6話
控室の空気は、会議室よりも重かった。
ひかりと佐野は、同じ案件の通訳を担当することになっていた。
ゲストは、ヨーロッパの環境活動家。
言葉は鋭く、思想は強く、そして感情は激しい。
佐野は、資料を読みながらつぶやいた。
「今回は、ちゃんと訳します。全部。ごまかさずに」
ひかりは、コーヒーを口に運びながら答えた。
「訳すことと、伝えることは違うわよ」
佐野は眉をひそめる。
「でも、意訳って…誤解を生みませんか?」
ひかりは笑わない。ただ、静かに言った。
「直訳は、誤解を確定させるのよ」
会見が始まる。
活動家は、開口一番こう言った。
「Japan is killing the planet. You smile, you bow, and you burn forests. Hypocrisy wrapped in politeness.」
佐野がマイクを取る。
「日本は地球を殺しています。笑って、頭を下げて、森を燃やす。礼儀に包まれた偽善です」
会場が凍る。
報道陣がざわつく。
ひかりは、マイクを取り直す。
「日本の環境政策に対して、厳しい批判が寄せられています。礼儀正しさの裏にある行動を問う声もあります」
心の声:
(“殺してる”は訳さない。“偽善”は“問い”に変える。通訳は、言葉の防火壁)
会見後、佐野がひかりに詰め寄る。
「どうして訳さなかったんですか?彼の言葉、強かったのに」
ひかりは、静かに答える。
「強い言葉は、強く訳せばいいってものじゃない。言葉は、場を壊すためにあるんじゃない。整えるためにあるの」
佐野は黙る。
ひかりは続ける。
「訳すか、残すか。それを選ぶのが、通訳の責任よ」
その夜、佐野は自分の訳を何度も聞き返していた。
そして、ひかりの訳を聞いたとき、初めて“空気の厚み”を感じた。
(言葉は、意味だけじゃない。重さと温度がある)
翌朝、佐野はひかりに言った。
「昨日の訳、勉強になりました。僕、まだ“訳す”しか見えてなかったです」
ひかりは、コーヒーを差し出しながら答えた。
「大丈夫。通訳は、言葉を訳す仕事じゃない。空気を守る仕事よ」




