7話
老婆医師に連れられて、ブリルーノは後宮内を渡り歩き、第一王妃ノブローナが住む宮殿である天使菊宮に到着した。
「これはまた……」
ブリルーノが閉口したのは、天使菊宮に屯する人の群れを見たからだ。
長時間に渡っている第一王妃の出産を心配そうにしている人はいい。
出産を言祝ぐことを目的に待機している貴族連中や、部屋から追い出されたことを抗議している様子の宮廷魔法師ではない魔法使いたちが、ブリルーノの目に余った。
なにせ貴族連中は、連中同士で出産はまだなのかと口々に文句を言いながら、雑談に花を咲かせている。魔法使いたちは、自分たちは間違っていないと喚きながら、その目は第一王妃の出産を手伝った魔法使いという栄誉に蔵でいるのが分かる。
(恥を知れよ。この俺様でも、出産で大事にするのは妊婦と腹の子だと弁えているんだぞ)
思わず、この場にいる不要な者どもを魔法で失神させてやろうかと、ブリルーノは魔法を行使する寸前になる。
そんなブリルーノの荒れた気分を察したのか、老婆医師は腕を引いて第一王妃ノブローナが出産中の部屋の前まで進む。
扉の前には衛兵が四人いて、その四人とも槍を手にしている。彼らの目つきは、部屋に押し入ろうとする者がいれば刺殺すと語っている。
老婆医師は、そんな衛兵たちの前にやってくると、怖気づくことなく用向きを口にする。
「第三王妃様の具合を確かめ終わったので戻ってきた。頼りになる助っ人を連れてな」
「助っ人?」
衛兵の一人が、疑いの眼差しをブリルーノに向ける。
ブリルーノが宮廷魔法師のローブを着ていると見てわかるのに、その疑念の目が止むことはない。
(この場にいる魔法使いども。どんなやらかしをしやがったんだ)
宮廷魔法師と雑多な魔法使いを同じだと思われて、ブリルーノは腹立たしさを感じた。
一方で老婆医師は、衛兵に食ってかかっていた。
「おい。このわたしの医者としての目が、信じられないというのか!」
怒鳴られて、衛兵の目が揺れる。老婆医師に恐れを抱いたというよりも、母親に怒られてバツが悪い気分になった子供のような姿だ。
「そこまで言われるのであれば、なにかあれば、貴方が責任を負ってくださいよ」
「無論だとも。この老骨の身など、いつでも投げ出してやる覚悟があるとも」
衛兵たちは理解を示すと、槍先を部屋の前にいる群衆に向けて下がる様に命じた。槍先の威圧に押される形で、野次馬の輪が扉から遠くへと広がる。
そうして扉前の安全が確保されたところで、老婆とブリルーノは第一王妃がいる部屋の中に進むことが出来た。
二人が入った部屋の中は、まさに戦場という言葉が似合う有り様だった。
「ノブローナ様、お気を確かに! 着つけ薬を!」
「開封して時間がたったそれじゃ、もう効き目が期待できない! 新しい薬を出せ!」
「ノブローナ様が意識を戻したら砂糖水を飲ませるんだ! 少しでも腹にものを入れないと、今以上に力が入らなくなる!」
「妊婦に使える、体力を戻す魔水薬の文献はまだ見つからないのか!」
「本当にあるか分からないものを探してるんです! 手がかりがない状態で探してるんです! 時間が必要です!」
医者や薬師だけでなく、各方面の学舎まで総動員して、第一王妃ノブローナの出産を手助けしていた。
一方で当事者であるノブローナはというと、やつれた顔で白目を剥いた状態でベッドの上に横たわっていた。
(先ほど着つけ薬と言っていたから、長時間の出産による体力切れで失神したのだろう)
ブリルーノが現場の状況の把握に努めていると、老婆医師が腕を引っ張ってきた。
「見ての通り、もう第一王妃様は限界間近よ。お主の手腕が必要だ」
「……俺様は読書家を自負しているが、妊婦に使用できる体力を戻す魔水薬に心当たりはないぞ」
「馬鹿言うでない。お主に期待してるのは、第三王妃様にやったのと同じく、魔法の使用よ」
期待されても困ると感じながら、ブリルーノは老婆医師に引っ張られて、無理矢理に第一王妃ノブローナの側まで行くことになった。
ノブローナは、ブリルーノと同年代に見える容姿――二十代半ばの女性。豊かな金髪を持ち、薄手の衣だけを着ている体は、その布越しでも女性的な魅力が伝わってくるほどの美麗さを誇っている。
しかし、こうして間近で姿を確認してみると、老婆医師が焦ってブリルーノはを連れてくるほどに、その体調は限界ギリギリであることが分かる。
目の下には疲労による隈がくっきりと浮かび、食事や水分が取れていなくて栄養を失っているとわかるほど肌は艶を失ってカサカサになっていて、体力の残りが限界近いとわかるほどに青白い顔色をしている。
まるで死人のような姿だが、着つけ薬を嗅がされて意識が戻った直後のノブローナの目には、出産をやりきるという闘志が灯っていた。
「ノブローナ様、砂糖水です!」
「あるだけ寄越すがいい。飲み干して力に変えてやる!」
「ノブローナ様、痛みはおありですか?」
「激痛だとも! しかしこんな苦しみなど、乗り越えてみせる!」
「ノブローナ様、落ち着いてください! 体力は御子様を御産みになるためだけにお使いください!」
「うむっ、助言感謝する。だが気を張ってなければ、また気絶しそうなのだ、許せ!」
一見すると、先ほどまで失神していたのが嘘のような、元気な姿だ。
しかしそれがカラ元気であることを、ブリルーノは見抜いていた。
砂糖水を一飲みする度に吐き気を堪えているし、出産の激痛が耐えがたいと肩は奮えているし、意地を張らなければ心が折れそうなのを誤魔化すために第一王妃らしい気丈な姿を見せているのだ。
ブリルーノは、こういった限界以上に頑張ろうとする存在が好きだ。それこそ、限度度外視で手を貸してやろうと思ってしまうぐらいに。
「失礼」
ブリルーノは、ノブローナの額に手を伸ばして、即座にドメジーナにも使った痛みを別の感情に誤認させる魔法を使用した。
その効果は、ノブローナにとって劇的だったようで、大きく丸くした目をブリルーノに向ける。
「初めて見る顔、いやさどこぞで見た顔である。誰であったか?」
「遅ればせながら、改めてご挨拶を。宮廷魔法師筆頭、ブリルーノ・アファーブロと申します。こちらの医師に導かれ、ノブローナ様の救援に参上した次第」
「ほほう、宮廷魔法師筆頭殿か! これは望外の援軍が来たものよ! しかも既に、何らかの措置を施したようだな!」
ノブローナはブリルーノに感謝するような言葉を放つが、その目は鋭く睨むものだった。
その目の理由を察知できないほど、ブリルーノは鈍くはない。
「ご安心を。この魔法は、腹の子に影響がないもの。簡単に言えば、ノブローナ様の頭だけに魔法がかかり、痛みを誤魔化すものなので」
「……そうか、そうであろうな。この部屋の中まで医者が連れてきたからには、腹の子に悪影響が出ない魔法を使う考えぐらいは頭にあって然るべきよな」
「痛みが和らんでいる間に、飲み物と食事を口にしては? その余裕は生まれたでしょう?」
「おおっ、言われてみれば、痛みが減って、食欲がある! おい誰ぞ、消化の良い食べ物を持って参れ。砂糖水は飲み飽きた」
「只今すぐに!」
ノブローナの余裕を取り戻した姿に、戦場のようだった室内の空気が緩んだ。
しかしブリルーノは、単に痛みを誤魔化しているだけで、何も事態が好転していないことを自覚していた。
それはノブローナも同じようで、ブリルーノの次なる手腕を期待する目を向けていた。




