11話
天使菊宮に入ると、出入口で待っていた使用人の一人が第一王妃ノブローナの居室へと道案内してくれる。
ブリルーノは、昨日訪れた場所なので道順は分かっていたが、好意を無下にするつもりはないため、大人しく使用人の後に続いて歩いていく。
「第一王妃様。宮廷魔術師筆頭殿がお越しです」
「うむっ、入ってくれ」
部屋からの応答を受けて、道案内してくれた使用人が扉を開ける。
ブリルーノは部屋の中に入り、最初に抱いた感情は呆れだった。
なにせ、昨日長時間の出産を終えたばかりで疲労困憊しているはずのノブローナが、朝食にも関わらず大量の料理をテーブルに並べて食事をしていたから。周囲にいる使用人や専属医師が止めようとしていない点も、呆れ具合が増す理由になっていた。
「……ご健啖な様子で」
ブリルーノが呆れ交じりの感想を口にすると、ノブローナはからりと笑った。
「あははっ。いやさ、朝になったら猛烈に腹が減って仕方がなかったのよ。陣痛が始まって出産を終えるまでの三日間、ろくに物が食えなかった、その反動であろう。いや、もしかしたら、出産後に受けたという、貴殿の完全回復魔法とやらの副作用かもしれぬな」
「ご冗談を。体が栄養不足を訴えていようと、並みのご婦人であれば、それほどの量がある料理を胃の中に入れることは叶わないもの。第一王妃の生来の健啖さの発露に違いないと愚考する」
「あっはっは! 貴殿は容赦のない言葉を使う。それが面白いな!」
この会話の間も、ノブローナは食事を口にしている。
ものを食べているにもかかわらず、その発言が流暢なままで保たれているのは、上流階級の者が修めた一流のテーブルマナーゆえだろうか。
不思議な特技を持つものだと感心しながら、ブリルーノは呼び出された用向きを聞くことにした。
「それで、宮廷魔術師筆頭を呼んだからには、何かしらの不具合が?」
ノブローナは健康そうなので、問題が起こった可能性は、昨日生まれた赤ん坊だろうか。
生後直ぐに呼吸が出来ずに死にかけ、ブリルーノが力を弱めた賦活の魔法をかけて呼吸が再開された、あの赤ん坊。
出生直ぐに問題があったからには、一日明けて新たな問題が浮かび上がっても不思議ではない。
(その問題が、俺様の賦活の魔法の所為だとぬかしたら、第一王妃が相手であろうと文句を言わねば気が済まん)
ブリルーノは、自分が使った魔法は完璧だったと自負している。
事実、最大まで弱めた状態から順々に賦活の魔法の威力を上げて、赤ん坊を助けた。
あの行動は最適解であり、賦活の威力が高すぎて障害が生まれたということは考えにくい。
さあどんなことを、ノブローナは言ってくるのか。
ブリルーノは表面上は平静なままで心の中で身構えていると、ノブローナは首を傾げて見せてきた。
「不具合など、ありはせんよ。母子ともに健康体であるとも」
「……では、なぜ呼ばれたので?」
「出産後に気絶して、お礼を口にできなかったなと気付いたからだ。我が命と子の命、両方助けていただき感謝いたします」
言葉の後半は、口調を変えてまで丁寧な謝礼の仕草と言葉を告げてきた。
ブリルーノは、お礼の言葉は受け入れつつも、それだけが要件なら呼び出すなと思った。
「お礼なら、王妃が頭をさげるまでもなく、感状一つで構わなかったが?」
「ふふっ。貴殿はそう言ってくると思ったが、礼節は尽くさねばならぬものだと教わって育ったゆえな。我が所業を許すがいい」
ノブローナに自分の我が侭だと言われてしまうと、ブリルーノは言い返す言葉がない。
淑女の我が侭に目くじらを立てるのは、紳士的ではないと教わって育ったゆえに。
「用がそれで終わりなら、帰ってもよいので?」
「いや、待て。もう一つ用件がある。貴殿にやって欲しい仕事があるのだ」
「申し訳ないが、宮廷魔術師の上司は国王のみ。仕事は国王を通じて要請していただきたい」
「ふふっ。我が旦那様が、我が要求を突っぱねられるとでも?」
「……そちらの夫婦の力関係についての知識はないものでな」
「それもそうか。ともあれ、我が望みを旦那様は全力で叶えてくれることは間違いない、とだけ覚えておいてくれればよい」
つまり、ここでノブローナとブリルーノが約束を結べば、その約束に国王が承認するのは決まっているようだ。
「それでは、その仕事とやらの内容について、お聞かせ願いましょう」
「なに、貴殿にやらせたい仕事は、昨日と同じよ」
「同じとは? その腹の中に、もう次の子がいるとでも?」
「あっはっは! 流石に出産後一日で、ややこを腹に抱えられはせんとも。面白いことを言う!」
「……では、第二王妃が妊娠しているとでも? そんな噂は聞いたことがない」
「第三も出産を終えたばかりだものな。貴殿が第二も妊娠しているのではと考えるのは、道理よな」
ノブローナの口調は事実を語るものだったが、その内容にブリルーノは驚いた。
「第三王妃の出産、知っているので?」
「妊娠を隠していたと、我が出産を終えた後に生まれたと、そう言っておったとも。いやいや、可愛らしものよ。妊娠の事実を我に隠しおおせていると考えていた点も、我が子の障害にならぬようにと生まれた時間をずらす真似をすることもよ」
つまりノブローナは、事前にドメジーナの件を全て知っていたらしい。
ブリルーノは、女傑という言葉が相応しい存在だなと感想を抱きつつ、話題を戻すことにした。
「各王妃の出産ではないとすると、誰の出産を手伝えと?」
「それはもちろん、妊娠している全ての女を助けよと――」
「お断りする」
ブリルーノがノブローナの言葉の途中で拒否すると、部屋の中にいたノブローナの使用人たちから不穏な空気が流れだす。
(王妃の言葉を遮った上で提案を拒否するとは何事か、って怒っているのだろうな。だが、宮廷魔術師筆頭である俺様が王妃に斟酌してやる道理はない)
例え王妃から不評を買ったとて、王妃が宮廷魔術師の制度には介入できない仕組みになっている。宮廷魔術師の進退を決めるのは、当の宮廷魔術師本人か国王の裁定かでしか有り得ない。
加えて、仮にノブローナがラゴレフケトラス国王を操ってブリルーノを罷免しようとしても、それもまた叶わない仕組みになっている。国王が宮廷魔術師誰かを罷免する際には、その宮廷魔術師の犯した行状が調べ上げられ、罷免相当であると裁判官が認定しなければできないようになっている。
だからノブローナが本気でブリルーノを罷免しようとするのなら、ラゴレフケトラス国王に罷免の動議を出させ、ありもしないブリルーノの悪行を作り上げる裏工作を行い、判定を下す裁判官の弱点探し出して抱きこむ必要がある。
はっきり言って、一人を陥れるためにかける手間ではない。
それに、それほどの労力を使って得られる効果は、ノブローナの気持ちが良くなる点と、宮廷魔術師筆頭になった強大な魔法使いを野に放つだけ。
正直ブリルーノの実力があれば、渡った先の国で宮廷魔術師になることは容易い。
なにせブリルーノが作り上げた天照堕の魔法は、対軍団級魔法――使用しただけで何万という人々を行動不能に陥らせる凶悪なものだ。他の国が欲することは目に見えている。
ではブリルーノが他国に渡らないよう、罷免した後で暗殺すればよいかというと、それも難しい。
ブリルーノは天照堕だけで宮廷魔術師筆頭になれたわけじゃない。普通の魔法の腕前についても、宮廷魔術師に限ってすら優れた部類にあり、ブリルーノに勝てる者は少ない。
そんな存在を暗殺しようというのなら、一体どれだけの戦力が必要になるのか。
つまるところ、色々な意味で、ブリルーノを勝手に罷免することは難しいわけである。
そういう理屈を知ってか知らずか、ノブローナは周囲の人たちに落ち着くようにと手振りする。
「栄えある宮廷魔術師殿に頼む仕事にしては、外聞が悪いのはわかっておるよ。だが詳しい話を聞いてから判断して欲しい」
ノブローナから真摯な目を向けられて、ブリルーノは断る積もりは崩さないが話を聞く気にはなった。




