33話
アイスペクタがフィエーリアの産道の奥を覗き込み、頷いた。
「子宮口が全開になってます。ここからが出産の本番ですよ」
アイスペクタの言葉に、フィエーリアは脂汗が滲む顔で頷きを返す。
「長かったですわ。ここまできたら、あと一息ですわね」
「奥様、頑張りましょう。それでブリルーノ殿」
「なんだ、アイスペクタ。痛みを誤魔化す魔法は、まだ使ってないぞ」
「その魔法についての要望です。完全に痛みを消すのではなく、いくらか残すことは可能ですか?」
なんでそんな指示をするのかと、ブリルーノだけでなくフィエーリアも思った。
「痛みなんて感じないほうがいいだろ。実際、王妃の出産のときは、それで上手くいったぞ?」
「そうですわ。痛みを感じない方が、思いっきり力を入れられると思いますわ」
二人の抗議に、ブリルーノは首を横に振る。
「いきむタイミングが重要なんです。陣痛で感じる傷みが一層強くなったときに力を入れ、それ以外のときは呼吸を整える。これが出産を上手く運ぶ方法なんです」
「つまり、完全に痛みを感じないようにすると、何時力を入れるかわからなくなるから止めろってことか」
ブリルーノは納得してから、どうするべきかを考える。
「そうだな。ある一定の痛みを感じなくさせることはできる。それ以上の痛みは感じられるようにする。それでいいか?」
「そんな事が可能なのかい? 医者の見地から言わせてもらうと、麻酔は効くか効かないかぐらいしか、調節できないんだけど?」
「感覚を麻痺させる魔法じゃなく、感覚を別の感情や感覚に置き換える魔法だからな。置き換える感覚の量の上限を設定すれば、それを超えた部分の感覚はそのままになるんだ」
「ちゃんと効果を聞くと興味深いね。その魔法を覚えたら、切る部分の痛みを感じなくさせて、病理部分の痛みを残すこともできそうだ」
「この魔法を微調整ができる手腕を持つことができたなら、宮廷魔法師に推薦してやる」
「つまり、並の魔法使いじゃ使えないってことだね」
残念だと肩をすくませると、ブリルーノはフィエーリアの出産に集中し直した。
「奥様。片手にそれぞれ、折った手拭いを握ってください。それと、同じく折った手拭いを、口に渡して噛んでください。力が入れやすくなりますから」
「わかりましたわ」
使用人にから手拭いを与えられて、フィエーリアは出産の体勢に入った。
ブリルーノはフィエーリアの股の間が見える位置に移動し、ブリルーノはフィエーリアの額に手を置いてその痛みを軽減させる。
痛みが減って、フィエーリアの顔が少しだけ穏やかなものに戻る。しかしすぐに、軽減量を超えた痛みがやってきたようで、眉の間に力が入っていく。
「奥様。痛みが頂点に達したら、思いっきりお腹に力を入れるんですよ」
「わはりはひたわ。ふうふう。いひまふわ! ううううぅぅぅぅ!」
ぎゅっと目を瞑り、フィエーリアは腹筋に渾身の力を発揮させた。
その手に握った手拭いに爪が食い込み、布地が擦れてギリギリと音を立てる。口に渡されて歯で噛んでいる方の手拭いも、噛み潰されてミチミチと音が鳴る。
数十秒間力を込め続けると、フィエーリアの体から不意に痛みが少なくなった。
痛みが治まったことを感じて、フィエーリアは腹筋に力を入れるのを止めた。
「ふいーふいー」
「いい感じですよ、奥様。大きく呼吸して、息を整えてください」
アイスペクタに言われた通りに、フィエーリアは呼吸を繰り返していく。
そして呼吸が整い終わる直前で、またもや強い陣痛がやってきた。
「いぐぐぐううううううぅぅぅぅ!」
ギリギリと手拭いを鳴らしながら、フィエーリアは再び渾身の力で赤子を産み落とそうと頑張る。
しかし一、二度いきんで生まれるようなものではない。
球形を鋏ながら、三度四度と続けても、まだ生まれる段階には至らない。
成果を感じられない状態に、フィエーリアは痛みと疲労に煽られる形で苛立ちが起こり始めた。
「アイスペクタ! どんな調子なんですの!」
「少しずつ出てきています。奥様はタイミングよく力を入れることだけに集中してください」
「どんな様子か、事ある度に言ってくださいまし! 状況が分からないと不安ですわ!」
「そうお求めでしたら、そのように致しましょう。ですから奥様、呼吸を整えて」
フィエーリアは呼吸を整えるために黙るが、しかし気持ちが落ち着かなかった。その苛立ちの矛先が、次はブリルーノに向いた。
「貴方も、通り一辺倒なことをするんじゃなりませんわ! こんな状況で変に楽しい気分を与えられると、逆に苛立たしくなりますわ!」
「それもそうだな。では、こんな感じにするのはどうだ?」
ブリルーノは魔法を変化させて、痛みの感覚の変換方向を変更した。
するとフィエーリアの心の中に、闘争心が湧いてきた。その闘争心は炎となって心に灯り、痛みやいら立ちを燃料にして燃え上がった。
「むふーむふー! 出産なんか、さっさとやっつけてやりますわ!」
「……ブリルーノ殿?」
「効果覿面だな。これで出産だけに集中してくれるだろう」
魔法で痛みを戦闘意欲に変換したことで、ブリルーノの予想通りに、フィエーリアは周りに当たり散らさなくなった。
「ふうふう! いきますわあああぐううううう!」
そして戦闘意欲に突き動かされる形で、フィエーリアも全力で腹筋に力が入るようになった。
妊婦が戦闘意欲全開で出産に挑むのは、クラシスト伯爵家が蓄積した資料にない状況だ。
学んでいない初めての状況に、アイスペクタは目を白黒させつつも、医者としての矜持から出産を観察し続けた。




