしてなさそうだな。
でもスマホには目を向けてくれた。
そこには、店内のショーケース前で足を止める士門の姿。
店員に声をかけ、数本の包丁を手に取り、刃の光を確かめるように眺めていた。
「どう考えても、家庭用の大きさじゃないような……」
隣で七瀬が囁く。
声は掠れていたが、俺と同じ考えにたどり着いていることが分かった。
士門は一番大きな牛刀を手に取ると、刃先を光にかざしてわずかに口角を上げる。
その笑みを見た瞬間、血の匂いが幻のように鼻を掠めた。
あれなの、料理人がしていい顔じゃない。
士門は結局、一番大きな牛刀を選び、会計へと進んだ。
包丁を収めた長い紙袋を片手に下げ、ゆったりと歩き出す。
「本当に料理用……?」
七瀬の言葉は不安そのものだった。
「考えるのは後だ。とりあえず、尾行を続けよう」
俺は店を軽快に去っていく士門の背を目で追う。
たかが包丁を買ったくらいで、考えすぎかもしれない。
だが、もしあれの用途が料理と別にあるのなら――
胸の奥に、冷たい感覚が広がっていく。
もしかしたらの想像だけで、俺と七瀬の間に張り詰める緊張が漂う。
士門はフードコートを素通りし、さらにモールの出口へ向かう。
やがて自動ドアを抜け、通りに出た。
「綾城くん、まさか……この格好のまま追いかけないよね?」
「あぁ、もちろん」
俺はバッグから自分の私服とは他に、変装用のキャップを取り出す。
これも一応二つ用意しててよかった。
「さすが、用意周到〜」
「外に出ても、士門の位置はなんとか特定できている」
俺たち清掃員のこの管理アプリ、基本的に公序良俗に反しない範囲での監視カメラ映像には接続可能。
「今のうちに着替えて、外に出よう」
俺たちは私服へ着替え直し、お揃いのキャップを被ったのちにモールの外へ出る。
しかしここから先は建物の外。
人混みが減り、死角が少なくなる。
あまり近づきすぎるとさすがにバレる危険が高いため、ここからはスマホ越しに士門を追いかけることにした。
彼は大通りを抜けた後、一本外れた細い路地へとスッと入り込む。
そこは人通りもほとんどなく、昼間なのに妙に影が濃い。
「……そんな路地に、監視カメラなんてあるの?」
七瀬がスマホから俺に視線を移す。
「いや、ない」
「え、だったら急がなきゃ!」
「だけど、あの先がどうなってるかは知っている」
制止する間もなく、七瀬はすでに駆け出していた。
「ちょ……っ! 待て! もしかしたら士門の罠かもしれないだろ!」
俺の声も届かない。
背中があっという間に小さくなっていく。
舌打ちを噛み殺し、俺も足を速める。
清掃員時代、学園都市の隅々まで掃除してきた。
寮も、校舎も、こうした裏路地も。
地図にない道や、見落とされがちな抜け道の一つや二つ、嫌でも頭に残っている。
そして、この先に何があるかも。
曲がり角を曲がると、七瀬がその店の前で呆然と立ち尽くしていた。
彼女の視線の先。
木製の看板に「鳳月庵」と刻まれた古びた暖簾。
モールの近代的な建物とはまるで違い、時代から切り取られたような、昭和の残り香を漂わせる老舗の佇まい。
「……もしかして、この料理屋に?」
「さっきの包丁を持って、か」
料理人を目指しているのか。
それとも別の理由か。
妙に胸の奥がざわつく。
七瀬が俺を見上げ、囁いた。
「……綾城くん。ここで引き返す気は、ないんだよね?」
彼女の瞳に、決意が宿っていた。
どうやら今の七瀬に一切の迷いはないようだ。
俺は短く息を吐き、暖簾を睨む。
ここを越えれば、もう後戻りはできない。
「あぁ。だけど、士門に見つかることだけは避けたい。まずは中を少し覗くか」
「うん、そだね」
二人の意見は重なった。
俺たちはそっと暖簾の隙間から中を覗き込む。
「……いない?」
磨かれたカウンターと木の机、漂う出汁の香り。
厨房の奥まで視線を走らせたが、士門の姿はどこにもなかった。
「本当に……ここで合ってるのかな」
七瀬が不安げに囁いた、その時――
「どうしたの? 寒いのに、外で立ってないで入りなさいな」
呼びかけてきたのは、エプロン姿の中年の女性。
柔らかい笑みを浮かべ、俺たちを気さくに手招きしている。
ま、士門がいないうちに。
「……入ろう」
俺が短く答えると、七瀬も頷いた。
二人で揃って暖簾をくぐり、店内へ足を踏み入れる。
磨き込まれた板の床。
壁には古びた木枠の写真が並び、昭和から時間を切り取ったような空気が漂っている。
女将らしき女性に案内され、俺たちは小さな二人席に腰を下ろした。
「はぁ……なんだか、拍子抜けだね」
七瀬が胸を撫で下ろしながら微笑む。
「油断はしないで、帽子は深く被る」
俺が七瀬に小言を投げかけた――その時だった。
厨房の奥から、のれんがわずかに揺れ、白衣姿の青年が現れる。
手には、さっき買ったばかりの牛刀。
士門が堂々と現れたのだった。
厨房の奥から、のれんがわずかに揺れ、白衣姿の青年が現れる。
手には、さっき買ったばかりの牛刀。
士門が堂々と姿を現す。
「……準備できたよ」
低く呟く。
誰に向けた言葉なのかも分からない。
俺たちに視線を向けることもなく、ただ冷え切った声だけがこの店内に満ちていった。




