第42話 決断
ザドキエル・ヒルシュベルガーは、ロナンのミリアード地方の貴族で一人息子として生まれた。優秀な父親、賢くて美しい母親のもとで生まれ、ゴールデンレトリバーのブランを飼っていた。ブランは、子犬だったころ、毛並みがモンブランの色に似ていた頃から、ザドキエルがブランと名付けた。
ザドキエルには、幼い頃から英才教育が行われ、剣術、勉強、ダンス、マナー、ピアノ……様々なことを学んだ。彼は、どの分野においても、非常に優秀だと称えられた。
父親であるアドルフからも、優秀な息子だとよく褒められた。
ザドキエルの一番の幸せは、大好きな犬であるブランと遊ぶことであった。ブランは、賢い犬で、ザドキエルと遊ぶ時間になると尻尾をブンブン振り回して喜んでいた。
きっと、自分は、父親の跡をついて、ミリアード地方を立派に治めてみせる。
そう信じて疑わなかった。
しかし、ある日、犬のブランがいなくなっていた。
ザドキエルが目を覚ますと、ブランが消えていたのだ。屋敷中探し回ったが、どこにもいなかった。ブランは、ザドキエルと寝ることもあったが、番犬のような役割を果たすため、玄関付近の寝床で寝ることも多かった。
そのブランが、どこにもいなかった。
父親は、「きっとどこかに逃げたんだろう。そんなことに気を取られて、成績を落としてはいけない」と、ザドキエルに見切りをつけるように言った。ザドキエルは、「はい、そうします」と返事をしたが、ブランのことを諦めきれず、屋敷や、庭をしょっちゅう探し回った。
そんな時、自分の家の構造に違和感を覚えた。1階と2階は、同じ広さであるはずなのに、
1階よりも、2階の方が狭いのである。そして、父親の本棚の裏側に、もう一つ別の部屋がありそうなことに気がついたのだ。
父親が出張に出かけたタイミングで忍び込み、本棚を動かすと、小さな扉が出てきた。
そこにあったのは、ブランの毛皮と4つの壺であった。壺には、犬の遺骨らしきものが入っていてゾッとした。遺骨は、それだけではない。他の3つの壺を見ると、人間の遺骨らしきものがある。そのうち、2つは子供の骨みたいだ。
(どうして、こんなものが……)
何か恐ろしいものを見てしまったかもしれない。そんな恐怖で推し潰れそうだった。
近くにある木箱のようなものを開けると、本が出てきた。開いてみると、見たことのない筆跡の文字が書いてある。
表紙をめくると、ベネディクト・ヒルシュベルガーと書かれている。
聞いたことのない名前だが、自分と同じ苗字をしている。
6月20日
お母さんが、誕生日プレゼントに日記をくれた。今日から、日記を始めようと思う。
7月28日
この日は、テストで100点が取れた。
お父さんが、さすが俺の息子だと褒めてくれた。
8月3日
足を怪我した。しばらく剣術もダンスもできない。でも、すぐに治るはず。
9月5日
足が治らない。お母さんとお父さんが僕のせいで喧嘩している。僕が出来損ないなのは、お前のせいだとお母さんが責められている。
10月31日
僕は、この家から出ていかないといけない。僕は、失敗作でダメな人間だ。もうすぐ処分されるに違いない。僕が生まれてきた意味なんてなかった。完璧じゃないものなんて意味などない
日記は、そこで終わっていた。
この男の子は、逃げるのに失敗して、遺骨になったということか……。
そう考えると、背筋がゾッとした。
ザドキエルは、執事のタイデン・ガードナーを呼び出した。彼は、この家に30年以上勤めている。彼に聞けば、何かわかるかもしれない。
「この日記はどういうことか?ベネディクト・ヒルシュベルガーは、誰のことか?」
「……私は、何も知りません」
そうタイデンは言ったが、彼の顔は死体のように青ざめていた。
「さっさと吐け。じゃないと、父上にお前に暴力を振るわれたと訴えるぞ」
「ど、どうかお許しを。私は、何も知らないのです」
タイデンは、頭を下げながらそう必死に言ってくる。
「吐け。じゃないと、父上に言いつける」
そう再度脅すと、タイデンは、重たい口を開いた。
「……ベネディクト・ヒルシュベルガーは、あなたの父上アドルフ・ヒルシュベルガーとカミラ・ホワイトとの息子です。しかし、彼は、事故で足が不自由になったため……自殺しました」
「この日記の彼は、自殺するように見えない。正直に言え。彼は、どうなったんだ?」
「彼は……行方不明になりました」
「違うな。お前は、本当のことを知っているはずだ」
「……彼は、アドルフ様に殺されました」
「彼の母親カミラは、どうなった?」
彼女のことは、ザドキエルでさえも知らなかった。
「彼女も……殺されました」
「どうして?」
「彼女の息子が当主となるのにふさわしくなかったからです。だから、彼は、再婚して新しい妻と子供を手に入れたんです。それが、あなたです」
「ブランは?」
「あれも、処分されたんです。夜遅く帰った血の匂いのするアドルフ様に、間違えてかみつきかけたことが原因でした」
(なんてことを!!!ブランまで殺されていたのか)
怒りのあまり頭が沸騰しそうだ。
よくもそんなくだらない理由でブランを殺したな。ブランは、大切な家族だったのに。
「……もう一つあった子供の骨は?」
「それは、私にもわかりません」
(誰のものだ?カミラと結婚する前にも、彼の息子はいたのか。ここで求められているのは、完璧な息子で、それ以外、処分されるのか。俺は、その程度の人間なのか)
そう考えると、目の前が真っ暗になるようだった。心臓がギュウウウウと握りしめられそうな嫌な感じがする。手足の先がやけに冷たい。
(怖い。怖くてたまらない。俺も、処分されてしまうのだろうか。何かのきっかけで、殺されるのだろうか。俺は、完璧な人間でも、天才でもない。ただ努力を積み重ねているだけの秀才だ。いつか、化けの皮が剝がれるに違いない)
精神的なショックを受けた後、ザドキエルの成績が下がった。
それから、すぐにザドキエルは、家から逃げ出した。ロナンからも出て、ルートピアで孤児としてさまよい、たどり着いたのが、フィオリの道場であった。
* *
フルレティから服従の魔術をかけられたザドキエルは、絶望した。
ずっと完璧になれなかった自分のことが、嫌いだった。
(結局、俺は、ただの失敗作だ。今後の展開を考えると、誰かに殺してもらった方がいいだろう。俺は……こんなところで死ぬのか。嫌だ。いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ。まだ死にたくない。俺は、まだ10代で、やりたいことも、見たい景色もたくさんある。このまま死にたくない。俺は……生きて……。
あれ?生きて何をしたいんだ?
俺の死を悲しんでくれる人なんているのか?
両親は、今頃、失敗作の俺のことなんて忘れて、新しい子供を迎え入れているだろう)
彼の日記には、こう書いてあった。
『僕は、失敗作でダメな人間だ。もうすぐ処分されるに違いない。僕が生まれてきた意味なんてなかった。完璧じゃないものなんて意味などない』
自分は、“彼”と同じだ。
父さんの期待に応えられなかったんだ。望まれたような理想の息子になれなかった。失望される前に逃げたけれど、本当は自分が失敗作であることくらいとっくの昔にわかっていたんだ。
何を怖がっているんだろう。ただ失敗作が処分されるだけじゃないか。
1人で生きられるほど強くも、要領よく生きられるほど賢くもなれなかった。
自分なんて……ただの失敗作だったんだから。
* *
ザドキエルが、ヨルドに猛スピードで攻撃を仕掛けてくる。
「うぐっ」
危うく死ぬところだった。ヨルドは何とか攻撃をよけて、ザドキエルの剣を受け止める。服従の魔術のせいか、ザドキエルがいつもよりも強くなっている気がする。
「リオンはどうなりましたか?」
「重症で……休んでいる」
「じゃあ、この場の解決策は一つだけです。ヨルドが俺を殺して、その後、フルレティを殺すことだけです」
ザドキエルは、感情を押し殺したように淡々とそう告げてくる。だけど、ヨルドは、どうすればいいのかわからなかった。
「そんな……。お前でも、フルレティを殺せなかったのに。何か別の方法はないのか」
「俺を殺した後、ヨルドがここから逃げるのもいいでしょう。どっちみち俺は、ヨルドを殺すまで止まりません」
「でも……」
「もういいんです。俺は、失敗したんです」
ザドキエルは、全てを諦めたように安らかな顔をした。
「ザドキエル……」
「早く俺を殺してください」
ザドキエルを殺さずに、ここから逃げることはできるだろうか。いや、無理だ。ザドキエルに背中をむけたら、確実に殺される。
じゃあ、ザドキエルを殺さず、フルレティを殺す方法はあるのか。それだけが、この場を解決する最善策なのか……。
迷いがあるヨルドの剣の動きが、鈍くなっていく。
次の瞬間、ザドキエルの剣がヨルドの首元を的確に狙った。けれども、ヨルドがザドキエルの剣を受け止めて、今度は攻撃をしかけている。それを受け流し、ヨルドを殺そうとする。
(くそっ。相手は、ザドキエルだ。油断をしたり、他のことに気を取られていたりしたら、殺されるのは、俺の方だ)
「きゃはははははは。友達同士で殺しあうなんて、最高に無様ね。ザドキエル、私のために頑張りなさい。勝ったら、この私が、ご褒美に一夜を共にしてあげるわ。あなたの顔も気に入っていたのよ」
フルレティは、愉快そうに手を叩きながら笑っている。
「うるせぇな、クソブス女」
ヨルドは、怒りを隠そうともせず、低い声で吐き捨てるようにそう言った。
「はあ?」
フルレティの血管がぶちぎれる音がした。彼女は、般若みたいな恐ろしい顔でヨルドを睨んでいる。
「私がクソブス女ですって。ふざけんじゃないわよ‼ザドキエル!!!さっさとそんな男殺しなさいよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
フルレティの苛立ちのあまり自分の髪をかきむしりながら、絶叫する。
ザドキエルの攻撃がさらに早くなる。それでも、ヨルドは、攻撃を受け続けた。
どうしてこんなことになったんだろう。
自分は、間違えたのだろうか。
あの時、リオンを見捨ててザドキエルと一緒にフルレティのもとへ向かっていたら、こんなことにはならなかったのだろうか。
次の瞬間、ヨルドは、信じられないものを見た。
ザドキエルは……泣いていた。
見間違いかと思った。いつもニコニコと嘘くさい笑顔を張り付けていたザドキエルが、ボロボロと涙をこぼしている。
ヨルドは、そんなザドキエルにどんな言葉をかけたらいいかわからなかった。
「……ちくしょう」
そんな荒々しい声が、涙と共にザドキエルから零れ落ちた。
「早くしろよ!俺を殺せって言っているだろう!!!こんな失敗作さっさと処分しろよ!!お前が体力なくなるほど不利になるだろうが!」
ザドキエルは、魂から絞り出すような声で、かすれた声で必死に叫ぶ。
彼の顔は、助けてって言っているように見える。だけど、こいつは、口では殺せと叫んでいる。
出会った頃から、こいつは嫌な奴だった。
散々バカにされたし、嫌がらせもされた。
でも、こいつの剣は美しかった。相手の弱点を見つけ、あっさりと勝つ無駄のない剣だった。ヨルドが鞭打ちされて倒れた時は、運ぶのを助けてくれた。
「ザドキエル……。俺は、お前に憧れていたんだ」
その言葉に、ザドキエルは、驚いたように目を大きく見開いた。この気持ちだけは、どうしても伝えたかった。
こんなところで、ザドキエルを殺したくない。
もしかしたら、自分は、ザドキエルともっと仲良くなりたかったのかもしれない。
ちくしょう。ザドキエルを相手にしながら、フルレティを殺せるくらいの実力があればよかった。そうすれば、こんな苦しい選択をしなくて済んだ。
「はっ。だから、どうした?何迷っているんだ?お前のやることは、一つだろう。生ぬるい剣なんて俺に向けるな。俺を殺せ!処分しろよおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
ザドキエルは、泣き叫びながら、切りかかってくる。ヨルドは、必死でそれをかわすが、剣を持つ手がビリビリとしびれてくる。このまま、こいつの勢いに飲まれたら、自分が力尽きる。
ザドキエルは、プライドの高い人間だ。だから、ザドキエルを殺すことは、彼を救うことでもある。もう戦える人間は、自分しかいない。
彼の覚悟を無駄にせず、ちゃんと殺さないと……。
(いや、違う。俺は、妹のモニカを救いたい。それが、俺の願いだ。だから、自分のためにザドキエルを殺すんだ。だって、それが、俺が選んだ道だから。自分の夢から逃げるわけには、いかない)
「さよなら、ザドキエル」
(お前を殺して、俺は夢を叶える)
ヨルドは、大きく剣を振りかぶった。
初めて会った頃の、憎たらしい彼の笑顔を思い出す。
もっと違う風に出会えていたら、違った結末を手にできたのだろうか。




