35話
フィエーリアの出産は、初産だけあって時間がかかったものの、順調に推移していった。
そも、医療の名家であるクラシスト伯爵家出身の医師が担当し、宮廷魔法師筆頭が補助で魔法を使っているのだ、問題が起きるはずもない。
適宜フィエーリアに体力の回復を促す薬草茶で水分補給をさせつつ、失禁などの下の世話が発生すれば清潔な状態になるよう清掃と魔法の浄化が行われと、至れり尽くせりの状況だったのだから。
「もう頭の半分は出てます。あと一息です!」
「ふう、うぐぐぐぐぐぐぐぐ!」
慣れない全力を出し続けてきたが、フィエーリアの体力はまだまだ残っている様子だ。
「うぐぐぐぐぐぐぐぐぐ!」
あと少しなら、いま出し終えてしまおうと、フィエーリアは渾身の力を腹筋に入れ続ける。
すると、フィエーリアも体感できた。ずるりと産道から胎児が出産される感覚が走ったのだ。
頭から肩まで一気に出てきた胎児を、アイスペクタが両手で受け止める。
「奥様、やりましたね。もうここまで出て来れば」
アイスペクタは優しい手つきで赤ん坊を産道から引き出していく。
やがて赤ん坊の胴体が、そして下半身が、フィエーリアの産道から外へと出された。
そして足先までが出終わった瞬間に、赤ん坊の口からもの凄い泣き声が迸った。
「あんぎゃあああああああ! あああああああああああああ!」
あまりの五月蠅さに、思わずブリルーノは顔を顰めてしまう。
一方でアイスペクタは、両手で抱えて間近で聞いているにもかかわらず、慈愛の篭った顔でタライに張ったぬるま湯で赤ん坊を洗っている。
そして洗って綺麗になった赤ん坊は、アイスペクタの手で綺麗なタオルで包まれると、今の今まで泣き叫んでいたことが嘘だったかのように静かになった。
「奥様。おめでとうございます。男の子ですよ」
アイスペクタが笑顔でタオルで来るんだ赤子を差し出して、フィエーリアに抱かせた。
フィエーリアは、出産が終わって気が抜けた顔で受け取ったが、腕の中にいる赤ん坊の顔を見ると疲れを忘れて笑顔になる。
「この子が、わたくしの子供ですのね。ふふっ、このしわくちゃな顔を見たら、一気に苦労が報われた感じがしてきましたわ」
「お乳を含ませてあげてください。その間に、異常がないかを確かめておきます」
アイスペクタは、フィエーリアに声をかけたあとで、ブリルーノに視線を向けた。
ブリルーノは、咄嗟に視線の意図を掴むことはできなかったが、いまの会話の流れを思い返して理解できた。
(授乳するんだから、他所の男が乳房を見れてしまう状況は拙いな)
ブリルーノは、もう必要なくなった魔法を止めると、フィエーリアの側から離れた。
そうしてブリルーノが空けた空間を埋めるように、部屋の中で待機していた使用人たちがフィエーリアの側に集まった。
すると自然と押し出されるようにして、ブリルーノの立ち位置はアイスペクタの側へ。
そのアイスペクタは、現在フィエーリアの股の間を覗き込んで産道の状態を確認していた。
ブリルーノは、女性の秘書を目にしないように、アイスペクタの顔に視線を固定させる。
「魔法が必要な状況か?」
「危険な出血はないから、出産は上首尾に終わったみたい。医療的な措置が必要な状態じゃないね。後は胎盤が排出されるのを待って、それで大量出血が起きなければ、安心していいね」
「産後も気を抜けないわけか」
「出産直後だけじゃなくて、理想は産後の一ヶ月間――最低なら一週間は、妊婦だった人の容体は気を配った方がいいんだよ。産後の肥立ちだけじゃなく、病気を起こすこともあり得るから」
「病気を起こすのか?」
「お腹にいた胎児が居なくなったことで、妊婦だった女性の体に変化が起こるんだ。その変化が、稀に悪い方に働くことがあるんだよ。どういう変化が起こるかは、個々人で違うから何とも言えないけどね」
「つまり俺様は、あと一週間は、この永代公爵家の屋敷に滞在しなきゃいけないわけか?」
ブリルーノが面倒だという気分を隠さずに言うと、アイスペクタは苦笑いを返してきた。
「ノブローナ王妃様から新たな命令が来るまでは、そうして貰った方が助かるね――ときどき理由不明で出産後に死んじゃう人もでてくるからさ」
後半部分を周りに聞こえない声量で告げられて、ブリルーノは訝しんだ。
「医療の名家と言われているクラシスト伯爵家でも。原因がわかっていないと?」
「病気の原因や死因で、うちの家が把握できているものなんて、微々たるものだよ。どうにかこうにか、家の名を落とさない程度に立ち回れているってだけだ」
その言葉が本気なのか、それとも謙遜なのか。ブリルーノには判断がつかなかった。
「理由はなんであれ、俺様の魔法の腕前があれば、より安心できるってわけだ」
「医者の立場からすると、宮廷魔法師が使うような高度な魔法は理不尽の塊だよ。原因理由を知らなくても、魔法一つで病気も怪我も治っちゃうんだからさ」
「薬でもそうだが、強すぎる魔法は使いどころが難しいものだぞ。不用意に妊婦に使ってはいけないものだし、魔法を使ったことで逆に体調を悪化させることだってあるからな」
二人がそんな会話をしていると、やおら廊下側から騒がしい物音が聞こえてきた。
複数人の誰かが近づいてくる足音と、それを押し留めようとして出来ていない人の声。
ブリルーノは、またぞろ襲撃者かと警戒して、立ち位置を部屋の扉の前へと移動させた。
そうして対応が十分整ったところで、勢いよく扉が開け放たれた。
開けられた扉の先に現れたのは、襲撃者ではなく、この屋敷の主であるアロガンタ永代公爵だった。そのアロガンタの周りには、部屋に入るのを止めようとした家令や兵士の姿があった。
「赤子が生まれたようだな! どれ、顔を見せてくれ!」
部屋の中に入ってこようとするアロガンタに、ブリルーノはどう対応したものかと動けない。
そんなブリルーノに代わって、アイスペクタがアロガンタの前に立ち塞がった。
「旦那様。奥様の出産は完全には終わっておりません。全てが済んだ後、お声かけいたしますので、部屋の外にいてください」
「なんと! いま子の顔を見てはいけないのか!?」
「そう長い時間お待たせはしませんので、少々お待ちください」
アイスペクタは、手でアロガンタを部屋の外へと押しやると、開け放たれていた扉を閉めた。その上で、与っていた鍵で、その扉を施錠してしまう。
「悪いけど、浄化の魔法をかけてくれるかな。旦那様は執務を行っていた服装のままで来たようだから」
「言い方を変えているとはいえ、屋敷の主人を汚いって言うのは、どうかと思うがな」
ブリルーノは肩をすくめてから、求められた通りに、浄化の魔法で部屋全体を綺麗にした。




