4話
第三王妃ドメジーナは仰向けの状態で膨らんだ腹に両手を当てつつ、声を出すのを堪えながら、陣痛の苦しみに耐えている。
ブリルーノは、苦しんでいるドメジーナに対して失礼だが、宮廷魔法師を呼び付けるほどの緊急性はないと見た。
ドメジーナは、確かに陣痛で苦しんでいるが、母子の命が危ぶまれているわけではない。
どうしてそう分かるかというと、ブリルーノが魔力視を通してブリルーノの腹の子を確認すると、どちらも生命が途切れそうな魔力の揺らぎ方をしていないのが見えるから。
「まぁ、ここまで来てしまったからにはな」
ブリルーノは、仕方がないと、ドメジーナの側へ。そこで初めて気づいたが、ドメジーナの顔色が真っ青になっていた。
短い繰り返しでも呼吸はしているし、見た目に出血がある様子もない。
それにも関わらず、窒息の気配が顔色に出ている。
その容体を見て、ドメジーナが正しく呼吸できていないのだと、ブリルーノは判断した。
「ドメジーナ王妃。ゆっくり、大きく呼吸しなおすのです」
そうブリルーノが改善法を伝えたものの、ドメジーナは目をきつく閉じたまま他所からの言葉が聞いていないようで、その呼吸は浅いままだ。
ブリルーノは、流石に妊婦の耳元で大声を放つのはと躊躇い、侍女頭へ身振りでドメジーナに触れる許可を求めた。
侍女頭は触れることに難色を示したが、ドメジーナの顔色を見てから、渋々といった様子で許可を出してくれた。
「あまり強い魔法を使うと胎児に影響が出ると、魔法師による救命救急法という本に注意として書かれていたからな」
ブリルーノは使用魔力が少なくて効果が弱いものに絞って、ドメジーナの陣痛の軽減ができそうな魔法を選択する。
まずはドメジーナの額に右手を触れさせ、そして魔法を略式詠唱と共に発動させた。
「暗示誤認」
魔法が発動した瞬間、ドメジーナのきつく閉じられていた目が、ぱっと開いた。
「あら、痛みが? あの、どちら様で?」
「こちらのことは後にして、まずは大きく深呼吸を。息苦しさを感じているでしょう?」
「そう言われてみると」
ドメジーナは、額にブリルーノの手が乗せられたままの状態で、二度三度と深呼吸を繰り返した。
すると青かった顔色に朱色が戻り、顔の険も緩んできた。
やがて平静のときと変わらない顔つきになり、ここで国王が恋したと納得できるほどの美女具合――可愛らしい顔立ちなのに下がり眉という、薄幸そうで庇護欲を書きたてられる顔立ちだと分かるようになった。
とりあえず呼吸困難から失神することは無くなったと、ブリルーノは判断した。
「ドメジーナ王妃、今の具合はどうでしょう?」
「体が痛みを発しているという実感はあるのですけど、それなのに痛いと認識できていないというか、不思議な感覚です」
「それはそうでしょう。魔法で、陣痛の痛みを別の感覚に置き換えているのだから」
「魔法? あの、魔法は腹の子に悪いと聞いたことが……」
「魔法をかけているのは、この手を通して貴女の頭にだけだ。腹にまで魔法の効果が及ぶことはないので、心配は要らないぞ」
「そうなのですか。安心しました」
ドメジーナの心が平静な状態に戻ったようなので、ブリルーノは改めて自己紹介することにした。
「宮廷魔法師筆頭、ブリルーノ。使用人のアージャリナの要望により、ドメジーナ王妃の救援に駆けつけた次第」
「まぁ、アージェリナが。それは御足労をおかけして」
「いえ。ドメジーナ王妃がお倒れになれば、貴女を愛している国王の心も騒ぐというもの。国王の心の平穏を保つことも、宮廷魔法師の役目と考えれば問題はないかと」
「そう言ってくださると、気持ちが軽くなります」
自己紹介を終えたところで、ブリルーノは現状認識のすり合わせをすることにした。
「ドメジーナ王妃は周囲に妊娠を教えておられなかったと聞いた。それは国王に対しても同じなので?」
「いえ、お伝えしております。その上で、第一王妃のノブローナ様の体の方を優先して心配なされるようにとお伝えいたしました」
「ご自身ではなく、第一王妃の身を?」
「あの方こそ、ラゴレフケトラス様が王として国を運営するために必要不可欠な人です。なのでラゴレフケトラス様が御心を使われるべき先は、私なんていう替えがききそうな人間ではなく、あの方へなのです」
立場を弁え切っている発言に、ブリルーノは鼻白む。
「過分にして、ドメジーナ王妃がノブローナ王妃をそこまで信用なさっているとは、噂でも聞いたことなかったが」
「ふふっ。私の役目は、ラゴレフケトラス様の心を安んじること。ノブローナ様の名前を聞くと、あの方は不機嫌になられますので、話題を控えているのですよ」
「国王と第一王妃の仲が悪いと?」
「仲が悪いのではありません。あのお二方は、この国をよりよくしようと奮闘する同士なのです。それ故に、意見の対立が度々起こってしまうだけなのです」
「実のところは、喧嘩するほど仲が良いを体言している間柄であると?」
「ノブローナ様の方が、言い合いは、お強いんですよ。だからラゴレフケトラス様は、また言い負かされたと、拗ねてしまわれることが多くて」
ノブローナは国王と対等に国の舵取りについて意見を戦わせ、ドメジーナは言い合いに負けて拗ねる国王の気持ちを癒す役というわけだ。
他所の夫婦事情を聞かされて、ブリルーノはどう反応したものやらと困ってしまう。
だから夫婦間のことではなく、ドメジーナが妊娠を周囲に隠した理由に切り込むことにした。
「話を聞く分には、貴女と第一王妃との関係は悪くはない様子。ならばなぜ、妊娠を隠したのか。公開しておけば、破水して陣痛が起きているのに、医者がいないという事態にはならなかったと思うが?」
「王妃同士が仲良くしようと、その周りまでそうとは限らないものですから」
「王妃の配下が暴走する危険があったと?」
「子が生まれた順番は、王位継承権に直結しますから。同じ時期に二人の王妃が妊娠したとあっては、良からぬ企みを起こすものも現れかねないのです」
確信を持った発言に、何かしらの情報を掴んでいるのだろうと、ブリルーノは判断した。それと同時に、その情報について知ることは止めることも決めた。
要らぬ真実を知ってしまえば、余計な気苦労を背負いこみかねないからだ。
「この生まれる順番を心配しているのならば、今の現状はよろしくないな」
「そうなのですか?」
「アージェリナが教えてきた。第一王妃は難産中で、未だに子が腹から出てきていないと」
ドメジーナとブリルーノは、揃って真偽を問いかける視線をアージェリナに向けた。
アージェリナは、それ以上の情報はないと示すように、手を上げて首を横に振る。
それならと、ブリルーノはアージェリナに指示を出すことにした。
「こうしてドメジーナ王妃の容体は安定している。少し第一王妃の様子を見に行ってみてくれ」
「いやでも、他の宮の使用人が近づいたら、追い出されるだけですし」
「この常夏花宮から連れ出した医師が、第一王妃の宮にいるのだろう。第三王妃の具合が気がかりだからと、一時的に戻してはくれないかと聞きにいくことはできるはずだ」
「その理由なら、話は聞いてくれそうです」
「できることなら、本当に医者を返して欲しいがな。赤子がいつ生まれても不思議じゃない感じがある。それが無理なら、出産後に母子をどう扱えば良いかを聞いてきて欲しい」
「わ、わかりました。出来る限り、頑張ります!」
アージェリナは用事を果たすべく、意気込んで部屋の外へと出ていった。
あとは結果待ちだなと、ブリルーノはドメジーナと雑談をして時間を潰すことにした。




