90話
モルマッカ騎士爵家の妊婦が出産間近なので、重点的に診るようにはする。
そしてブリルーノは、モルマッカ騎士爵に向かわない日に、他の妊婦がいる貴族家を巡回することにしていた。
インポリオ侯爵家、クリンハヴィン伯爵家、アンクレイデン男爵家、スヴェツシ男爵家の四つの家。
クリンハヴィン伯爵家は、モルマッカ騎士爵家の出産が終わって、程なくして出産が始まりそう。
アンクレイデン男爵家は、秋の終わり際に、子供が生まれそう。
そしてインポリオ侯爵家とスヴェツシ男爵家は、共に冬が来た後の予想――つまりノブローナ王妃の息子と同期になれる時期までに、赤ん坊が生まれるかは微妙な具合だ。
クリンハヴィン伯爵家とアンクレイデン男爵家は、期限内に無事に産まれることが確定しているので、このままで構わない。
しかしインポリオ侯爵家とスヴェツシ男爵家は、出産時期が微妙なので、警戒が必要だ。
この二つの家が胎児の出産を早めようと、ウパルト子爵家の秘薬を手に入れて使用する可能性があるからだ。
もちろん赤子に魔力がなかった事件を受けて、ノブローナ王妃が王との連名にてウパルト子爵家に秘薬の取り扱いを停止させる命令を発している。
そのため、インポリオ侯爵家とスヴェツシ男爵家は望んでも例の秘薬を手にすることは不可能なはずではある。
しかし、何事にも抜け道というものは存在する。
今回ノブローナ王妃は、ウパルト子爵家が秘薬を他に売れないような措置を行った。
つなりウパルト子爵家から外に出る物品を、監視員を通じて制限し、確実に秘薬が外に出ないような手段を講じている。
だがこの方法では、過去に売り払っている秘薬は、流通を止める手段になり得ない。
例えば、過去に念のために秘薬をかっていた家があった場合、その家が秘薬をインポリオ侯爵家ないしはスヴェツシ男爵家に売り渡したとしても、何の罪にも問うことはできない。あくまでノブローナ王妃の措置は、ウパルト子爵家のみを対象として行われるものだからだ。
(そういう裏技があるからこそ、俺様が時間があればインポリオ侯爵家とスヴェツシ男爵家に顔をだして、いざとなったら水際で止めることになっているわけだが)
ブリルーノにとってみたら、手間が増えて困ったことになっている。
例の秘薬の存在とその効果を暴いたのはブリルーノなので、自業自得といってしまえばそれまでなのだが。
(インポリオ侯爵家もスヴェツシ男爵家も、件の秘薬に手を出そうとする動きはない。いや、秋の終わりまで、まだ時間がある。時間があるからこそ、例の秘薬の副作用を考えて、使うことを躊躇している可能性は残っている)
ブリルーノは妊婦の診察に隠れて、インポリオ侯爵家とスヴェツシ男爵家の家庭内の様子を把握していく。
インポリオ侯爵家は、当主の権力が強く、当主の意思がそのまま家庭内の意見として通る、いわば普通の貴族家だ。
だからインポリオ侯爵家当主が秘薬を使うと判断したら、家の中で止める者はいない。
しかしながら、インポリオ侯爵当人は、まったくの常識人だった。
ブリルーノが、このままの成長速度だと胎児はノブローナ王妃の息子と同期になる時期を逸すると伝えたところ。
「我が子がノブローナ王妃様の王子と同期になれなくとも構わない。それ以外にも、家を盛り立てる道はあるはずだからな」
と鷹揚に構え、むしろ妻に出産を焦るなよと、優しい声をかけるほどだった。
一方でスヴェツシ男爵家では、貴族家としては珍しいことに、スヴェツシ男爵夫人が当主を尻に敷いている家庭だった。
ブリルーノが夫人の診察をしている横で、スヴェツシ男爵は常に夫人の様子を窺う素振りを続けていた。
あるとき、夫人が仮病で体調が悪そうな素振りをしたことがあったが、ブリルーノは仮病と見破って無視したが、スヴェツシ男爵はアレコレと夫人の世話を焼いていた。それこそ世に二つとない宝石を必死で守っているかのようにだ。
ブリルーノが、夫人の出産時期を冬の始まりになるだろうと教えたときなど、夫人本人よりもスヴェツシ男爵の方が顔色を青くして詰め寄ってきた。
「宮廷魔法師筆頭殿、どうにかなりませんか!」
「どうにかとは? 俺様に何をしろと?」
「ノブローナ王妃の王子と同期になれるような、そんな働きかけをしてはくださいませんか」
「無理だな。俺様の役目は、妊婦の出産を助けることだ。生憎と、夫人と胎児は健康。俺様が魔法で手助けしてやる理由が一つも見当たらん」
「で、ですが――」
言い募ろうとするスヴェツシ男爵の行動を、横から夫人がピシャリと言葉で止めた。
「あなた、お止しなさい。スヴェツシ男爵家当主というものが狼狽えて、見るに堪えませんわ」
「だ、だがな」
「言い訳無用よ。ご免なさいね、宮廷魔法師筆頭殿。この人ったら、わたしのことになると、すぐに我を忘れちゃってね」
夫人はにこやかに謝罪の言葉を告げる。
ブリルーノの耳には、その言葉はごく普通の声色と単語で構成されていたように聞こえた。
しかしスヴェツシ男爵には違って聞こえるのか、夫人に注意されるや、石化の魔法を食らったかのように直立不動で口を引き結んだ状態になっていた。
これら二つの貴族家の様子を思い返して、ブリルーノは首を傾げる。
「どちらも片方は確実に確りと貴族らしい価値基準を持っているから、例の秘薬に手を出すとは考えにくいんだがなぁ」
インポリオ侯爵家とスヴェツシ男爵家は平気だと判断を下して、もう出産間近なモルマッカ騎士爵家に注力するべきではないか。
ブリルーノはそう決断しようとするが、なにかが心の中に引っかかり、その判断をまだ保留にすることにした。




