85話
カントゥス侯爵夫人の出産は、夫人が出産の部屋に入ってから、三日目に突入した。
その三日目の朝、ブリルーノは書斎に本を返却する際に、偶然に用件を頼んだ女性使用人と廊下ですれ違う事態に出会った。
ブリルーノは女性使用人を呼び止めて、出産の状況を確認した。
「お医者様が仰られるには、難産で少し時間はかかっているものの、順調であるそうです」
「出産が始まって丸二日だ。夫人は水を飲んだり、食事を取れたりしているか?」
「消化に良い柔らかい料理を、少量ずつ何度も分けて食べてらっしゃいます。傍から見ても、疲労感は拭えないものの、顔色は悪くないかと」
「俺様の経験から考えるに、もうそろそろ出産も大詰めだと思うのだが、その辺はどうだ?」
「お医者様によると、遅くとも本日中にはお子様が無事にお生まれになるらしいです。現在、奥様に少し眠ってもらって体力を回復させ、起きてから本格的な出産開始だそうです」
どうやら時間はかかっていても、順調に出産は進んでいるらしい。
ブリルーノは女性使用人に礼を告げると、書斎へと移動して新たな本を借りた。
ブリルーノは、客間に戻ると、椅子に腰を落ち着けて本を手に取る。そしてページを開く前に、考えを巡らせる。
(本日中に無事に生まれるのならば、俺様がここに泊まれるのも今日限り。この借りた本は全て読み切ってしまおう)
ブリルーノは、集中して本を読み始める。
時々自分で淹れた茶を飲みつつ、それ以外の水分も食事もとらずに、読書に没頭する。
太陽が陰り、夜が来ても、ブリルーノは明かりの魔法を使って読書を続けた。
やがて借りた本を全て読破し終え、借りた本を全て書斎へと戻し、名にも本を借りずに外に出る。
そこで空腹を自覚した。
「ふむっ。なにか食事を恵んでもらいに厨房へいくか」
現在、夕食をとり終え、食器も調理器具も洗い終えたような時間帯だ。ちゃんとした料理は残ってないだろう。手に入れられるとしたら、未加工の食材ぐらいだ。
しかしブリルーノは、宮廷魔法師として戦場で寝泊りする経験をしたこともある。
食材さえあれば、自分で調理して腹を膨らませる術を持っている。
厨房へ向かい、中で残っていた料理人に食材の都合をつけてもらい、握り拳ほどの芋を二つ分けてもらった。
土がついた二つの芋を、ブリルーノはその場で軽く放り上げながら呪文を唱えた。
「浄化。加熱」
二つの魔法が行使され、まず空中にいる芋の表面に残っていた土が綺麗に除去され、そして落下を始めた芋が魔法によって芯までホカホカな状態へと熱された。
ブリルーノは、手元に落ちてきた芋を両手で受け止めると、すぐに一つに齧りついた。
ちゃんと芯まで温まった状態の芋は、ホクホクとした噛み心地。そして噛み続ければ、芋の甘さがじんわりと口に広がっていく。
「手間を取らせて悪かったな」
ブリルーノは、一瞬で芋が食べられるようになったことに驚いている料理人に心付けを渡してから、客間へと戻ることにした。
ブリルーノは、芋二つをぺろりと平らげ、茶を飲んで喉の渇きを癒す。
そうして空腹がまぎれたことで、眠気がやってきた。
(寝てしまおうか……)
ベッドに寝転がり、眠気に身を任せれば、すぐに寝入ることだろう。
しかしブリルーノは、なんとなく予感があり、眠気を押さえて起きていることにした。
じっと椅子に座り、茶を飲んで時間を潰していると、この部屋の扉の前に足音を忍ばせた者がやってきたことを察知した。
小さく三回ノックがされた。
「起きている。入ってこい」
ブリルーノが声をかけると、扉が開いて、その向こうにいた人物が露わになった。
それは、今日の朝に声をかけた、あの女性使用人だった。
「お子様が無事にお生まれになりました。つきましては『医者の目では分からない点があるかもしれない』とのことで、貴方様をお呼びです」
誰がブリルーノを呼んでいるのか。
それは、出産に立ち会わせなかった夫人でも、明らかに出産から追い出しにかかってきた女医でもないだろう。
「分かった。案内を頼む」
ブリルーノはカップにある茶を飲み切ってから席を立つと、使用人に先導を受けながら廊下を歩いていった。




