5話
会見場は、報道陣の熱気で満ちていた。
今日のゲストは、某国の大物政治家。
外交手腕と毒舌で知られる、いわば“笑顔の裏に刃を持つ男”。
ひかりは、通訳ブースに入る前に、資料を閉じた。
(今日は、言葉より“間”を訳す日)
司会者が紹介する。
「それでは、閣下にご登壇いただきます!」
政治家は登壇し、にこやかに手を振った。
そして、開口一番こう言った。
「Japanese journalists are very… enthusiastic. Sometimes too much. Sometimes not enough. Depends on the mood, I guess.」
ひかりは、マイクをオンにして、落ち着いた声で訳す。
「日本の報道関係者の皆様は非常に熱心です。時にその熱量が変化するのも、文化的な特徴かもしれません」
心の声:
(“気分次第”を“文化的特徴”に。外交って、言葉の着せ替え)
記者が質問する。
「日本の政治について、どうお考えですか?」
政治家は笑いながら答える。
「Too many meetings. Too few decisions. But very polite. Everyone bows. Even the chairs feel respectful.」
ひかりの訳:
「会議が多く、決定が少ない印象を受けました。ただ、礼儀正しさには感銘を受けています。椅子まで礼儀正しく感じるほどです」
心の声:
(“椅子まで礼儀正しい”は残す。皮肉とユーモアの境界線)
そして、会見は終盤へ。
司会者が定番の一言を投げかける。
「それでは最後に、テレビをご覧の皆様にひとことお願いします!」
政治家は、少し考えてから言った。
「One word? For millions of viewers? That’s a strange tradition. But okay… Peace. And sushi. Always sushi.」
会場が爆発した。
拍手、歓声、カメラのフラッシュ。
「寿司って言った!」「平和を願ってる!」と記者たちが騒ぐ。
ひかりは訳さない。
ただ、マイクを切って、目を伏せる。
心の声:
(“寿司”で平和を感じるって、もう宗教の域)
若手通訳が隣でつぶやいた。
「朝倉さん、訳さないんですか?」
ひかりは微笑んで答えた。
「訳すより、残す方が伝わる時もあるのよ。特に、政治家の“ひとこと”はね」
会見が終わると、報道陣がひかりに声をかける。
「今日も場が荒れずに済みました。さすがです」
ひかりは、笑顔の政治家を見送りながらつぶやいた。
「言葉の裏にある沈黙。それを訳すのが、通訳の仕事よ」




