41話
案内の女官に先導されながら、ブリルーノ、フィエーリアとその赤子が、後宮の中を歩いていく。
そうして着いたのは、ノブローナの居宮である、天使菊宮。
ブリルーノにとって、訪れるのは二度目となる。
一度目の主産中は沢山の人物が集まって騒がしいものだったが、今日は女官が静々と歩いているだけで静かだった。
そして、一度目のときは寝室に案内されたが、二度目の今日はまた別の場所に案内されるようだ。
「第一王妃様。お待ちかねになられていた者たちが参りました」
「入って参れ」
ノブローナからの許しの言葉が、扉の向こうからやってきた。
女官が開けた扉を潜って部屋の中にはいると、そこは広いサロンになっていた。
大きく取られたガラス窓からは日の光が多く入ってきて、部屋の中はとても明るい。
その日の明るさに対比するように、部屋の中の色調は抑え気味。
壁の色は黄色味の強い乳白色に統一されていて、床一面に敷かれた絨毯は濃いめの赤色。部屋に並ぶ木製の家具たちはニスを塗られて茶褐色に艶めき、戸棚の中にある茶器や食器は絵や色が付いたものだけが並べられている。
そんな部屋の中を、ブリルーノはざっと見回してから、一人だけ椅子に座っているノブローナへと視線を向けた。その後で、今日は自分が主役じゃないからと、フィエーリアに場所を譲ってから一歩下がった。
フィエーリアは、ブリルーノの動きの意図を察し、手にある赤子が入った籠を確りと抱き留めてから、ノブローナへと深々と頭を下げた。
「アミーコジ永代公爵家、当主夫人。フィエーリア・エタナ・アミーコジ。ノブローナ第一王妃様の求めに応じ、参上いたしましたわ」
「うむ。フィエーリアよ、よく参ったな。おおー、その籠の中に其方の赤子が入っているようであるな。二人、こちらに参れ」
ノブローナが扇子で示したのは、自身が座っている場所の対面にある椅子。
フィエーリアは求めに応じ、その椅子へと移動して静かに座った。
正しい姿勢で座るフィエーリアと籠の中で眠る赤子へ、ノブローナは目を向ける。
「もうすっかりと出産の疲労は抜けた顔をしている。赤子も、ふくふくとしていて、元気そうでなによりよ」
「この子は、沢山乳を飲んでくれますので、生まれたばかりの頃より、もっと丸くなってしまいましたの」
「食欲があることは良い事よ。それに比べ、我が子といったら」
ノブローナが溜息を吐き出すのを見て、フィエーリアは心配になった。
「もしや、あまり母乳を飲まれないので?」
「乳に好みがあるようでな。我が胸を吸うときはよく飲むのだが、あらかじめ用意していた乳母や、牛やヤギなどの代理乳は、あまり飲まぬのよ。そして悪いことに、我が胸はあまり乳を出さなくてな。十二分に与えられているとは言い難いのだ」
「代理乳はともかく、乳母の方のもダメなので?」
話を聞いていて、フィエーリアは嫌な予感がした。
その予感が正しいと教えるように、ノブローナは言葉を紡ぐ。
「我が子が其方の乳を好まなかった場合、其方への乳母の打診は取り消しになるのよ。悪いととは思うが」
「いえ。それは仕方がないことかと」
乳母とは、尊い方の赤ん坊を育むための存在だ。
その赤ん坊が世話を嫌がる相手なのであれば、乳母につけておく意味がない。
先ほどの話の中にあった、あらかじめ準備されていた乳母も、ノブローナの子がその方の乳を飲むのを嫌がったことで、役目を罷免されているに違いない。
フィエーリアは、話を聞いていて、知らず知らずの内に自分の胸に手を当てる。
そんなフィエーリアの心配を知ってか知らずか、ノブローナは話を先に進めてしまう。
「というわけで、フィエーリアには我が子に、いま乳を与えてみて欲しいのよ」
「いま、ですの?」
「ん? もしや、その胸に乳が溜まってないと?」
「満杯ではありませんわ」
「ははは。今回は試しだ。我が子を満腹にする必要はない。おい、我が子をここへ連れて参れ」
指示を受けた女官が、静々と部屋の外へと出ていく。
その後、フィエーリアとノブローナが雑談を交わしていると、先ほど出て一女官が車輪と柄の付いたワゴンと共に戻ってきた。
ワゴンは部屋の中を運ばれ、フィエーリアとノブローナの間で停止した。
ワゴンは中が箱型になっていて、壁には柔らかな素材と布が緩衝材として配置され、底面は温かそうな布団が敷かれていた。
そんな移動式の寝床の中に、青い目をぱっちりと開けた、可愛らしい赤ん坊が仰向けになっていた。
「この中にいるのが、我が子だ。名をジャンルマと、ラゴレフケトラス国王から頂いた」
二人が会話をしながらワゴンの中を覗くと、ジャンルマが手と足を二人の方へと伸ばした。
「ジャンルマ様、初めましてですわ。利発そうな目をして、手と足を動かして運動していて腕白そうですわね」
「良く動く子でな。それ故、乳を多く飲ませないと痩せてしまうのよ」
ノブローナが放しながら手振りすると、ワゴンを押してきた女官が、ワゴンの中からジャンルマをそっと抱き上げる。
その女官の動きに連動して、他の女官がフィエーリアに近づき、その腕に抱えたままになっていた彼女の赤子が入った籠を受け取った。
そうして手のあいたフィエーリアへと、ジャンルマが差し出された。
「まずは抱いてやってみよ。嫌がらねば、乳を与えてみよ」
「はい。やってみますわ」
フィエーリアは、恐々とした手つきで、ジャンルマを受け取った。
ジャンルマは、フィエーリアの腕に抱かれた瞬間は、慣れていない相手の抱擁を嫌がる素振りを見せた。しかし直ぐに落ち着いたようすに変わると、フィエーリアのことを興味深く思っているのか、手の平で肩や胸などを軽く何度も叩き回す。
「ふむっ、好かれたようよの。では乳を与えて――おい、前に乳をあげたのは何時だったか?」
「十二分に、お腹は空かしておられている頃かと」
「そうか。ならば問題ないな」
ノブローナに試すような視線で見られて、フィエーリアは覚悟を決めた。
女官の手を借りて衣服を緩め、胸部を服の外へと露出させた。ちなみに、この場で唯一の男性であるブリルーノは、フィエーリアが服を緩め始めた段階から背を向けている。
フィエーリアが露出した乳房を、ジャンルマへと寄せる。
ジャンルマは手を使ってフィエーリアの乳首の位置を確認すると、女官が告げたとおりに腹を空かせていたのか、すぐに乳房に吸いついた。
ちうちう、という音と共に、ジャンルマがフィエーリアの母乳を乳首から吸い取り始める。
そんなジャンルマの様子を、ノブローナはじっと見つめている。
「腹が減っているときは、どんな乳でも多少は飲むのよ。だが少し腹が満ちたあとになると、途端に好き嫌いを発揮するのだ」
「そうなんですのね。ですが、結構お飲みのようですわよ?」
「そのようであるの。だが、まだまだ様子を見る必要がある」
じっとノブローナが見る中で、ジャンルマはフィエーリアの乳房を吸って放さない。
そうして、見てわかるほどに腹が膨れたところで、ようやくジャンルマは乳房から口を放した。
側で待機していた女官が動き、ジャンルマをフィエーリアの手から預かると、ジャンルマを抱え直して背を軽く叩く。
「けふうう」
ジャンルマが、満腹になったことを知らせるように、げっぷを大きく響かせた。
「これはもう、乳母になってもらうのに問題はなくなったな」
つまり、フィエーリアがジャンルマの乳母になることが正式に決まった。
「お気に召していただけたようで、なによりですわ」
フィエーリアははだけていた乳房を服の内に仕舞いながら、顔に安堵の笑みを浮かべた。




