37話
アイスペクタが太鼓判を押したことで、フィエーリアの産後の体調は万全にまで戻ったことが証明された。
これで正式に、ブリルーノがアミーコジ永代公爵家に滞在する意義が無くなった。
ブリルーノは仕事が終わったのならと立ち去ろうとしたが、あと一日滞在して欲しいというアミーコジ永代公爵夫婦の求めに応じた。
その伸びた一日の最初に、フィエーリアとのお茶会が始まった。
アミーコジ永代公爵家の庭園に設えられた円卓にて、ブリルーノとフィエーリアの二人が席につく。
二人が座ると、すかさず机の上に茶と菓子が並べられ、茶会の準備が完了した。
招待した側のマナーとして、フィエーリアが先に茶器に入った茶に口を付けた。
「アイスペクタ医師特性の薬茶ですのよ。少し飲みなれない味かもしれませんが、血の巡りを良くして体を温める効果は、わたくしも保証するところですわ」
「いただこう」
ブリルーノが茶を口に含むと、爽やかな苦みが舌に走った後で、じんわりと薬草の香りと甘味がやってきた。口に含んだ薬茶を飲み下すと、先ほど効能を耳にしたせいか、体の温かさがほんのりと増してきたような気になってくる。
「血の巡りを良くする茶か。どうして飲んでいるのかを聞いても?」
「血の巡りが滞ると、血が体内で固まるのだそうで、それを防ぐためらしいですわ。それと効果はもう一つありますの。ちゃんとした栄養を取ったうえで血の巡りを良くすると、お乳が良くでるようになるそうですのよ」
フィエーリアの言葉を受けて、ブリルーノの視線が彼女の胸元へと向かう。
外から見ただけでは、乳の出の良し悪しは分からない。しかし、出会った当初よりも胸がやや膨らんで見えるのは、その内に母乳を多く蓄えているからではないかと、そう考察することは可能だった。
ブリルーノは確認を終えると、視線をフィエーリアの顔に戻す。
「ノブローナ王妃の子の乳母になるのが目的だったな。その役目はできそうなのか?」
「はい、それはもう。我が子にたらふくに飲ませても、余って仕方がないぐらいですの」
「乳母の役目をするとなると、子を連れてノブローナ王妃の住む、天使菊宮に居を移すのか?」
「そうなります。明日、移動いたしますので、その際の護衛をブリルーノ殿にお任せできればと」
「……ノブローナ王妃が、そう命令してきたわけか?」
「勘が鋭いですわね。まさしく、その通りですわ」
フィエーリアが手を振ると、使用人の一人が滑らかな布に乗せられた書状を差し出してきた。
ブリルーノが受け取って書状の中身を確認すると、国王の名前で記された命令が書かれていた。
『次の任務を言い渡すため帰城せよ。その際に、フィエーリア・エタナ・アミーコジ永代公爵夫人の護衛を行うように』
この命令の内容を見るに、国王の名で記されているものの、命令を発した人物はノブローナ王妃に間違いないようだった。
ブリルーノは、命令書をローブの内ポケットに仕舞うと、配られた菓子に手を伸ばした。
クッキーの上にざらめ砂糖が散りばめられた、見るからに甘そうな菓子だ。
クッキーを噛み割って、破片をかみしめる。歯で潰されたざらめ砂糖が口内に細かく散らばる。そしてクッキーを噛み砕けば噛み砕くだけ、甘さが口内に広がっていく。
その甘さを流すように、苦い薬茶を一口飲んでから、ブリルーノはフィエーリアとの会話を再開させた。
「明日移動するからこそ、俺様の滞在を一日伸ばす必要があったのだと理解した。移動の際にのる馬車は、同乗した方が良いのか? それとも別の馬車に乗るべきか?」
「同乗をお願いしますわ。ああでも、夫も同乗して王城に向かいますので、そこはご承知おきくださいませね」
「永代公爵が? 後宮に立ち入る資格は持っていないのでは?」
王城の後宮には、限られた者しか入る許しを貰えない。
ブリルーノが後宮に立ち入ったのも、後宮に勤める者が一大事だと助けを求めたからで、本来は宮廷魔法師筆頭であろうと立ち入ることはできない。
だから、その許しを得ているとは思えないアロガンタ・エタナ・アミーコジ永代公爵が、フィエーリアの馬車に同乗する意味がないように、ブリルーノには感じられた。
そのブリルーノの考えは妥当だったようで、フィエーリアは困り顔になる。
「愛しい妻と生まれたばかりの子と離れ離れにならなければならないことが耐えられないからと、王城の中で立ち入れる場所までついてくる気でいるようですの」
「それは……愛されておいでだなと」
「聞き分けのない旦那様で困ってしまうものの、大事に思われて嫌な気持ちになりませんから、拒否することもできなくて」
つまるところ明日の移動では、ブリルーノ、フィエーリアとその子供、そしてアロガンタが、同じ馬車に乗り合わせることが決まったわけだ。
ブリルーノは、王城につくまでの我慢だと自分に言い聞かせながら、茶を一飲みした。
「この申し送りをするために、この茶会を開いたので?」
「それもありますが、ブリルーノ殿には屋敷の中に詰めてもらっていましたので、広い場所に案内して気分転換を提案しようと思いましたの。丁度中庭の花が見頃ですしね」
言われてみて周囲を見回せば、なるほど確かにと思うほど、色とりどりの花が生垣に並んでいた。
しかしブリルーノにとって、広い場所にでることも、花を観賞することも、気分転換になり得ない行為でしかない。
「気持ちは有難く受け取りましょう。しかし俺様の場合は、部屋の中で本を読んでいたり、魔法の鍛錬をしたりするほうが、気分転換になる」
「あら、とういうことは。好きこそものの上手なれで、宮廷魔法師筆頭まで上り詰めたんですの?」
「好きなことをやって金が入るので、宮廷魔法師は天職だと自負しているとも」
フィエーリアはくすくすと好意的な笑いを出してから、ブリルーノに手を向けた。
「そういうことでしたら、お茶とお菓子を堪能なさったら、席をお立ちになって構いませんわ。ああ、そうそう。旦那様が、ブリルーノ殿に話しておきたいことがあるのだそうで、執務室まで行ってくださらないかしら」
「話とは?」
「ほら、貴方が捕まえた方がいるそうじゃありませんの。そのことだそうですわよ」
ブリルーノは、あの暗殺者の件だなと納得すると、行儀悪く二枚クッキーを口に入れてから茶を飲んでから円卓の席を離れることにした。




