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旦那様の求婚~Je veux t'epouser~  作者: 桜ありま
第二章 旦那様視点【完】
7/21

旦那様の合理的な動機事由 中編




 釣書が届き始めて、数ヶ月。

 アリメアが青年に対して、少しよそよそしくなった。

 どうやら何事にも疎い彼女も、流石に数ヶ月も経てば、青年に起こっている出来事に何となく気がついたらしい。


 あんなに目の前で広げられている釣書も、アリメアはメイドの務めとして、好奇心丸出して読んだりしない。

 使用人として立派なことだが、青年としてはアリメアの反応を伺いたかったので、特に隠しもしなかったのに、予想したよりも長い時間が掛かったな、ぐらいの認識である。アリメアが悪用するなんて、思いもしないほどの信頼があるからこそ出来る方法だ。


 肝心のそのよそよそしくなった態度が、どういった意味なのかは図りかねた。


 少しは自分に関心を持ってくれるのだろうかと、彼女がお茶を入れるために部屋に入ってきた時に好奇心で……青年は尋ねてみる。


「ん、気になりますか?」

「はい」


 ワンテンポ遅れることが多いアリメアの返事が、今日は妙に鋭い。

 しかし……気になると肯定しそれ以上何も言わない彼女に、もどかしさを感じる。


 彼女は『何故』気になっているのか。


 それをどうやって聞けばいいのか、青年には思い浮かばない。

 ただ、下手な言葉だけが自分の胸に浮んでは消えていく。


「本当にこの前から……面倒くさい事ですね」


 青年は他人の心の機微を、読むのは苦手だ。

 そしてこれが「直接聞けばすぐ終わる」という、効率的な方法が見えていても。アリメア相手だと「終わると分かっている」からこそ何も出来ない。

 自分の儘ならない心の動きに、めめしくて面倒な事だと、苛立ってつい呟く。


 その手には、お見合いの釣書。

 青年にとっては先ほどまで上質な紙で作られたそれを、何か再利用できないだろうかと考えて持っていただけだった。裏を書付にしようにも、青年の実家の情報網を駆使した、一般には特秘すべき内容も追記されているものだから、下手には扱えない……と思う程度の書類。


「? 面倒くさい……ですか?」

「……」


 そう、アリメアの菫色の目が真ん丸く見開かれてから、遠慮がち尋ねられる。青年は自分の心の動揺を一瞬で立て直して、アリメアの誤解を読み取った。


「ええ、実に。意外ですか?」


 アリメアに聞かせるつもりは無かった、自嘲の本当の意味を……面倒なのは『お見合いの書類』に摩り替える。摩り替えたとしても、どちらも青年の本音なのでアリメアに嘘は言ってはいない。

 視線を感じて、アリメアに入れてもらったお茶を一口すすると、程よく刺激的な渋みが口の中に広がった。


 初めて出会った頃と、どれだけ時間が経ったのだろう。

 それでも相変わらず側にいてくれるアリメアを思うと目が和らぐ。


「はい、少し意外です」

「流石に私も結婚する気は欠片もない、知らない女性達の書類を。

 殆ど毎週と言っていいほど、押し付けられるのは、頭痛以外の何者でもありませんよ?」

「そ、そうなのですか」


 そんなに乗り気だと思われていたとは……。


 自分がこのお見合いに乗り気だと思われたのが心外で、そして落胆した。

 青年の複雑な心境を簡潔に表すと、自分には脈が無い事を宣言されたようなもので。室内にくゆる紅茶の香りが妙に鮮明に匂う。視線こそ書類に向けていたが、全身でアリメアの方に集中していた。


「でも、いつか誰かと……旦那さまはご結婚されるんですよね」

「……そうですね」

「ご結婚されてもずっとずっとお仕えさせていただきたいです」


 転々と仕える家を変える使用人は珍しくない。

 かといって一つの家に一生仕える使用人も珍しくもない。


 けれど、その珍しくもない台詞は、今の青年には聞き捨てられない台詞だった。


「一生側にいてくれるんですか?」


 もう青年の視線はアリメアを捕らえていた。

 アリメアの真意を読み取ろうと。

 いつも正直で隠し事の出来ない彼女の、菫色の瞳から真実を読み取ろうとして、食い入るように覗き込む。


「も、もちろんですっ!!」


 力一杯の返事とは裏腹に、彼女は視線を伏せた。


 彼女の言葉に嘘はないとは分かっているけれど。

 それでも、青年はアリメアの真意を読み取りたくて書斎机に座っているのももどかしく、席を立ってアリメアの側に近づく。

 そして自分より背の低いアリメアが目を伏せたのなら、その顔を覗き込もうと自然と彼女に跪く格好になっていた。









 ああ、何というザマですか……。


 アリメアが逃げるようにティーワゴンを押し、慌てて退出した後。

 書斎に一人残った青年は、頭を抱えていた。


 長年抱えていた気持ちを……のんびりしたアリメア相手なら、焦ってはいけないと自分に言い聞かせていたにも関わらず。結果を知りたいあまりに、自分の気持ちをコントロールできなかった。

 普段は無駄に頭の回転は速いくせに、こういう肝心な時だけ回らない自分の頭こそ役立たずだと毒づく。


 待ってくれなかった。


 うつむいていたアリメアの表情は……青年が見たことも無いほど恥らっていて。

 困っているのとは違う『意識している顔』

 そんな彼女の表情を見ていただけで「私と結婚しませんか?」と、するりと口にでてしまったのだ。


 不合理だ。

 どうやら彼女相手だと、自分のペースが保てなくなる。

 むしろ、何を自分が口走ったのか興奮しすぎて覚えていない。

 直ぐに正気に返って、天涯孤独の使用人であるアリメアには、こんなプロポーズは無理強いに他ならない。雇い主として上に居る自分としては、彼女には断る余地を与えるべきか……もっと時間をかけるべきだったのだと、反省することばかりだ。


「貴女と結婚すればこれでお見合いに悩まされる事もなくとても私にいい事なんですが」


 そして無理強いするのではなく、さり気なさを装うために青年はアリメアに声を掛けたつもりだった。

 緊張のため、一人称が『私』になっているほど、その迷いと混乱がアリメアに誤解を生ませる事など気がつかない、そして言葉が足りない事も。


 どんなに思い悩んだとしても、もう時間は戻らない。

 無駄に時間を潰すよりも今できることをしようと更に冷静を装って、青年は用事があると誤魔化して出かける事にした。

 本当はこの後に、騎士団の知り合いでもあるクーベルチュラー男爵が訪問する約束もあったのだが。アリメアの挙動不審といい、自分の冷静を欠いた行動といい、お互いに考える時間が必要だと判断して……。



 それと青年にはひとつ、企みがあった。







 それから数日が経ち。

 青年は家にも実家にも帰れずに、騎士団の寮に泊まり込んでいた。過酷な仕事内容で家に帰るのも大変な人間も多いので、寮生活をしている騎士以外も簡単に利用できる様になっている。


「この間は、すみませんでしたね」


 青年は騎士団舎で、先日約束をすっぽかした相手を見かけると声を掛けた。

 そのすっぽかされた筈の相手。テセウス=クーヴェルチュラーは、怒るどころかとても心配そうな顔で、青年を見る。


「あ! ど、どうだったかな?」

「どうとは? 何がですか」


 開口一番の主語の無い問いに、青年ははっきりさせる為に聞き返した。


「それは、あーえっと、その……アリメアさんの事」


 言いにくそうにそう呟く目の前の人物の身分は男爵だった。しかし、一見すると人懐っこく温和な雰囲気が、一般家庭でごく普通に育ったような青年のようで、とてもそうとは見えない。

 それもそのはず、先々代が事業で失敗し、今現在は没落貴族の身の上である。そのために青年が話す内容も、一般庶民の生活の様だったので尚更だ。

 しかしクーヴェルチュラー家は遡れば王族も居るほど、とても由緒正しい古い家柄で。成金で歴史と言うものを持っていない、家格の低い青年の家とは正反対の男だった。

 せっかくの高い家柄を持ちながら、自分達の代で財産を食いつぶすと言う無駄な事をし。現在の自分自身の価値ではなく、家柄の良さでしかプライドをする事しか誇示できない、堕落した没落貴族と言うのは案外多い。本当に勿体無く、残念に思う。

 テセウスをよく知る前は、彼もそんな人間の一人かと思っていた。

 しかし全く家柄をひけらかす事も、困窮した生活にも卑屈になる事もない、自然体なこのテセウスに青年は驚いた。


 何より一番驚いたのは、人に敬遠される自分に、気にする様子も無く近づいてくるこの男だ。

 そして、自然にではなく、青年が珍しく「意図して」放った嫌味にも動じる事の無い、大変物好きな男である。

 そんなテセウスには青年と違って友人も多く、人の機微に意外と聡い。


 全てが青年とは正反対の男だった。

 そんな男だったから、青年は期待する。


「何か、アリメアが言ってましたか?」

「え、いや。言ってなかったけど、むしろ僕のほうが色々言っちゃっんたけどさ……」

「それで何で、何か有ったと思ったんですかね?」

「だって、約束した筈の君が、言付けもなく居ないなんて……。

 それに、なんといってもアリメアさんと僕を意図的に、二人っきりにするわけ無いだろう?」


 テセウスには、青年の気持ちも企みも筒抜けだった。

 彼は青年と違って空気を読むことに長けている。


「だから……ああ、これはアリメアさんの相談に乗ってあげてって期待されてるんだろうなぁ……って。

 僕なりに頑張ってはみたんだけど、ごめんね」

「何で貴方が謝るんですか。それとも何か、自分に謝るような事をしたとでも?」

 めっそうもない! という体で、テセウスはぶるぶると首を振る。

 テセウスとアリメアの間に何かあった……という下種な勘繰りは端からしていなかったのだが。テセウスはそうは思っていないようで、必死だ。


「…………それよりも怒らないのですか?」

「えっ、なにを?」


「何も話さなかった事を、ですよ」


 空気のとても読める、この男の事だから。のほほんとしているようで、自分が苦手な人間関係に鋭いこの男が、アリメアに会ったら、きっと相談に乗ってくれると確信していた。


 今の自分は、アリメアの悩みの素でしかない。

 テセウスはきっと誰よりも上手く、彼女の相談に乗ってあげられるであろうことを期待していた。



「それだけ僕を、信頼してくれたって事だろ?」

「……」


 利用された事を気がついていたにもかかわらず、にこにこと嬉しそうに笑っているテセウスに、やはりおかしな人間だ……と、青年は思う。

 アリメアとは違うベクトルで、自分には測れない。


「あ、でもアリメアさんにも素直になって答えを出してって言ったけど。

 お前も素直にならないと!

 めんどくさがって、簡潔に喋るから誤解されるんだよ」


 世間の青年への評価は、余計な一言が聞こえてくるような言葉遣いである。

 それを、「言葉が少ない」と評価する目の前のテセウスは、一体どういう思考回路をしているのだろうか?

 そして効率を求めることを、面倒くさがりだと表現されるのも、なかなかない経験だ。


 しかし、こういう心地も悪くないと考えてしまうのも事実。

 きっと友人というものはどういうものかと問われたら、こういうものなんだろうと、青年は深く思った。





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