32話
フィエーリアの出産が始まって、明確に日が傾いたと実感できる時間が経った。
当初は痛みを感じない時間が長かったフィエーリアの陣痛は、時を経るに従って痛みを感じる感覚が狭まってきている。
「あぐっ。うううー」
フィエーリアが腹に感じる傷みから力もうとすると、それをアイスペクタが押し留める。
「奥様。まだ力を入れてはいけません。まだまだ胎児が出てくるまで、時間が必要です。今から力を入れていたらバテてしまいます」
「先ほどもそう言っていましたわよ! まだダメですの!?」
「もう一度、確認いたしましょうか?」
「お願いしますわ!」
そう求められたのでと、アイスペクタは金属で作った鳥の嘴のような器具を手に取る。その嘴器具は、フィエーリアの産道へと差し入れてから持ち手を操作すると、パカリと嘴が開いた。
アイスペクタは、開いた嘴を覗き込み、フィエーリアの産道の奥を確認する。
「子宮口の開きが、まだまだ狭いです。もう少し時間が必要です」
「ううー。早く生れてきて欲しいですわ!」
フィエーリアは眉を寄せながら、痛みが堪えれ切れないからか、自分の腹を手でさすり回し始めた。
アイスペクタは嘴器具を引き抜くと、用意されていたお湯で洗ってから、無言でブリルーノへと差し出してきた。もう何度も同じことをやっているから、説明する必要はないだろうという行動だった。
ブリルーノは、軽くため息を出してから、器具に清潔の魔法をかけた。その後で、アイスペクタに質問する。
「あまりに痛いのなら、俺様が痛みを誤魔化す魔法をかけてもいいんだが?」
ブリルーノの提案が耳に入ったのか、フィエーリアの顔が明るくなる。
「ノブローナ王妃様も体験成された魔法ですわね。わたくしも――」
「まだ時期尚早だよ。陣痛の痛みは正常な分娩には必要不可欠だというのが、クラシスト家での常識だ。子宮口が完全に開ききって出産が本格的に始まるまで、その魔法は使うべきじゃない」
アイスペクタの断固たる説明に、フィエーリアの表情が消沈する。
ブリルーノは、そのフィエーリアの顔をチラリとみてから、改めてアイスペクタへ顔を向ける。
「その痛みが出産に必要ってのは、本当のことなのか?」
「出産に薬や魔法で痛み止めが有効だと考えられていた時代の研究論文がある。出産開始すぐに痛みを消すと、子宮口の開きが鈍くなるって」
「何時の時代の論文だ。古すぎだ。本当に合っているのか?」
ブリルーノの魔法使いとしての感覚からすると、古い時代の論文が間違っていることは多々あるものだという認識でいる。だから、あまりに昔の論文だと返って疑わしいと感じてしまう。
しかし、アイスペクタの医師としての感覚からすると、それは違うらしい。
「論文が間違っているという証明がない。妊婦が痛みを感じた状態で出産を終えることは出来ているからには、それを踏襲することが医学的に正しいことになっているんだ」
「時代遅れの論文を信じ続けているだなんて、保守的だな」
「先進的な手法をとって患者を危険にさらす方が、医者としては見過ごせないですね。その方法でしか患者を救えないのなら、その限りじゃないですが」
意見と共に、視線をぶつかり合わせる。
その後で、ブリルーノはフィエーリアの側に立ち位置を移動させると、彼女の額に手を置いて魔法を発動させた。ある感覚を別の感覚へ置換する、あの魔法をだ。
「あっ、楽になりましたわ」
「ちょっと、ブリルーノ殿!」
アイスペクタが怒鳴ってくるが、ブリルーノはフィエーリアに乗せている方とは反対の手を上げて押し留める。
「これは痛みを消していない。吐き気を減少させて、楽しい感情へと変えているだけだ。吐くと体力が損なわれるからな。それを止めるのは医者的にもダメではないはずだ」
「この言葉は本当ですわよ。お腹の痛みはそのままありますけれど、吐き気が収まって息がしやすくなりましたわ」
「……事前に説明してください。いきなり説明のないことをやられたら、驚くじゃないですか」
「おいおい、俺様は二人の要望を叶えたんだぞ。ノブローナ王妃が受けた魔法を体験してみたい。体の痛みを消すのは未だやめて欲しい。そういう願いをな」
アイスペクタが、口では負けると、両手を上げる降参のポーズをとる。
そしてフィエーリアは、体験中の魔法に興味津々のようだった。
「この魔法、吐き気を嬉しさに変えていると言いましたわね。そうであれば、別の感覚にすることも可能ですの?」
「ああできるぞ。怒りや悲しみに変えたり、不安や痛みにしたりもな」
「つまり、笑いたいときに大笑いできて、泣きたいときに大泣きできる魔法ってことですわよね。良い魔法ですわね」
「……まあできるが、大泣きしたいことでもあるのか?」
「わたくしには、ありませんわ。ですが、不必要に涙を堪えている者は、泣いても良いのだと諭しても泣きませんもの。この魔法を使えば、一発で大泣き確定ですわ」
「力尽くな解決法だな。大笑いの方は、つまらない冗談を笑い飛ばすためか?」
「社交界では、つまらない事を言う方が多くって。笑顔に表情を保つのにも一苦労ですの」
会話の最中に陣痛で痛みを発する時間が過ぎたようで、フィエーリアの口から出る言葉は軽快な調子が戻ってきていた。




