3話
会場は文芸誌の記者たちで埋め尽くされていた。
今日のゲストは、アメリカのベストセラー作家、エリオット・マクレガー。
社会批評と暴力描写で知られる、いわば“言葉の暴走機関車”。
ひかりは、ブースに入る前に資料を閉じ、静かに目を閉じた。
(今日は、沈黙を訳す日かもしれない)
司会者が紹介する。
「それでは、世界的作家、エリオット・マクレガーさんです!」
エリオットは登壇すると、開口一番こう言った。
「Japanese literature is too quiet. Too polite. Where’s the sex? Where’s the violence? Where’s the rage?」
ひかりは、マイクをオンにして、静かに訳す。
「日本文学の繊細さと静けさに驚いています。より刺激的な表現も探求したいと感じました」
心の声:
(“礼儀正しすぎる”を“繊細”に。“暴力と性が足りない”を“刺激的な表現”に。文学って、訳すより編むもの)
記者が質問する。
「日本の読者に向けて、どんな作品を書きたいですか?」
エリオットは笑いながら答える。
「Something that makes them uncomfortable. Something that makes them scream. Literature should hurt. Otherwise it’s just decoration.」
ひかりの訳:
「読者の感情を揺さぶるような作品を書きたいです。文学は、時に痛みを伴うべきだと考えています」
心の声:
(“叫ばせたい”を“揺さぶる”に。“痛み”はそのまま。今日は少しだけ、訳さずに残す)
会場がざわつく。
司会者が慌てて話題を変える。
「では、日本の文化については?」
エリオットは少し考えてから言った。
「I love the food. I love the trains. But I don’t get the obsession with politeness. It feels like everyone’s wearing a mask. Even the dogs bow.」
ひかりの訳:
「日本の食文化や交通システムには感銘を受けました。一方で、礼儀作法の徹底には驚かされます。まるで皆が仮面をつけているような印象も受けました」
心の声:
(“犬までお辞儀”はカット。“仮面”は残す。文学者の比喩は、時に訳す価値がある)
そして、会見は終盤へ。
司会者が定番の一言を投げかける。
「それでは最後に、日本のファンの皆さんにひとことお願いします!」
エリオットは目を細めて言った。
「One word? Okay. Scream.」
沈黙。
会場は一瞬止まり、そしてなぜか拍手が起きる。
「叫べってこと?」「文学的だ!」と記者たちが騒ぐ。
ひかりは訳さない。
ただ、マイクを切って、目を伏せる。
心の声:
(“叫べ”は、訳すより、感じさせる言葉)
若手通訳が隣でつぶやいた。
「朝倉さん、訳さないんですか?」
ひかりは微笑んで答えた。
「文学は、沈黙の中にあるのよ。訳すより、残す方が深い時もある」
会見が終わると、スタッフがひかりに言った。
「今日も場が荒れずに済みました。さすがです」
ひかりは、毒と詩を混ぜた作家を見送りながらつぶやいた。
「言葉は、訳すより、編むもの。ときどき、ほどくものでもあるけどね」




