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エピローグ
会場が静まり返ったあと、ひかりはひとり控室に戻った。
マイクを外し、スーツの襟を整える。
窓の外には、夕暮れの光が差し込んでいた。
彼女は、通訳者として最後の現場を終えた。
けれど、訳すべき言葉はまだ、胸の奥に残っていた。
(私は、何度も訳してきた。
何度も訳さなかった。
何度も、訳せなかった。
でも、今日だけは——自分の言葉を訳した)
机の上には、古いメモ帳が置かれていた。
そこには、かつて先輩に言われた言葉が書かれていた。
「通訳は、小宰相であれ。
言葉を整え、場を守り、誰かの心を壊さない者であれ」
ひかりは、その言葉を指でなぞりながら、静かに目を閉じた。
(私は、通訳者だった。
言葉の橋を架ける者ではなく、
空気の谷を埋める者だった)
そして、彼女は立ち上がった。
誰にも見送られず、誰にも告げず。
ただ、静かに部屋を出ていった。
その背中には、訳された言葉も、訳されなかった沈黙も、すべてが宿っていた。
そして、誰もが知らないうちに、
彼女の訳は、世界のどこかで誰かを守っていた。




