9話
国際フォーラムの壇上。
ひかりは、通訳ブースに座っていた。
今日のゲストは、某国の著名な評論家。
過激な発言で知られ、炎上を恐れない人物だった。
会場には、各国の報道陣、学生、活動家たちが集まっていた。
テーマは「言論の自由と社会的責任」。
評論家は、開口一番こう言った。
「Freedom means saying what others hate. If your words don’t offend, they’re worthless. Japan is too soft. Too scared. Too polite. That’s not freedom. That’s submission.」
ひかりは、マイクに手を伸ばしかけて、止めた。
会場がざわつく。
隣のスタッフが小声で言う。
「訳さないんですか?」
ひかりは、静かに首を振った。
「訳す価値がない言葉もあるのよ」
評論家は続ける。
「I don’t care about your traditions. Bowing, silence, shame—it’s all theater. I came here to speak, not to respect.」
ひかりは、マイクを切ったまま、目を伏せる。
沈黙が流れる。
その沈黙が、何より雄弁だった。
司会者が慌てて場をつなぐ。
「えー、ただいま通訳が一時的に…」
ひかりは、マイクをゆっくりと持ち上げ、こう言った。
「申し訳ありません。現在の発言は、通訳者としての倫理により、訳すことを控えさせていただきます」
会場が静まり返る。
誰かが拍手を始める。
やがて、それは波のように広がった。
評論家は、苦笑した。
「So even silence can be political. Interesting.”
ひかりは、マイクを切りながらつぶやいた。
「沈黙は、最も強い訳よ。ときに、言葉よりも正確に伝わる」
控室で、佐野が言った。
「朝倉さん、あれ…勇気ですね」
ひかりは、コートを羽織りながら答えた。
「通訳は、言葉を渡す仕事。でも、渡してはいけない言葉もある。
その判断ができるのが、通訳者の責任よ」




