86話
ブリルーノが案内されたのは、夫人が篭っていたはずの出産部屋ではなく、調度品が揃った寝室だった。
部屋の中に入ると、すっかり身支度を整えた夫人がベッドの上に居た。ベッド脇には、新生児を抱えた侍女が立っている。
加えて、とある男性が夫人の手を取って労いの言葉をかけている姿があった。
「元気な子を産んでくれて、よくやってくれたな」
褒められて嬉しそうな夫人の顔と、周囲にいる使用人たちが信頼を寄せる目をしていることからもわかるように、あの男性がカントゥス侯爵だ。
ブリルーノは、以前に訪れた際に面会していたこともあり、カントゥス侯爵に近寄って声をかけることにした。
「出産が無事に終わったそうだな。それで、俺様は何を確認すればいいんだ?」
カントゥス侯爵夫婦の間に流れていた空気を壊すように、ブリルーノは率直な物言いを口から吐いた。
カントゥス侯爵は、少し不機嫌な顔つきになるが、すぐに表情を改めると顔を向けてきた。
「宮廷魔法師筆頭殿。ノブローナ王妃の命で当家を訪れてくださったのに、出産の手伝いをさせることなく済ませてしまったこと。真に申し訳なく思っておる」
明らかな口だけの謝罪だったが、ブリルーノは謝罪を受け取り拒否する気はなかった。
「もともと俺様は助産活動は乗り気じゃなかったからな。手間がなくて良かったと思っている」
「そう言ってくれると、気が楽になる」
カントゥス侯爵は笑顔を見せると、ブリルーノの視線を誘導するように、手振りで産まれたばかりの子へ手を向ける。
「この赤子が、我が妻から産まれた子だ。医師の見解では健康優良児とのことだが、宮廷魔法師筆頭殿の見解を聞かせて欲しい」
医者が健康だと判断した子を見せる意味を悟って、ブリルーノは心の中で溜息を吐く。
(俺を仕事させずに帰したら、ノブローナ王妃の命に背いた形になるからな。最後の確認だけさせて、仕事はさせたという言い訳を作りたいわけか)
ブリルーノは呆れ気分を抱いたまま、赤子の近くに移動する。
赤子を抱えている侍女が、ブリルーノの行動を警戒するように、顔をこわばらせている。
ブリルーノは侍女に構わず、自分の目に魔力視の魔法をかけた。
産まれたばかりの赤子の体内にある魔力が、その魔法の効力によって明らかとなった。
「なるほど、確かに健康体ではあるな」
赤子の体内魔力に乱れや偏りがないため、肉体のどこにも障害や病気がないことはわかる。
しかしながら、ブリルーノには気になった点があった。
その点を解消するため、カントゥス侯爵に顔を向ける。
「この子は女児のようだが、将来こう育てようという展望はあったりするか?」
「将来の展望? どういう意味だろうか?」
「この時期に子供を産んだんだ。望んでいるのは、この赤子がノブローナ王妃の息子と仲良い関係になってほしい、ということじゃないのか?」
「それは――貴族家の一員としては、そう望んで然るべきではないかね?」
考えに文句を言いたいのかとばかりに、カントゥス侯爵は睨んでくる。ベッドの上からも、夫人が夫の意見に同調して、厳しい目をブリルーノに向けている。
しかしブリルーノは、それを言いたいのではないと、身振りで先に否定した。
「子供の将来は、必ずしも王妃の息子と仲良くし、あわよくば王子の婚約者に、そして結婚にと進むばかりではないだろう。俺は、その別の道を示唆しようとしているだけだ」
「その口ぶりだと、その別の道とやらが、この子のためになると言いたげだな。それは本当に、王子の婚約者となるより良い道であろうか?」
「さてな。だが、ちゃんとした教育を受けさせないと、その子はノブローナ王妃の息子に近づけさせても貰えないはずだ」
ブリルーノが確定した未来を語る口調だったからか、カントゥス侯爵の顔に困惑が広がった。
「侯爵家の子女として相応しい教育は受けさせるのは当然だ――いや、貴殿の語る教育とはそれとは違っていそうだな」
侯爵家が施す教育基準を修めて、王子の近くから排除されるなんてことは、道理が通らない。
その道理の通らなさから、カントゥス侯爵はブリルーノの『教育』とは、貴族的な教育とは違うのだろうと悟ったようだ。
ブリルーノは、大きく頷くと、赤子にある問題について語ることにした。
「この赤子は、俺様がさっと確認しただけでも、普通の赤子に比べて魔力量が多い。つまり、魔法使いの素質を高く持っている。この判断は、宮廷魔法師としての立場から保証してもいい」
宮廷魔法師の名をだして、特定の人物に魔法の素質があると認める。
これは、その人物が魔法使いの道を歩める保証をしたと行っても良い出来事。
カントゥス侯爵は、我が子に魔法の才能があるとしって、大いに喜んだ。
「そうなのか! この子に魔法の才能が!」
「まあ、本当に!? それなら、魔法使いの先生もつけないといけないわ!」
カントゥス侯爵夫妻は揃って喜ぶが、それにブリルーノは待ったをかける。
「その魔法の素養が問題だ。魔法は、簡単なものでも、容易く他者を傷つける。そして魔法使いは、特定の道具や武器を用いなくても、魔法を使うことが可能だ。つまり、ちゃんと魔法の技術や心構えを身につけていない者は、王族に近づけさせるには危険な人物ということになる」
ブリルーノの発言について、カントゥス侯爵夫妻はすぐに理解できないようだった。
ブリルーノは、二人の理解を促すために、更に言葉を重ねることにした。
「仮に、悪戯目的で王族相手に魔法をこっそりと使おうとする子供がいたとしよう。王族を護衛している宮廷魔法師は、問答無用でその子供を殺すぞ。許可なく魔法を使うような輩は、王族の近くにいるのは大変に危険だからな」
「つ、つまり、この子は王子に会った際に、殺される可能性があると?」
「悪戯に魔法を使わず、そして魔法を適切に制御できる技術を持たせない限りはな。そしてそんな心構えと技術を修めるためには時間がかかり、他の同年代よりも王子に近づくのに遅れを生むだろう。だから俺様は聞いたんだ。その子に、王子と仲良い関係にする道を進ませるのかとな」
ブリルーノが危惧する点を理解できたようで、カントゥス侯爵は顔に焦りの感情をにじませる。
「ではなんだ。折角王子と同年代の子が産まれたというのに、意味がないと言いたいのか?」
ブリルーノは首を横に振って、カントゥス侯爵の考え違いを正しに入る。
「違う。別に社交でノブローナ王妃の息子と仲良くなるのとは別の、王子にとって得難い人物になる道があると教えたいだけだ」
「別の道?」
「魔法の腕前でもって王家の目に止まるような人物になればいい。そうすれば、自ずと王家の方から頼りにしてくれるようになる。友人や恋人の関係でなく、護衛として関係を構築できれば、他との差別化が図れることだろう」
考えたこともなかったと、カントゥス侯爵は腕組みして思考の中に入っていった。
その一方で、カントゥス侯爵夫人がベッドの上から発言する。
「我が子に魔法の才能があり、そのために普通の貴族子女として王子に侍ることは難しいことは理解しました。であるのならば、我が子の魔法の教師についての意見をお聞かせください」
「魔法を教えるのに評判の者なら、誰だっていい」
「そういうことでしたら――」
「ああ、一つ訂正しよう。宮廷魔法師に教育を頼むのはやめておけ」
カントゥス侯爵夫人は、思惑を潰されて困った顔をしている。
ブリルーノは、彼女の安易な考えを否定するべく、更に言葉をつづける。
「宮廷魔法師になるような輩は魔法の天才ばかりで、人に魔法を教えるのに向いているような人格の者は皆無だ。変に預けたりすると、常識知らずの化け物が誕生しかねない」
「……ご自身も、宮廷魔法師でしょうに」
「俺様が宮廷魔法師筆頭だからこそ言えるんだ。他の連中は、俺様のように自分が魔法に関して異常者だと自覚してなく、自身だけは宮廷魔法師の中で唯一まともだなどと勘違いしているのだからな」
ブリルーノが自身は異常者であると語った部分について、カントゥス侯爵夫人は納得する素振りを見せ、そして宮廷魔法師たちも異常者であるという論も理解したようだった。
「宮廷魔法師に頼むことは止めることにします。ですが、どんな教師が良いかについての意見はございますでしょ?」
「どんな教師か。子供に教えるのだから、魔法の楽しさを伝えて魔法行使を嫌がらないように仕向けつつ、魔法とは恐ろしいものだともちゃんと教えてくれる、そんな教師がいいだろうな。逆にやめた方が良いのが、魔法について厳しく教えるばかりのヤツだ」
「厳しい方が、成長が早いのでは?」
「言っただろ。魔法は危険なものなんだ。厳しくしすぎて反発心を育ててしまえば、魔法の腕前が一定を過ぎたあたりで反逆を起こし、魔法で周囲を傷つけるような存在になり下がる可能性が高い」
「まさか、そんな」
「そういう手合いがいるのは確かだぞ。後ろ暗い組織に雇われている魔法使いは、だいたい親から虐待めいた魔法教育を受けたものだからな。捕まえて尋問すると、大抵その手の話を聞かされる」
ブリルーノが自身の経験を元に保証すると、カントゥス侯爵夫人は表情が固くなった。
「そ、そうなのですね。この子には、そういう教育は受けさせないようにいたします」
夫人との受け答えの間に考えがまとまったのか、カントゥス侯爵はブリルーノに向き直ってきた。
「ご助言、感謝しよう。しかしどの道を歩ませるかは、妻や他の身内と相談させてから決める」
「そうしてくれ。まあ、親や周りが決めた道を、素直に子供が進んでくれるかは別だろうけどな」
ブリルーノは、改めて赤子の体を診断し、他に問題らしい問題はないと改めて確認すると、カントゥス侯爵家から辞することにした。




