42話
フィエーリアが、ノブローナの子であるジャンルマの乳母になることが正式に決まった。
フィエーリアとノブローナは、満腹なって眠ったジャンルマを起こさないよう、声を潜めて会話を続ける。
離れた場所で立っているブリルーノには、その会話の内容が朧げにしか聞こえない。そのうえで、確りと聞く必要はないと考えていた。
(というか、俺様がここに居る必要あったのか?)
そんな疑問を抱いていると、フィエーリアとノブローナの会話が終わったようだった。
「それではノブローナ様」
「今日から、この宮に暮らし、ジャンルマの助けとなってくれ。その代わり、其方の子には我が子と同じ教育を施すことを約束しよう」
「お願いいたします」
フィエーリアは席から立ち上がって一礼すると、女官が運ぶフィエーリアの子とジャンルマと共に、このサロンから去っていった。
ブリルーノも続いて退室しようとするが、ノブローナに呼び止められてしまう。
「どこに行く。次は貴殿の番よ。ほれ、対面に座りよし」
「……失礼する」
ブリルーノは、不満全開な態度をとりながら、指定された椅子に座る。先ほどまでフィエーリアが座っていた場所なので、座面に体温がありありと残っていた。
「それで、何か話があるので?」
「そう警戒するでない。アミーコジ永代公爵家で、貴殿が学んだことを教えて欲しいだけよ」
「学んだこととは、具体的にはどのような?」
「惚けるでないわ。貴殿をどうしてあの家に遣わせたのか、もう予想はついているのであろう?」
その通りなので、ブリルーノは顔に渋面を作った。
「あの家に雇われている、アイスペクタ・クラシスト――医学の雄たる、クラシスト伯爵家の技術を見て学ぶためか」
「うむ、その通りよ。これからも助産任務を続けるためには、彼の家の医療知識はなにかと役に立つと思ってのことよ」
「確かに、色々な知識が身に付いた。そのことは有難く思っている」
感謝の一礼を行うと、続けてブリルーノは苦情を放った。
「そもそも、俺様に助産活動をやらせるなと言いたいのだがな。この考えは、アイスペクタの腕前を見て、さらに強まったぞ」
「ふむっ、どうしてか?」
「フィエーリアの出産では、俺様の手助けは要らぬ世話だった。俺様の魔法がなくとも、十全にアイスペクタの腕で出産が終わったはずだ」
「つまり、魔法による出産補助は必要がないと?」
「そうじゃないか?」
ブリルーノが目に力を込めて訴えるが、ノブローナは首を横に振ってみせてきた。
「勘違いしておるな。彼の家の者のように医学に長けた医者など、他にはいないのよ。そして貴殿には、そうしたロクな医者しか雇えない家に、これから先は出向いてほしい――最終的には、医者や産婆すら雇えない家によ」
「魔法だけで、出産を完結させろと?」
「高く望むのであれば、貴殿には医術を超えて欲しい。それこそ呪文一つで赤子が腹からするりと出てくるようにな」
ノブローナに高望みを言われ、ブリルーノは魔法を構築できるかと考えて今は出来ないと結論付ける。
「流石に、一つの魔法で出産を完結させるのは難易度が高すぎる」
「ほほう? 宮廷魔法師筆頭殿といえど無理だと?」
「挑発して俺様を乗せたいのだろうが、それは無駄だぞ。宮廷魔法師は知性の徒の魁だ。魔法構築には、感情ではなく、理論のみを重視する。使命感や怒りなどで、作れなかった魔法が作れるようになったり、魔法の威力が急に上がるはずもないのだからな」
ブリルーノは椅子の背もたれに体重を預けると、ノブローナの目を見据える。
「俺様に、そんな魔法を作らせたいのは、他の家を助けるためではないはずだ。真実は、ノブローナ王妃が欲しているからだろう?」
その指摘に、ノブローナは咄嗟に言い返そうと口を開くが、声を出す前に一度口を閉じ直した。その後で、懺悔するような口調で喋り始めた。
「その通り。あの死にかけた出産から、時間を置くたびに怖くなったのよ。もし次に子を産むときになって、耐えられるだろうかと」
「次の子? もう仕込んだのか?」
「出産で死にかけたので、念のためにと時間を置かれている。しかし幸いにも、我が胎は健全らしい。ふふっ、胎からの大出血を、貴殿が魔法で治したのだから当然よな」
つまり妊娠できる体なのだから次の子を産めと、周りから求められているのだろう。
「子を産みたくないのなら、そうすればいいだろ」
「いや、子を作りたくないわけではない。ジャンルマを見て、我が子とはこんなにもかわいいものかと。二人三人と増やせば、人生が豊かになるに違いないと確信している。だが恐れがあるのよ。また死にかけたらどうしようと」
感じる必要がないはずの死への恐怖に、ノブローナは踏み出す勇気が湧かないようだ。
それに対して、ブリルーノが抱いた感情は、要らない悩みでしかないというものだった。
宮廷魔法師として働いていれば、命の危険があったことなど一度や二度じゃない。そして、その危険に身を縮ませていたら、ブリルーノは生存を果たせなかったことだろう。
(死など、目の前に死が迫ってきている状況じゃ限り、危惧する必要のない事柄だろうに)
ブリルーノは呆れつつも、戦う者ではない相手に言うのは酷だろうと考えを改めると、ノブローナに優しい口調で問いかける。
「出産を無事に終える魔法があったのならば、そんな不安を感じる必要はないと納得できるということだな」
「その通り。どうだ、作っては貰えぬか?」
「俺様は魔法に対しては真摯だからな。必ず作ってやるとは断言できん。でもまあ、俺様としても魔法一つで助産活動が済むのならば、それに越したことはない」
遠回しに魔法の試作はすると約束すると、ノブローナは安堵した顔になる。
「そうか。次に出産するまでに出来て欲しいが、そこは貴殿の腕前に期待しよう」
「それでだ。魔法構築を行うのならば、助産活動をやっている暇はなくなるのだが――」
「それはダメだぞ。貴殿には、これからも出産の補助をやってもらう。なに、実地で検証ができるのだ。願ったり叶ったりの仕事であろうよ」
あわよくばとはいかないようだと、ブリルーノは肩をすくめた。




