第11話
日曜の昼下がり。
俺はsショッピングモール一階の片隅に立っていた。
頭に深く被ったキャップ、地味な作業服に大きめのマスク。
制服に貼られた「清掃員」のワッペンは、この都市の清掃業者に支給される正規品。
この服は、嶺翠高校の更衣室にあったクリーニング済みのものからコッソリと拝借した。
もちろん後で返す予定だ。
俺はポケットからスマホを取り出し、画面を一瞥する。
そこにはショッピングモールの一角を映像として映し出していた。
これは学園都市の清掃員専用の管理アプリ。
本来は清掃済みの場所や作業員の位置を共有するためのものだ。
だが裏を返せば――監視カメラを使って、人探しも容易にできてしまう。
前世でも使い慣れたこのソフトを、昨日こっそり生活管理室のPCから自分のスマホに入れておいた。
俺のスマホに映るのは、まさに今このモールの一階を移動している士門。
「……いたな」
黒髪を短く整え、白シャツにジャケットを羽織って無防備に歩く姿は、一見どこにでもいる高校生。
しかし、あの甘いマスクの奥では何を考えているか分からない不気味な男。
油断は禁物だ。
俺はモップを押すふりをしながら、士門のいるエリアへと移動を始める。
周囲の客は誰も俺に注意を払わない。
むしろ、清掃員が視界に入れば自然に避けてくれる。
これが俺の利点だ。
「背景」に溶け込むのは、得意中の得意だった。
モップを押しながらスムーズに移動していると、
ふいに視界の端に見覚えのある顔が飛び込んできた。
「――ッ!」
翼、蓮、新見。
そして七瀬を含めた四人だった。
昇格組の仲間たちが、楽しげに笑いながら歩いてきた。
心臓が一瞬だけ跳ねる。
俺はすぐに俯き、キャップを深く被った。
清掃員の作業着とマスクに隠れた顔を、そう簡単に見破れるはずがない。
俺は自然な足取りでモップを動かし、彼らの横を通り抜けた。
「……ふぅ」
すれ違う。
誰も俺に気づかない。
足音が遠ざかるのを聞きながら、胸の奥で安堵の息を吐いた。
やっぱり俺の変装は完璧だ。
何年清掃員として働いてきたと思ってる。
ちょっとやそっとじゃ――
「……綾城くん?」
耳の奥で、自分の名を呼ぶ声がした。
「えっ……!?」
振り返った瞬間、目が合った。
七瀬陽菜。
白いパーカーに膝上丈のデニムスカート、足元は真新しいスニーカー。
動きやすくラフな格好のはずなのに、彼女が着ているとやけに眩しく見える。
制服のイメージしかなかった七瀬が、休日の私服で笑う。
そのギャップに思わず言葉を失った。
彼女はパーカーの袖口を軽く摘まみながら、ニカッと笑った。
「なんで、俺のこと……分かったんだ?」
そして、ぷっと小さく吹き出した。
「逆にさ……よくそれでバレないと思ったよね?」
「なっ……!?」
俺は思わず声を詰まらせる。
「いや、だって、マスクしてるし、作業服も本物……」
「そういうの関係ないって。目を見れば分かるもん。綾城くんだって」
あっけらかんとした笑顔。
「陽菜〜! どうしたの〜?」
遠くから聞こえる新見の声。
翼と蓮も遠目でこちらに目を向けている。
ヤバいッ!
さすがに全員に近づいてこられちゃ、尾行どころじゃなくなる。
俺は急いで踵を返し、足早に去ろうとするが、
「ちょっと知り合いがいてさ〜! みんな、ちょっと先に行ってて!」
七瀬に服の裾を掴まれて、俺は一歩も動けない。
「これで大丈夫でしょ、綾城くん?」
振り返ると嫌に楽しげな七瀬が、俺を見て微笑んでいた。
「で、何してたの?」
そして小首を傾げる。
「何をって……俺は――」
彼女の問いで、俺はハッと思い出す。
突如すれ違った七瀬たちに気を取られて、自分の成すべきことを完全に忘れてしまっていた。
もちろんスマホ画面内に、士門の姿はもういない。
スマホ版のソフトでは、一回に映せる監視カメラの数は一つ。
今からいくつもあるモール内のカメラを一つずつ確認するよりか、俺がモップを走らせる方が見つけられる可能性は高いか。
悩んでいる暇はない!
「七瀬さん、ごめん! 事情はまた話すから!」
「ちょ……っ! 綾城くんっ!?」
俺は人混みをかき分けながら、モップを押し進める。
頭に焼きつけた士門の服装と髪型――それを目印に探すだけ。
清掃員をしていた頃、俺は毎日「探す」仕事をしてきた。
落とし物、汚れの見落とし、壊れた備品。
目立たせず、素早く、確実に見つける。
あの頃の訓練は、今や完全に俺の武器だ。
「……同じことだ」
掃除を装いながら、目の端で人を探す。
一見単純な二重作業だが、俺にとっては呼吸と同じ。
無意識にできる日常の動作に過ぎない。
「ほら、見つけた」
俺はようやくその背中を見つける。
中央エリアから北エリアへ移動中の士門。
やはりそれほど遠くは行ってなかったようだ。
よかった、無事に追いつけて。
安堵の息をついた瞬間。
「あれって……士門くん、だよね?」
背後から軽やかな女性の声。
「えぇ……っ!? 戻ったんじゃなかったのか!?」
「戻るつもりだったよ? でも綾城くん、一人で危なっかしいんだもん」
「危なっかしいって……俺は別に危険なことなんてしない。大丈夫だから七瀬さん、君はみんなの元に――」
「そういう『大丈夫』が一番信用ならないの。君ってさ、勝つためには手段を選ばないタイプでしょ?」
七瀬はニッと笑いながら、俺の顔を下から覗いてくる。
冗談めかしているのに、瞳の奥は妙に真剣だった。
「二人で追う方が危険だって。だからここは俺のいう通りに……」
「どうしても嫌って言うなら、ここで叫んだっていいんだよ? 士門くん、今、あなた尾行されてるよ〜って!」
七瀬はわざとらしく小さな声でイタズラっぽくそう言った。
「……はぁ」
言葉を返すより先に、ため息が出た。
もう何を言っても無駄だと直感で分かる。
「七瀬さん、君って意外と頑固だったんだな」
「へへ、今更気づいたの〜?」
もう完全に諦めた俺は、背負っていたボストンバッグのジッパーを開く。
そこから取り出したのは、折り畳まれた作業着。
一応用意していた二着目だ。
まさか本当に使うことになるとは思わなかったが。
「じゃあ、これに着替えてきて」
「さすが、用意がいいね」
七瀬が楽しそうに笑う。
「もしものためにな」
「じゃっ、着替えてくるっ!」
彼女は足早にトイレへ消えていった。
思いがけず加わった仲間。
本来なら俺ひとりで動くつもりだった。
失敗すればそれで終わり、見つかっても『俺だけの失態』で済むはずだった。
だが今は違う。
七瀬と一緒なら、絶対に見つかるわけにはいかない。
被害が俺だけじゃなくなる。
背負うものは増えた。
けれど同時に、不思議な力強さも胸に芽生えていた。
「……やるしかないな」
壁際に身を潜め、士門の背中を射抜くように見つめる。
七瀬が戻ってきた時、もう後戻りはできないのだと、深く心に刻んでおいた。




