8話
ノブローナが柔らかく煮た麦粥を食べている間に、ブリルーノはノブローナの出産に問題があることを老婆医師に聞かされた。
「それで、逆子とは?」
「言葉の通り、赤子が腹から出てくる際に、頭からではなく足から出てくることよ。この場合、総じて難産になり易い」
「では、腹の中に戻して、頭から出るようにすれば良いのでは?」
「ノブローナ様の腹の広さを見てから、同じことをお言いなさい。そも、もう足が出口から覗いている。今更戻そうとしても戻せんとも」
素人の呆れた物言いだと断じられて、ブリルーノは考えを変えることにした。
「つまり、その逆子の状態のまま、なるべく早く出産を終える必要があると」
「なにか、いい魔法を考えついたかい?」
「幾つか考えはあるが、どの魔法を選ぶか決める前に聞きたいことがある」
「なんだい?」
「逆子の足を掴んで引っ張り出す場合に、気を付けることは?」
「力任せに引っ張ると、赤子の足が股関節から外れることが往々にしてあり、赤子の肌で擦れて妊婦の子宮や産道に出血を起こす。より悪い事態になれば、赤子の頭と首の骨が外れて死ぬか、大量出血で母体が危険となる」
「そういう危険があっても、引っ張り出せはするな?」
「こっちの医者連中は、ノブローナ様の体力が尽きたら、そうしようという話をしていたね。それをやる気なのかい?」
「魔法や魔水薬によるノブローナ王妃の体力回復は、出産するまでできない。ノブローナ王妃が食事を取って少しだけ回復した体力を使える状態であれば、多少危険度を下げることができる」
二人が作戦を小声でやりとりしていると、ノブローナが麦粥を食べ終えて水を飲んでから言葉をかけてきた。
「お主ら二人に任せる。好きにやってみよ」
ノブローナの決断に、他の医者や研究者たちから待ったがかかった。
「ノブローナ様! そんな無謀なことはお止めください!」
「いましばらくすれば、その宮廷魔法師に頼らずに済む方法を探し出せます!」
「うるさい! 黙りおれ!」
ノブローナの一喝に、抗議の声が止まる。
「三日ぶりに口にできた麦粥の味は、人生で一番といえるほど格別であった。この味を楽しむことができた礼として、この二人に最後の試みを任せることにした。二人が失敗したら、この腹を掻っ捌いて赤子を取り出すといい。分かったな!」
その口ぶりは、問答無用だと告げていた。
全員が重々しくノブローナの決断を受け入れる中、ブリルーノだけは別のことを考えていた。
(なるほど。腹を裂いて赤子を出してから魔法で傷を塞げば、母子共に助けられるな。問題は出血量の予想がつかないことと、下手な回復魔法では体を動した際に傷口が開く危険性がある点だが……)
研究すれば面白い手術法が確立できそうだなと考えてから、実証不足なので今回は使用しないことを決める。
「では許しを得たので、すぐに取り掛かることにしましょう。ノブローナ王妃は、再び激痛に耐えてもらわねばなりませんので、御覚悟を」
「お、おお、分かった。使い続けている、この魔法があると拙いというわけであるな」
「三つの魔法を繊細に使用しないといけないため、ノブローナ王妃の痛みを誤魔化す魔法まで手を回せない。俺様の技術不足で申し訳なく感じている」
「……いい、やれ、許す。なに、あと少しで子が腹から出るとわかれば、出産の激痛にも耐えられるというものよ」
痩せ我慢だとわかる、震えた声をしている。
ブリルーノは、それに気付いていない振りをして、先に二つの魔法を新たに行使することにした。
一つは魔力視。魔力の場所と形を見極めることで、赤子がノブローナの腹にどういう風に収まっているかを把握する。
もう一つは保護魔法。本来は物体の破損を防ぐためのものだが、これをノブローナの産道にかける。これで多少の乱暴な扱いを与えても、産道が裂けるのを防ぐことが可能だ。
こうして痛みを誤魔化す魔法を含めて、三つの魔法を同時展開した状態になった。
場所と効果を限定するかなり繊細な魔法の行使は、こうして三つ発動しているもの、ブリルーノの手腕の限界に達している。
しかし出産を助けるには、もう一つ魔法を使わないといけない。
そのためには、やはり痛みを誤魔化している魔法を止める必要があった。
「ノブローナ王妃。今から痛みを誤魔化す魔法を止めて、別の魔法を始めます。痛みを感じ始めたら、思いっきり腹に力を入れていきん欲しい」
「うむ、承知した」
「医師は、赤子の足が僅かでも外に出たら、掴んで引っ張ってくれ。焦らず、ゆっくりでいい。変な引っかかりを感じたら手を止めて、赤子の体を回転させるなどして、その引っ掛かりを取ってから引っ張るように」
「逆子を取り上げた回数は何度かある。どのあたりで引っかかるかの勘所はわかっとる」
ノブローナと老婆医師の覚悟が決まったことを見てから、ブリルーノは痛みを誤魔化す魔法を止めた瞬間に別の魔法を行使した。
「転倒」
元は、人物が地面に接している体の部分の摩擦をゼロにして、すっころばせるだけの弱い魔法。
これをブリルーノは、腹の中の赤子にかけた。
腹の中の赤子に悪影響があるものは、体調に変化を起こす魔水薬のや回復系の魔法と筋力を上げる身体強化魔法だ。
転倒のような、体の内側ではなく、体の外側に影響する魔法の場合は、悪影響があるとはされていない。
ブリルーノが発動した転倒の魔法は即座に威力を発揮し、ずるりと腹の中の赤子の位置が出口へと向かってズレた。
「力を入れるぞ! うぐぐぐぐぐぐがああああああああ!」
「足が出てきた、引っ張り始める!」
ノブローナが残りの体力を全て使い切る勢いで力を入れ、老婆医師が現れた赤子の足を掴んで慎重に引き寄せていく。
一方でブリルーノは、ノブローナの体外に出た赤子の足の部分だけ魔法を解除して、老婆医師が掴みやすくなるよう工夫する。
そうすると、ブリルーノの魔法で赤子と産道の摩擦がゼロになっていることもあり、今までの難産が嘘だったかのように、するすると赤子の体が産道から出てき始めた。
「っがああああああああうううううううう!」
「もう少しですよ、ノブローナ様。ここで赤子の体を四半回転させれば」
逆子を取り上げた経験があるのは本当のようで、一度だけ赤子の流出が止まった瞬間があったものの、老婆医師が赤子の体を少し横回転させるだけで、再びその体が出てくるようになった。
赤子の胴が、腕が、そして肩が出てきて、やがて下顎、頬とが出てきた。
そして――
「――全て出ましたぞ!」
老婆医師の手により、逆子の状態で生まれ切った、ノブローナの赤ん坊が抱え出された。
ブリルーノは、生まれたことに安堵して、一度全ての魔法を解いた。
しかし安堵したのはブリルーノだけで、老婆医師の顔には焦燥感が現れていた。
「泣き声を上げぬとは、拙い!」
老婆医師は、取り上げたばかりの赤子を足を持った逆さ吊りにして、軽く揺さぶり始め出す。
その乱暴なやり方に、思わずブリルーノは制止しようとする。
「おい、なぜいきなりそんな真似を!?」
「泣き声を上げぬ赤子は、呼吸できずに窒息して死ぬ! だからやらねばやらん!」
まさかと、ブリルーノは改めて魔力視で赤子の様子を見る。
すると時間の経過と共に、赤子の体内にある魔力が減少していっている。
老婆医師の発言は真実だと知り、ブリルーノも次の手を打つことにした。
「心拍停止した者を再起させる賦活の魔法があるが、あれは大人向けの威力だからな」
ブリルーノは、出来る限り威力を弱めた賦活の魔法を使うことにして、指先を赤子の胸元に押し当てる。
「賦活」
宣言と同時に、魔法が行使された。
しかし威力が弱すぎたようで、赤子が泣き声を上げることはなかった。
それならと、一回行使する度に少しずつ威力を上げて試してみることにした。
「賦活、賦活、賦活。まだだめか。賦活」
微妙に威力を上げていくこと、五回目。賦活の魔法が赤子に通用した。
「げふっ――いうぎぃああああああああああああ!」
軽い咳込みから始まり、生まれてから黙り込んでいた分を取り戻すかのように、赤ん坊は大きな泣き声を上げた。
ブリルーノが魔力視で見る赤子の状態も、体内の魔力が活性化して問題なくなったのを確認できた。
これで安堵できるかと思いきや、新たな問題が起こった。
ここで大声を上げたのは、出産を終えたノブローナを言祝ごうと近づいた、麦粥を持ってきた女性使用人だった。
「ノブローナ様! 大変、気を失って――ああ! 股から大量の出血が!」
その言葉の通りに、ノブローナが横たわっているベッドのシーツが、赤く染まっていた。
緊急事態に、老婆医師はノブローナの股間に新しい布を押し当てて、出血を止めようとする。
「宮廷魔法師殿、どうなっているの!?」
「少し待て。魔力視で詳しく確認すれば、体内の様子を大まかに把握できる」
この世の生物は大なり小なり魔力を持っている。そして怪我をすると、その怪我の部位を治そうと魔力が働き始めることも確認されている。
大抵の場合は怪我の場所を治そうと魔力が消費されて、その部分だけ魔力の色が薄くなる。稀な事象ではあるが、全体的に魔力が薄くなり、怪我の場所が通常より濃くなることもある。
ではノブローナの今の状態はというと、ブリルーノが保護した産道は無傷な様子だが、その根元といえる子宮のある場所に大量の魔力が集まっていた。
「どうやら、子宮内が傷ついて出血を起こしているようだ。しかし出産を終えた上に、外傷だからな。俺様の魔法で治せる」
「念のため、魔法を使うのは少し待て。いま赤子と腹の中を繋ぐ臍の緒を切り離すのでな」
老婆医師は、赤子の臍の緒の二ヶ所に紐を撒きつけてきつく縛り上げて止血する。それから、その二ヶ所の間にある部分に鋏を入れて、一度で綺麗に両断した。縛り上げた部分の間に残っていた血液が出てきたが、それ以上の出血は起こらなかった。
「もうよいぞ!」
「了解した。では出産終わりのご祝儀も合わせ、完全回復魔法をかけることにしよう」
ブリルーノは意識を魔法の行使に集中し、ありとあらゆる怪我や病気も癒す完全回復魔法をノブローナに行使した。
ノブローナのボロボロだった見た目が急速に癒えていき、目の隈はなくなり、肌も普段以上の艶やかさになり、股から流れだしていた出血もピタリと止まった。そして出産を終えた胎盤も完全回復魔法は不要物と判断したようで、ノブローナの見た目が綺麗に戻ると同時に、後産として産道を通って体外へと排出された。




