第16話 オシリス
「次は、お前だ」
悪魔のようにディアネロは、オシリスに近づいていった。
「ちっ。ヨルドがいなくなったか」
舌打ちしたオシリスは、ディアネロに飛び掛かる。
激しく二人で打ち合った後、一瞬、ディアネロの槍の動きを止められた。その時、オシリスが左手に仕込んだナイフで、ディアネロの胸を切り付けた。
しかし、ディアネロはオシリスの足元から石の槍を生み出した。瞬時にオシリスが、石の槍を避けて背後に下がる。
「お前……強いな」
「そりゃどうも」
「だが、私の敵じゃない」
ディアネロがオシリスに切りかかる。それを避けると、背後から腹部を石の剣で刺された。
「うぐっ……」
腹から、大量の血が流れていく。何とか出血を抑えようと押さえても、止まらない。
(ああ、俺はもうすぐ死ぬのか。つまらない人生だった……。本当に何の意味もない人生だった……)
* *
幼い頃に、オシリスの母親は男と蒸発した。残されたのは、7歳の俺と5歳の弟だけだった。家賃を滞納した部屋を追い出され、浮浪者が集まる牢屋みたいな空間で暮らすようになった。
タオルだけの寝床、カビの生えた部屋、水漏れ、誰かが死んだ匂い……。いつも食べ物に困り、お腹を空かせていた。こっそりパンを盗んだり、鳥を捕まえたりして飢えを満たしていた。
そんな底辺をさまよっていた俺にも、夢があった。
ロナンの騎士になることが夢だった。強くてかっこいいロナンの騎士団に、憧れていた。
ロナンの騎士として、活躍したい。そして、騎士として報酬を得たい。
そして、いつかいい暮らしがしたい。
みんなと同じ暮らしがしたい。お風呂というものに入りたい。雨の落ちてこない家で暮らしたい。フカフカのベッドが欲しい。綺麗なトイレが欲しい。ピカピカの台所を使いたい。
幸せになりたい。
みんなが持っているものと同じものが欲しい。
幸せになりたい。
欲しいと思ったものが全部欲しい。
惨めな思いなんてしたくない。
幼い頃に描いた未来は、眩しいものだった。夢のために、努力し続けた。
ロナンの入団テストは難しく毎年20名しか採らない厳しいものであった。
オシリスは、実技はトップの成績だった。思っていたよりも、周りの子が弱く、これならきっと1番の成績になって、騎士団で大活躍できるに違いないと期待に胸を弾ませていた。
しかし、現実は、想像よりもずっと過酷だった。
試験が終わりかけた頃、貴族の少年アルキンが「僕の財布が誰かに取られました」と試験監督に密告したのである。
試験監督は、試験を受けたもの全員分の荷物を調べることになった。
そして、信じられないことに、オシリスの荷物からアルキンの財布が発見されたのである。
「俺は、財布なんて盗んでいない。誰かが、俺の荷物に入れたんだ!」
そう訴えたが、信じてくれる者なんて誰もいなかった。
オシリスは、試験を受ける資格を永久に失い、夢は終わった。
街では、オシリスがアルキンの財布を盗んだという評判があっという間に広まり、雇ってくれる者は一人もいなかった。
何か悪いことがあるたびに、オシリスが疑われた。
いつしか、オシリスは、生きていくために強盗を繰り返した。殺人もするようになった。ロナンで悪評が広まると、ウォーターガーデンに住みつき、橋を通る人間を襲うようになった。
人を殺すことに、何の罪悪感も持たなかった。
もう心は、死んでいた。夢なんて描けなかった。
小さい頃は、弟のオルクルも騎士になることを夢見ていた。だけど、オシリスの悪評が広まりそんな夢が壊され、オシリスの人殺しを手伝うようになった。
けれども、ある日、オシリスが妊娠していた女の人を殺した後、オルクスは泣きながら「もうこんなことやめよう」と言ってきた。
「もう一度、やり直そう。誰も俺たちを知らない土地に行ってまっとうに生きようよ」
「……」
「幸せな夢を見よう。今度こそ騎士になろうよ。俺は、正しく生きたい。誰かの役に立ちたい。夢は、叶えるためにあるんだと思う」
オシリスの瞳は、空みたいだ。
(同じ瞳の色をしているのに、俺の目とは違う。えぐり取りたいくらい澄んだ目をしている。もう俺は、二度とそんな目にはなれない)
「いいよな。どうしてそんなに綺麗な目をしているんだ?」
もう自分は、夢を描く勇気がない。
心がナイフで突き刺されるようにズタズタにされる感触を知っているから。
ここから先の人生は、自分が叶えられることだけを願うんだ。大それたことなんて、もう願わない。今度、願って突き落とされたら、もう戻れなくなる。
「夢とか……描けるわけない。うるせえんだよ」
「兄さん……」
「お前は、どん底に突き落とされる痛みも、全てを否定される痛みも知らないんだろ」
優しい人間になりたかった。思いやりの心を忘れずにいたかった。
だけど、誰かが幸せそうに笑っている時よりも、傷つけている時の方が、喜びを感じられた。
この痛みを知らない人間が憎い。
幸せをぶち壊してやりたい。
所詮、怒りと苦痛で支配された化け物でしかない。
自分は、誰かを傷つけることも、殺すことも、奪うことも好きだった。
その日から、オルクルは消えた。それから、彼がどうなったのかわからない。
それから、数年が過ぎた。真鏡の噂を聞いた後、フォローノへ向かった。
お金が欲しかっただけじゃなかった。
真鏡を手にして、神になって、何もかも手に入れたかった。
羨ましかった。妬ましかった。
普通に生きて、幸せを享受している人間が憎かった。
明日食べるものを心配しない奴らが憎かった。
温かい部屋で毛布にくるまりながら、寝られている人間が殺してやりたいほど憎かった。綺麗な服を着て、綺麗な顔で、うまいものを喰って……もっと金が欲しいと化け物みたいに欲しがっているんだ。
ずるい。ずるいんだよ。みんな、自分みたいな奴の痛みなんて、微塵も知らないんだろうな。
全部奪いたかった。そいつらの持っているものを全部、奪いつくすと幸せになれる気がした。
だけど、もう自分は死ぬのか。あっけない人生だった。
やっとこんな負け続けた惨めな人生から、解放されるんだ……。
人生で一番輝いていたのは、どの時間だっただろうか。
それは、やっぱり夢を追いかけていた時間だろうな。
(もう一度、夢が描けたら……どんなによかっただろうか……。負けて、勝って、負けて、もっと努力して、負けて、まだまだ努力して、最後は夢を叶えて……。世界は……自分のものだけにするんだ……)
オシリスは、力を失いそっと目を閉じた。
その死に顔は、長い悪夢から解放されたように安らかだった。




