2話
記者会見場は、前回よりも静かだった。
今日のゲストは、ハリウッドの演技派俳優、リチャード・グレイ。
渋い顔立ちに、黒のタートルネック。
口を開けば、辛辣な言葉が飛び出すことで有名だ。
ひかりは、通訳ブースに入る前に深呼吸をした。
「今日は毒消し役ね」と、心の中でつぶやく。
司会者が紹介する。
「それでは、世界的俳優、リチャード・グレイさんです!」
リチャードはゆっくり登壇し、椅子に腰を下ろすと、開口一番こう言った。
「This movie was a mess. The script was garbage. But the director? Genius. Absolute lunatic genius.」
ひかりは、マイクをオンにして、落ち着いた声で訳す。
「この映画には課題がありましたが、監督の手腕は天才的でした。型破りな才能に驚かされました」
心の声:
(“ゴミ脚本”を“課題”に変換。“狂人”を“型破り”に。今日も翻訳じゃなくて調整)
記者が質問する。
「日本の映画についてどう思われますか?」
リチャードは即答した。
「Too slow. Too quiet. Too polite. I fell asleep twice.」
ひかりの訳:
「非常に繊細で静かな表現が印象的でした。時に眠りに誘われるほどの静謐さでした」
心の声:
(“退屈”を“静謐”に変換。詩人か私は)
会場がざわつく。
司会者が慌てて話題を変える。
「では、日本の文化については?」
リチャードは少し考えてから言った。
「I don’t get the bowing. Everyone bows. Even the vending machines feel polite. It’s weird. But charming.」
ひかりの訳:
「日本の礼儀作法には驚かされました。自動販売機まで礼儀正しく感じるほどです。独特で魅力的ですね」
心の声:
(“変”を“独特”に。“でも好き”を“魅力的”に。通訳って、言葉の整形手術)
そして、会見は終盤へ。
司会者が定番の一言を投げかける。
「それでは最後に、日本のファンの皆さんにひとことお願いします!」
リチャードは眉をひそめる。
「A word? Just one? That’s a strange tradition. Okay then… Sushi.」
会場が爆発した。
拍手、歓声、カメラのフラッシュ。
「寿司って言った!」「日本愛してるってことだ!」と記者たちが騒ぐ。
ひかりは訳さない。
ただ、マイクを切って、目を伏せる。
心の声:
(“寿司”で沸くって、もう呪文の域)
若手通訳が隣でつぶやいた。
「朝倉さん、訳さないんですか?」
ひかりは微笑んで答えた。
「言葉じゃないのよ。音と空気。訳す必要、ないでしょ?」
会見が終わると、スタッフがひかりに言った。
「今日も場が荒れずに済みました。さすがです」
ひかりは、タートルネックの毒舌俳優を見送りながらつぶやいた。
「毒も、空気に溶ければ香りになるのよ」




